ジャニス敗れてオヤジ勝つ

TV番組THE VOICE OF PHILIPPINESの決勝が昨夜行われたが、筆者の親族の友人ジャニス・ジャビエル(写真下)は残念ながらベスト4にて敗退となった。筆者もバンコクで一度だけお会いし彼女の歌声に魅了された一人であるが、流石に音楽大国フィリピンの壁は厚かったようである。心から彼女の健闘を讃えたい。
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ベスト4から最終決戦に選ばれた2人はクラリス・デ・グズマン(写真下)とミトイ・ヨンティンというオッチャンで、ジャニスが敗れ意気消沈していた筆者の家族は全員がクラリスの応援に回ったのだが(理由は外観・年齢ともクラリスの方が優れているし何より女性であるため)、なんと優勝をもぎ取ったのは全員の予想に反してミトイの方であった。
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「どう考えてもクラリスの方が上だった」「あんなオヤジが今からデビューしたって先が無いだろ」「ミトイは会場になったホテルの関係者だから裏取引があったんだ(これは後で調べたところホテルロビーバーで歌ったことがあるだけだった)」と女房・義妹・姪・メイドは最終結果に納得できずにブーブー非難していたが、実は筆者はベスト8の段階でひょっとしてミトイ(写真下)が勝つのではないか・・と思っていたので全く意外感はなかったのである。
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筆者は音楽的才能はほとんど無いのだが、ワールドカップの優勝国を当てたりするのは結構得意なのだ。筆者が重視するのは数人の競争相手の力が拮抗している場合は異質な人間が勝つという定理である。ベスト4に残ったマイクにクラリスそしてジャニスは似たような歌手をアチコチで沢山見つけることができるが、ミトイという冴えないオヤジは明らかに異質に映ったのだ。
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それにジャニスが負けてもう一つ分かったことがある。前々回のブログで書いた通りジャニスの歌はウィスキーグラスを片手にクラブで聞くのが本当の姿で、コンサートホールやリサイタルで聞くなんてジャニスらしくないのである。THE VOICEを観ていた親族全員が感じた「ジャニスが何か違う方向に変わってしまいそうだ」という違和感は正しかったのだ。さてジャニスはしばらくマニラにいてクラブに出演するようだから、筆者も一族郎党を引き連れてクラブに出向き、「お帰りなさいジャニス!こっちの方がアンタの本当の住処だよ」と言って彼女の復帰を快く迎えてあげたい。

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詐欺師の若人君、目の前で倒れる

THE VOICEのチケットが取れなかったので、親戚一同で従兄弟の家に集まりテレビを見ながらジャニスを応援することにした。しかしコンドミニアムとはいえ子供も入れると総勢30人にもなるので手狭である。けっきょく一番余計な酒飲み男たちがベランダに追い立てられる事になったが、そこには先客がいた。「やー!アナタがジェンジェンが言っていた日本の方ですか?私はダバオ出身で今はコンサルタントをしている・・」と言って握手してきたこの男・・ジェンジェンがバンコクにいたときに出会った知人だというが、昔テレビによく出ていた若人あきらによく似ていた。
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さてこの若人君、最初はフィリピンの印象はどうか?食事は口に合うか?などど当たり障りのない話をしていたのだが、5分もしないうちに、自分が投資したセブやミンダナオの不動産がいかに儲かったのか、フィリピンの経済成長がどれだけリスクが無いか、自分が如何にフィリピンの大物と付き合いがあるのか、と懇切丁寧に自分をアピールしはじめた。こっちもヒマだし女子供に混じってテレビを観ても退屈なので適当にウンウンと聞いていると、若人君は頃合いを見たのか筆者の目をじっくりと見ながら「あまり知られてないけど値上がり確実なセブの投資話」へと話題を切り替えていった。
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ちなみに筆者は香港にいる時に、中国への密輸チャンネルを持っている人民解放軍の政治将校や、自称深圳市党書記の子息に、広州市の税関幹部なんて輩を日常的に相手にしていたので、この手の詐欺師を相手にするのは得意なのである。まあ若人君の話は中国人たちのでっち上げ話に比べると随分とチャチなので笑いを堪えるのが大変だったのだが、こっちが甘ちゃんの日本人だと勘違いしたらしくてインチキ話の熱弁も段々ピークを迎えつつあった。やがて「来月一緒にセブに行きましょう!ホテルは私の定宿であるシャングリラをこちらの費用で用意しますよ」とキメの言葉を言った後、筆者の返事をじっと待っている時に、若人君の顔からスッと表情が消えた。
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若人君は突然テーブルに突っ伏すやいなや椅子からズルズルと崩れ落ち、ガシャーン!ドガッ!と大きな音を立ててベランダの床に転がってしまった。筆者と従兄弟のジャネルが慌てて若人君を抱きかかえたが、完全に白目をむいていて「クカークカー」と嫌な音を立てて呼吸している。顔をぶっ叩いても何の反応もないが脈拍は正常である。脳卒中・・脳梗塞・・と周りは大騒ぎとなり、頭を動かすな!心臓マッサージだ!車を手配してパッシグの病院へ連れて行け!と誰もが叫んでいたが、筆者はこれと全く同じ経験を以前一度しているので気道の確保だけで十分だろうと思い集団の中でただ一人冷静だったのである。
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筆者が以前経験したというのは、密輸に脱税の罪で中国の刑務所に入っていたジミー・リーという香港商人が筆者の会社で突然ぶっ倒れた話である。中国の国営企業を買収しないか!今ならたったの1億元(12億円)で上海市の一等地にある工場が手に入るぞ!工場は郊外に移して土地を商業施設にすれば・・と熱弁をふるっていたのだが、ほとんどキメのセリフを言いそうな時に若人君と同じように突然と顔から表情が消え椅子から崩れ落ちてしまったのである。慌てて救急車を呼んで会社の近くの病院に運んだのだが、CTスキャンやMRIで検査しても何ら異常無し、どうも心因性の病気(詐欺師がこんな病気かかんのかね・・)が原因ではないかと言う診断結果であった。結局ジミー・リーはその日のうちに退院し、電話で翌日の商談を持ちかけてきたが筆者は体よく断ることにした。
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たった2回の経験だし偶然かもしれないが、詐欺師と言うのはサイコパスのように脳神経系統に先天的な欠陥があって、自己陶酔と緊張と他の何らかの条件が重なると突然神経がシャットダウンしてしまうのではないかと思えてきた。まあコイツラは普段使う脳の部位が常人とは違うので、生まれつき詐欺師でない人間でもどこかで脳が壊れていくのかもしれない。さて若人君だが筆者の予想した通り30分もするとムクッと起き上がるや「腹が減ったのでパンが食べたい」と謎のような事を言い出し、トーストを何枚も貪り食った後は周りが止めるのも聞かずに愛車CR-Vを運転して家に帰ってしまった。若人君・・相手をひっかける前に意識を失っちゃうようじゃ君は詐欺師に向いてないよ。それから君がセブ島へ招待してくれる話も、また倒れられちゃうと面倒だから丁重にお断りさせていただきます。

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中国人ビジネスマンたちの泣きどころ

筆者が駐在員時代の代理店であったトン氏が財界人に贈られる勲章を受賞したと奥方から連絡が入った。トン氏と筆者はもう20年もの付き合いであり、筆者はトン氏から中国人の商売のやり方を表も裏もじっくりと教えてもらったので何ともうれしい限りである。多くの成功した香港ビジネスマンがそうであるように、トン氏も少年時代に文化大革命が吹き荒れる中国からカバン一つで香港に逃げてきて、以来45年間あの手この手で格闘しながら数百億円の事業王国を築き上げた叩き上げの人物である。昨年は念願の上場も果たしたし今年はビジネスマンとして表彰されたのだからトン氏にとっては感無量であるに違いない。
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ちなみに香港の成功した会社オーナーというのは大部分がトン氏にような叩き上げで、義務教育を終えた後すぐに商売の世界に飛び込んで鍛え抜かれた猛者である。実際その動物的な勘の良さと目的のためには手段を選ばぬ貪欲さは一目置かざるを得ないだろう。道端で商売のイロハのイから学んできた中国商人の凄味の前では日本のお上品な大卒サラリーマンなんて最初から相手にならないのである。もしアナタが「俺は華僑とでかいビジネスを・・」とか偉そうに言ってる一部上場企業のサラリーマンを見つけたら、そいつは十中八九華僑にいいようにカモられている事に気が付かないお人よしの間抜けと思った方が良い。華僑と日本人サラリーマンでは爬虫類とリスのような小動物くらい生物学的な違いがあるのだ。
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さて完全無欠に見える香港商人たちにも実は泣き所があるのだ。それも十人中九人は同じ悩みを持っていると言ってよい。それは息子である。ビジネス界で成功したとは言え、香港商人たちは自分が義務教育しか受けていないということにコンプレックスを抱いている。なので自分の後継者には最高の教育を受けてほしいとイギリスもしくはアメリカの名門大学に送り出すのだが(カネはいくらでも払う用意がある)、この息子たちはほぼ例外なく後継者として全く使い物にならない人間になって香港に帰ってくるのだ。筆者は叩き上げの会社オーナー達から「アメリカの大学が息子をダメにしてしまった」というため息まじりの愚痴を何度も聞かされたものである。
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ここで言う「ダメ」というのはアメリカで遊びすぎた・・という意味ではなく、かれらはちゃんと優秀な成績で修士号を獲得して帰ってくるのだ。しかしアメリカのビジネススクールで教えられる学問は経営管理の方法論としては使えるけれど、競争戦略の手法が余りに正攻法というか綺麗事ばかり並びたてていて、中国人特有の「出し抜く」「裏をかく」「横取りする」という邪道な商習慣と全然マッチしないことである。アングロサクソンの教育は中国人特有の毒気をすっかり漂泊してしまい、公共放送のドラマに出てきそうなナイスガイに変えてしまうのである。「息子がMBAを持って帰ってきたので取締役会で発言させたんだが、そんなことは誰でも分かっている事を小難しくニコニコ話しているだけで・・」とは上海出身の大手顧客の弁。まあ3年くらい現場で働けば元に戻るだろう・・と期待したが、この息子が本当にバカなのはいまだにアメリカで学んだ綺麗事の学問が正しいと信じていることである。この青二才のバカ息子のおかげで会社は叩き上げの若いオーナーが経営する競争相手にいいように翻弄され、毎年顧客を失い続けた挙句に廃業に追い込まれつつあるのだ。
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「中国人の本質とは、腹が減った!よしアイツの持っている饅頭をかっさらえ!ということだ」と筆者はトン氏から随分と教えてもらった。交渉はいつもギリギリの線で臨んでくるし、言いがかりや恫喝に約束反故、筆者の同僚に賄賂を渡して機密情報を盗んだり、女を使っての懐柔なんてのは日常茶飯事で筆者は随分とトン氏に煮え湯を飲まされたが、会社はそれなりに儲けさせてもらったし重要な市場開拓では多大な貢献をしてくれたので筆者も今は感謝している。まあこれくらい毒々しくないと香港じゃアントレプレナー大賞なんて取れないのだろう。さてトン氏の後継者である息子だが、ケンブリッジ大学の名門カレッジへの入学試験に合格したのに地元の香港大学に進学したそうである。きっと慧眼鋭いトン氏の指示に違いない。息子を中国人の世界にドップリ漬からせ六韜三略でも学ばせてクセの強いリーダーに育てるつもりだろう。まあトン氏自体が兵法みたいな教科書だしな・・・。どうやらトン氏の会社は今後とも業績は安泰そうなので株でも買うことにするか。

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一見何気ないけど本当は恐ろしい話

テレビ番組でフィリピン最大のカルデラ湖であるタール火口湖を紹介していた。この湖は筆者も今年2月に訪問してその奇抜な光景に感動したフィリピン屈指の観光名所である。番組の中で火口湖の調査をしている科学者が登場してきて、地底のマグマから湖水に溶け込んだ二酸化炭素の量がここ数年すごいスピードで増加しており湖水の下半分は炭酸水のようになっていると言う。炭酸水は比重が水より重いため今のところは非炭酸性の湖水がフタの役割をしているが(コップの下半分がコーラ、上半分が水と考えればよい)、いずれどこかで炭酸水が一気に吹き出る日がやって来るらしい。レポーターの女は「ワーオ!まるでシャンペンの栓を抜いたみたいですね」と言って学者と一緒に大笑いしていたが、筆者はふと30年近く前の自然災害を思い出し、そして凍り付いてしまった。
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1986年アフリカ・カメルーンのニオス湖という火口湖付近で1800人が死亡し村が全滅という自然災害があった。まるで中性子爆弾が落ちた跡を見ているように人と家畜の死体が転がっている映像が全世界に放映されたからご記憶の方も多いのではないだろうか。この災害は最初は硫黄成分の毒ガスが原因と言われていたが、科学者が調べていくにつれ火山湖の底に押し込められていた炭酸水が原因不明の湖水爆発によって大気中に吹き出し(爆発の後は二酸化炭素が抜けたため水位が1メートル下がったという)、炭酸水から分離した二酸化炭素が火口から麓の村へ空気を押しのけるようにゆっくり流れていき(二酸化炭素は空気より重いため)数キロメートル先の窪地にあった村を直撃したことが分かった。そして酸素が無いため村人はもがき苦しんで全員窒息死したのである。科学者の分析では1立方キロメートルほどの二酸化炭素が村をすっぽり覆ったというから村人は走って逃げることも出来なかったらしい。
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でも火口湖なら日本にいくつもあるけど大災害は起こってないじゃないか!と思うかもしれないが、温帯以北の地域にある火口湖では二酸化炭素は溜まりこまないのだ。どういうことかというと、季節が変わったり明け方などに大気の気温が下がると当然湖水表面の水温も下がるので、水面と湖底の部分との水温が逆転し水が上下に循環して掻き混ぜられる状態になるからである。つまり炭酸水に含まれる二酸化炭素は日常的に泡となって抜けているのだ。一方熱帯にある火口湖は1年を通じて水温が一定しているため湖水の上下循環は起こることがなく、シャンパンの栓を開けたかにように二酸化炭素が一気に噴き出すまで、何十年何百年にもわたって湖底に溜まり続けるのである。
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地図で見てみるとカメルーンのニオス湖とタール火口湖はだいたい同じような大きさであった。仮にタール湖がニオス湖と同じような湖水爆発を起こし1立方キロメートルもの二酸化炭素が噴き出した場合は(二酸化炭素は重いから、高さ10メートル、面積100平方キロメートルくらいを覆ってしまうと考えればよい)、6000人の島民とそれより多そうな観光客はどう見ても一人も助かりそうにない。それどころか周辺湖を越えて対岸のサン・ニコラスあたりまで二酸化炭素で覆われてしまえば死者10万人くらい到達するかもしれない。ちなみに大気中の二酸化炭素が3~5%まで上昇すれば精神錯乱と呼吸困難が始まり、10%だと1分以内に意識喪失となって死んでしまうようだから、1立方キロもの二酸化炭素が持つ殺傷力は中性子爆弾のようにすざまじいモノがある。   
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もちろん科学者たちも今まで手をこまねいていたわけではない。フランスの援助でパイプをニオス湖底に通して湖底に溜まった二酸化炭素を常時ガス抜き出来るようにするなど色々手を尽くしてきたのだ。しかし湖底のマグマから吹き出る二酸化炭素の量が半端じゃないため徒労に終わったようである。さらにニオス湖は諸々手を打ったにもかかわらず1986年と同じような湖水爆発を近々起こす可能性が高まっているらしい。大自然相手では人間がいくら手を尽くしても無駄ということのようだ。さてテレビニュースに出ていたフィリピンの科学者であるが、筆者の目にはあんまり深刻そうには見えなかったのだが、タール火口湖の二酸化炭素の絶対量がニオス湖とは比べられないくらい少ないのか、それとも「フランス政府が頑張っても無駄だったんだから悩むのは止めよう」とフィリピン流の楽天的な現実逃避を選んだのか・・・。いずれにせよ窒息死は嫌なので筆者はしばらくタール湖には近づかないことにした。
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味覚オンチになってしまった

野暮用で3日ほど日本に帰国していたのだが、今回自分の体に重大な変化が起こっている事に気が付いた。3か月間も日本食を食べていなかったにもかかわらず、日本で食べたものが余り美味しく感じられなかったのである。初日の夜は実家近くの行きつけの居酒屋に行ったのだが、カツオのたたきや地鳥の岩塩焼きはいつも通りの味なのに、ウチワハギの薄造りや煮物系がピントのボケた味ように感じられ「ん・・?」となってしまったのだ。まあこの時は疲れているのかな・・と思ってあまり気にはしなかった。そして翌日昼はこれまた行きつけの蕎麦屋でカツ丼と手打ち蕎麦を頼んだのだが、両方ともボケているというか味付けが弱すぎてまるっきり美味しくないのである。
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蕎麦屋の後はずっと仕事で忙しく夕食もまともに取れない状態だったので松屋の牛丼で済ませることにした。これなら中学生時代から30年以上も食べているが味は変わっていない。ところが・・・あまりの不味さに半分以上残してしまったのだ。何かがおかしい・・今までさんざん外国に居住していたが日本食が口に合わなくなるなど一度たりともなかったのに・・。翌日また蕎麦屋に出かけて同じものを頼んだがやはり口に合わない。そしてその夜は西荻窪にある筆者が大好きな串焼き屋で友人と久しぶりに飲んだのだが、出てきた串焼きは塩焼きは食えるがタレのついたものは味がうーんと遠くの方にあって全然美味くないのである。どうも出汁・醤油系を味わう能力がダメになってしまったようなのだ。
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ふつう何カ月も外国にいたら母国料理が美味く感じられるはずである。ましてイタリアやトルコなどの美食大国に居住しているならともかく、筆者がいるのはアジア随一の飯マズ国家フィリピンなのだ。どうもフィリピン料理のでたらめな味付けとベタッとした不快な食感に筆者の味蕾はすっかり壊されてしまったか、病気もしくは栄養素不足を原因とする味覚障害になってしまったようである。ちなみにフィルピン料理の方が実は美味しいからだ!という事は100%無いと断言できる。以前のブログにも書いたので時間があれば読んでいただきたいが、なぜならそんな人は当のフィリピン人も含めて今まで見たことないからである。
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味蕾は今後食べるものの味付けを変えることで徐々に元の力を取り戻していくことが出来るが、病気や栄養素不足が原因ならば治療が必要になってくる。なのでここ数日インターネットで病名を調べてみたところ、筆者の症状にピタリと当てはまる病名を発見した。それは亜鉛不足である。この病気の代表的な11症状のうち、肌荒れ、爪の変形、物忘れが激しくなる、酒に弱くなる、抜け毛、立ちくらみ、目の疲れ、味覚障害、傷が治りにくい、精力減退の10症状が当てはまっていた(ちなみに当てはまらなかった残りの1つの症状は生理不順である)。亜鉛が多く含まれる食品として、牡蠣、レバー、チーズ、納豆など筆者がここ最近食べたいなあ・・と体が欲していた食品がズラーと並んでいる。特に牡蠣が亜鉛を多く含んでいて、この病気の特効薬のようである。
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気になるのは、亜鉛不足が何年も続くと11の症状が悪化して取り返しのつかない事になってしまうと書いてあることである。肌荒れや抜け毛に酒が飲めなくなるのは別に構わないが、味覚障害と精力の減退だけは勘弁してほしい。特に精力減退は重大問題だ。なぜならフィリピンの飯のまずさは100年経っても変わる事が無いからまだ諦めがつくが、精力云々の方はフィリピンは世界有数の資源国だからである。女体バイキングの国に移住して「実はそっちの方はダメなんだ・・」とため息の毎日を過ごすくらいなら、まだバチカンにでも移住した方がマシではないか。フィリピンではビサヤ地方のパナイ島で牡蠣が養殖されているようだから、病気療養のために2週間くらい牡蠣だけ食べに行って来ようと思う。何ならマニラを引き払ってパナイ島に移住してもかまわない。それにもし女房が「アタシはマニラから離れたくないからアンタ(筆者)だけ一人で毎月半分はパナイに行ってちょうだい」と言うのなら、それはそれで筆者にとってはたいへん好都合なので是非ともそうなる様に願うばかりである。
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ジャニス激戦を勝ち抜きベスト4へ進出

先日ブログで書いた知人の歌手ジャニスがライバルTHORを打ち負かし見事アップル組の代表としてベスト4へ進出を決めた。ちょうど発表の瞬間は空港からの帰り道だったのだが、まあ従弟夫妻に女房、義妹の嬉しそうな叫びがすごいのなんの・・・。車中なのにまるで小躍りせんばかりであった。この感情の表し方のオープンさっていうのが筆者は真似できなくて(典型的日本人)ぎこちなくなっちゃうのが悩みなんだよな。
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さて上にあるのは筆者が行けなかった昨夜のチャリティーコンサートの写真である。ちなみに真ん中に写っている太目の女性がジャニス、残りは筆者の親族御一行様だ。義妹によれば一行で一番ノリにノッてしまい遂には席の上に上がって踊ってしまったのは御年60歳の叔母(右から2人目)だったそうだ。ちなみにこの人は2人の孫持ちなんだけどね・・。さて従弟の話だと来週開催される決勝戦のチケットが入手できるかもしれないという。よし!筆者も60歳の婆さん半分くらいはノッてみるか!!・・でもやっぱ羞恥心が先に出てしまいそう・・。

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イスラム教徒についてまとまりが無くなが~い文章

筆者の一家はパッシグ市場に週1回買出しに出かけるのだが(ここのフルーツや肉・魚類はシューマートよりも新鮮かつ安いのでお勧めである)、市場付近を通りかかる時に義妹や従兄弟たちが「あの辺は危ないから歩かない方が良い」とよく指差す一角がある。ここは筆者の目には何処と言って違いは見当たらない只の貧民街に写るのだが、従兄弟が言うには路上強盗に傷害、強姦、殺人事件が日常茶飯事に発生している危険地帯なのだそうだ。「あそこにはミンダナオから来たイスラム教徒が大挙して定住してるんだ」と従兄弟の一人がなんとも嫌そうに顔を顰めながら言った。
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ちなみに筆者の従兄弟たちは全員が温厚で親切な人間であり、健常者の物乞い(多くは子供)にも喜んで小銭を与えるような博愛精神の持ち主なのだが(筆者などは絶対に1ペソも渡さず追い払う)、ことイスラム教徒に対しては嫌悪感、偏見、悪意、排除意識、敵対心の入り混じった感情を持っている様だ。「あいつらは俺たちキリスト教徒を憎悪してるんだよ。カトリックの女をレイプしたってイスラムの神は黙認してるから犯し放題だよ」と従兄弟の中で一番教育程度が高くて温厚なジャネルが吐き捨てるように言った。
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実は筆者も従兄弟たちと同じようにイスラム教徒というのは無頼漢であり危険思想の持ち主だと思っていた時期がある。アラファト・ホメイニ・ガダフィ・アサドの父親にアブ・ニダルという名のテロの親玉、筆者が中学から大学時代にかけてテレビニュースを賑わせた御仁たちである。ベイルートの街ごとぶっ壊してるイスラムの若い民兵達が写るたびに、テレビキャスターや大学教授たちは「これはキリスト教対イスラム教の宗教戦争です」「イスラムはキリスト教の殲滅をもくろんでいる」と声高に叫んでいたし、テレビ画面に映るダマスカスやカスバ、ガザ地区などは本当に治安が悪そうであった。こんなところへ行ったら身ぐるみ剥がされた後で路上に死体となって捨てられると本当に思っていたので、旅行で行くのはもっぱらキリスト教・仏教、それからヒンズー教地域にしていたのだ。
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ところがサラリーマンになってから突然イスラム教徒たちと付き合いが増えてきた。筆者は海外営業部に配属されアメリカやヨーロッパ、ロシア・東欧に中国と東南アジアと、ほぼ全世界を相手にモノを売り歩くようになったのだが、中近東はアメリカに次ぐ市場規模であるため上司から否応なく出張に追い立てられる立場になってしまったのだ。最初は「仕事だから・・でも嫌だなー・・」と乗り気でなかったのだが、訪問回数を重ねる毎にあることに気がついた。イスラム教徒というのは異教徒に対して実は非常(ひじょおおにいい・・)に親切な人たちで、街も見た目は怪しいが治安は非常によろしいのである。それからイスラム商人はねちっこいと良く言われるが、筆者とっては中国人・インド人・ユダヤ人の方がよっぽど辟易させられたし、一時期筆者の取り扱う商品が競合他社の価格攻勢にさらされ事業が傾きかけたときに、最後まで筆者の製品を見捨てずに買い続けてくれたのはイスラム圏の顧客たちであったのだ。彼らは古い友人に対しては非常に義理堅かったのである。
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それからレバノン料理にペルシャ料理、トルコ料理と中近東の料理は実に美味いのも魅力の一つである。イスラム教徒と商談の後は決まって一緒に大好きな料理を食べながら彼らの家族の話やイスラムの笑い話を聞くのも楽しかった。親しいお客たちは「あんたはイスラム教徒じゃないから酒でも飲んだらどうだ」と言ってレストランのマネージャーを呼びつけてビールを手配してくれて、水だけ飲んでる彼らの目の前で筆者がビールを喉に流し込んでも文句の一つも言わなかったのである(もちろんその国自体の法律で酒禁止の場合は駄目だけど)。そう!彼らは異教徒に自分たちの価値観やルールを決して押し付けたりしないのである。
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キリスト教徒への敵意についてイスラム教徒の顧客に何度か聞いたことがあるのだが(今思えば馬鹿な質問をしたと思う)、顧客の中でも最も博識なドクター・メディは「イスラム教徒はキリスト教徒を憎悪なんかしてないし、キリスト教の殲滅なんてまったく考えてもいない」と穏やかに答えてくれた。キリスト教徒もイスラム教徒も同じ創造主を信仰しているし、両宗教の違いとはメッセンジャーがイエスかムハンマドかというだけであると至極マトモな答えをした後、「イスラム教徒が心の底から本当に憎んでいるのはイスラムを支配下に置いたイギリス・フランスの植民地主義と、その後継者となって経済的な搾取をする欧米の金融資本だ」と言った。(しつこくて申し訳ないが、言いたいことは欧米人が異教徒だから憎むのでは無く、自分たちイスラム教徒の自立を挫き、支配下に置こうとするから戦っているのだ。)
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「私の友人にヨルダン河西岸に住んでいた男がいるんだが、ユダヤ人入植者に土地を奪われてしまったので仲間を集めて反対デモをしたら、CNNでイスラム原理主義者の暴動と報道されたんだよ。ちなみに友人はコーランよりもACミランの方を熱心に信仰するような男なんだがね」と言った後で、イスラム教徒の反対運動がどれだけ捻じ曲げられて報道されているかを一つ一つ説明してくれた。この話は長いので要約するが、イスラム教徒がやってるのは宗教戦争ではなく生活闘争や権利闘争なのに、宗教戦争と偏向報道することでキリスト教徒による収奪の実情を世界中の目から逸らしている・・ということだった。それから最後に「イスラム教徒が日本人を好きな理由は、君たちは我々イスラムの国土や人々を支配・搾取する気が全然無いからなんだよ。ウォール街や石油メジャーの連中と違って単に儲けのために来てるだけだからね。日本人相手の闘争とはせいぜい商品の値引き交渉くらいなもんだから日本は実に良いパートナーだよ」と言ってニッコリと笑った。    
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さてパッシグ市場付近の治安についてパッシグに長らく住む叔父に聞いてみたところ、イスラム地域もカトリック地域も大して変わらないという(ちなみに犯罪が無いわけではなく両地域とも同じレベルで治安が良くない・・という意味)。従兄弟たちは筆者にはとても良くしてくれるし、彼らの持つ異物への偏見を偉そうに非難したくは無いのだが、筆者はイスラム教徒に商売で助けられたという思いが強いのだ。せめてのも恩返しに女房の親戚連中にイスラムへの不信感を和らげるようなことを何かしたいと思うの今日この頃である。

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マニラのジャニス・ジョプリン

以前ブログで書いた歌手のジャニスはトーナメントで順調にベスト8まで勝ち進む事が出来た。ジャニスは従兄弟たちの友人であり筆者にとっては遠い関係ではあるがバンコクで一度お会いした方なので真にうれしい話である。さて彼女が参加しているTHE VOICEという番組は一般オーディションから52人を選出、この52人を4つのグループに分けてお互いを競わせ、毎週半分づつふるい落としていくシステムである。ジャニスはブラック・アイド・ピーズのメンバーであるアップルが選んだ13人のグループに入り最後の2人に残ったのだが、このアップルのグループは他の3グループに比べると格段にレベルが高く、しかもベスト4(各グループの最後の1人)に進むためには最強のライバル、優勝候補筆頭と言われるTHORに打ち勝たなければならない。これは事実上の決勝戦である。
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さて今週土曜日にベスト8が揃ってコンサートを行うというので親戚の伝手を辿って何とか10枚チケットを確保した。従妹の一人がテレビ局ABS‐CBNの社員とつながりがあるので裏ルートから購入したのだ。料金は1人200ペソ。今週末にMOAで行われるリアーナのチケットに比べると破格の安さだ。ところが本日突発的なトラブルが発生し、筆者は明日から日曜にかけて急きょ日本に帰国しなければならなくなってしまったので、ジャニスの歌声を生で聞くことが出来なくなってしまったのである。筆者の代わりにコンサートに行くのは音楽に敏感とは思えない我が家のメイドになった。うーん・・何とも無念。仕方がないので後からYOUTUBEでアップロードされるのを待とう・・。あー!でも行きたかったなぁ!
     

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ヤム・ウンセンとソムタムの思い出

「旦那がタイ料理を作るから家に食べに来て」とジュミに呼ばれたので、ウィスキーを手土産に一家全員でパッシグまで出かけて行った。この従兄弟ジェンジェンとジュミ夫妻は数年間バンコクに住んでいたことがあるのだ。「週末はみんなでRCA(バンコクの繁華街)のパブで、ヤムウンセン(タイ風春雨サラダ)とウィスキーのソーダ割りで明け方近くまで飲んでてな」と笑うジェンジェンが只今作っているのはヤムソムオー(グレープフルーツに似たポメロのサラダ)、トムヤムクンにカオパットガイ(鶏肉入りチャーハン)、そして思い出の味ヤムウンセン(写真下)である。ジュミが「貧乏で行き当たりばったりな毎日だったけど私たち20代だったから本当に楽しかったわ」と言ってバンコクでの冒険譚をいくつか話し始めた。ジュミの話を聞きながら「あー。この夫婦もタイに魅了されたのだな」と思った。
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筆者も短い間だが大学生活の終わりの方にバンコクに滞在したことがある。もっとも筆者が飲んでいたのはRCAなんてシャレた街ではなくて、どぶ川の臭いのするヤワラート(チャイナタウン)であったが・・。当時ヤワラートにはインドやアフリカから帰ってきた旅の猛者たちと、女とクスリを求めてタイに埋没するアウトローたちの2つの種類の日本人たちが混在していて、7月22日ロータリー広場付近にあるジュライ・ホテルや楽宮旅社、台北ホテルといったボロホテルに居をかまえていた。この近辺はお洒落なカオサン・ストリートや高級ホテルの立ち並ぶスクムビットとは全く違っていて、ヤク中や立ちんぼ売春婦が真昼間から徘徊しているような街である。その怪しさは大阪・通天閣の南側の10倍くらい酷いのだが、ごく一部の日本人たちにとってはこの退廃的な雰囲気が何とも言えず心地良いのだ。この頃のヤワラートの雰囲気を書いた本に谷恒生の「バンコク楽宮ホテル(写真下)」やクーロン黒沢の一連のエッセイがあるので、興味のある方は是非読んでいただきたい。
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筆者は2か月に及ぶインド放浪の旅の後にバンコクに辿り着いたのだが、ヤワラートのボヘミアンな世界にすっかり魅了されてしまい、日本に帰国してからさっさと就職先の内定を取ると、その後すぐにタイに戻って大学卒業直前まで都合4か月間ヤワラートのジュライ・ホテル(写真下)に沈殿していたのだ。もちろん筆者はボヘミアンへと変色していったので仏教寺院や美術館・博物館の類には一切近寄らず、悪名高い冷気茶室(その中でも最も有名な通称エレベーター茶室)やスリクルン・ホテルの横にあったハーレムという格安のマッサージパーラーに真昼間から通いつめ、夜になるとジュライ・ホテルの前に出ているユーピンというオバちゃんの屋台でサバや貝の炭火焼をビールで流し込むと、いよいよメインイベントの「河っぷち」へ出発するのである。
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「河っぷち(写真下)」というのはバンコク中央駅(ホアラムポーン駅)周辺の路上にズラーッとゴザを敷いて酒とツマミを提供する貧乏人向けの飲み屋である。店主(というよりゴザの主?)は全員がタイ東北部のイサーンという貧しい地方から出稼ぎに来ている10代の娘たちばかり。ちなみに彼女たちは売春婦ではないし、おさわりとかも全く許さない純朴な田舎娘たちである。この河っぷち、元々は彼女たちの故郷から来た出稼ぎ労働者向けの飲食店なのだが、筆者とタイで出会った日本人の友人たちはその純朴さにすっかり嵌まり込み、毎晩河っぷちに集まっては夜までソムタム(青パパイヤのサラダ)とガイヤーン(鳥の炭火焼)をツマミに得体のしれない赤酒を酩酊するまでワイワイ飲んでいたのだ。メンバーは5人の日本人と5人のイサーン娘、すましてるけど本当は優しいオラニー、姉御肌で説教好きなオラニーの姉アイ、歌が好きなニーノイ、いつも冗談を言って皆を笑わせていたゲー、男に振られてばかりのゴン。筆者にとってタイの思い出の味とは彼女たちの作ってくれたソムタムである。
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あれから25年たったが、あの時一緒に河っぷちで飲んだ日本人の友人たちとは今でも関係が続いている。タイで自分の会社を立ち上げた男、タイ駐在員の仕事に潜り込んだが今は中国商社に鞍替えした男、大使館の通訳官になった男、そして夏は日本の山小屋で働いて冬になると毎年チェンマイに移住するリーダー格の男、・・・筆者もここ数年はタイを訪問して友人たちと旧交を温めるのだが、彼らはみんな豊かになってしまったためか河っぷちには行きたがらない。仕方なく寿司とか焼肉とかを一緒に食べに行くのだが、そのあと筆者はどんな深夜でもタクシーを飛ばしてホアラムポーン駅へ行くことにしている。オラニー(写真下)は数年前に亡くなってしまい、ニーノイは日本人と結婚して北海道に移住、アイ・ゴン・ゲーは20年以上前に故郷のロイエット県スワンアナプームへ帰ってお母さんになってしまったが、たった一人だけ25年前から今でも店を出してるジャンがいるのだ。当時は17歳の暗そうな娘だったが何故か今はケバいオバちゃんに化けてしまった。
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筆者がジャン(写真下)の目の前に現れると「あれー!今年も来たのね」と言ってゴザを開いて「座ってよ!」と言う。25年前と同じように赤酒を飲みながらジャンの作ったソムタムをつまむ。ジャンとの会話はいつもあいつはどうした、こいつは子供が手が付けられなくってね・・というような情報交換だ(筆者の乏しいタイ語ではこれが限界である)。ジャンは無口な方だしそれ以外の会話は大して無いのだが、ここ来ると自分が25年前の薄汚い恰好をした若造に戻れるような感覚になれるのが嬉しい。あの頃いつも日本に帰る前の日に「梅は咲いたか~♪桜はまだかいな~♪」と唄っていたので、同じように歌うとジャンが静かに微笑んでいた。筆者はこの25年の間に会社員としてアチコチ寄り道したけど心はずっとここ「河っぷち」に居たのだと気が付く。きっと筆者が死んだら魂は河っぷちに現れ、夜の間ずっとソムタムをつまみながら赤酒を飲んでいるのだろうな・・。
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平和なニュースを願うフィリピンの女たち

ミンダナオの情勢がさらに緊迫してきた。ダバオで爆弾が2発炸裂、フィリピン軍がザンボアンガの反政府軍占拠地を空爆、反政府軍が警察署長を含む4人を拉致、とバイオレンス度を増してきた。次はカトリック教会に爆弾をしかけるんじゃないか?いや!マニラの中心部に違いない!もっと空爆して反政府軍を徹底的に叩き潰すべきだ!女房の従弟たちは小難しい顔をしてタカ派的な論表を加えているが、どうもこの連中はルール無し・時間無制限の異種格闘技戦を見るように内心では楽しんでいるのではないかと思えてきた。男と言うのは元々が戦争好きだし、血沸き肉躍るストーリー展開に心を躍らせる生き物である。
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一方ご婦人たちはザンボアンガのニュースが流れると顔をしかめる。野蛮だわ!子供が殺されたらどうするのよ!早く停戦合意しないと・・とハト派の意見が支配的だし、それ以前にこういったバイオレンス系を見ること自体が嫌いで、早くポーク・バレルのニュースに画面が切り替わらないかと思っている。そう。ポーク・バレル事件の方は今週に入ってから大物議員5人と政治家秘書、官僚、架空のNGO団体責任者の名前がぞろぞろ出てくるなど急展開していて、現時点では48人(闇のフィクサーであるジャネット・ナポレスを含む)が横領・汚職・不正の罪で起訴される見込みなのだ。フィリピンのご婦人たちは毎日市場で売り子と1ペソの攻防を繰り広げているだけあって、「こんな大金を着服するなんて絶対許せない!」と嫉妬の念もだいぶ入り混じっているので大変ご立腹なのである。
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ところが従妹のミレットの話では、どうもご婦人方はポーク・バレルの事件について怒りは覚えるが、事件自体に娯楽性が無いため井戸端会議では話が盛り上がらないという。どういう事か?と聞いてみると、男と女の臭いが全くしないらしい。中心人物のジャネット・ナポレスなる人物はかなりのオバサンであり、その容姿と体形を見る限り汚職議員たちと金以外の関係があったとは想像しにくいというのだ。この点イメルダ・マルコスはその妖艶な雰囲気から年をとっても妄想話好きなご婦人たちの話題のタネだったらしい(男たちも同じだと思うけど・・)。金の大きさだけではなくて事件にもっと男女の愛憎とか淫靡な迷宮が垣間見えないとご婦人たちは楽しめないようである。
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この話を聞いて15年前の出来事を思い出した。ビル・クリントンとモニカ・ルインスキーのスキャンダルだ。筆者は当時香港で下っ端営業マンをしていたのだが、会社でもお客のオフィスでも朝になると男も女小「クリントンは口が大きな女が好きらしいよ」「ほお・・それは一体どうしてだね?と言うような話をしたり顔で討論していたし、筆者も「クリントンは葉巻をモニカのどこに入れたんだろうねぇ・・?」と女性社員に尋ねると「えー!いやだー!」とか言いながらも実に嬉しそうな表情で積極的に話に乗ってきた(筆者の職場の香港人女性は全員この手の話に目が無かった)。実際1998年は性別・人種・宗教・教育程度を越えて全世界の人たちがひとつになって一年中エロ話を楽しんでいたのだ。それにあの時期は冷戦が終結して世界は平和だったし、ダウ・ジョーンズはうなぎ上りに上昇、筆者の会社も注文が入りすぎてしまい増産し続けても常時モノ不足に陥るような非常に景気の良い時代でもあった(日本国内は除く)。そう!逆説的で乱暴な意見だが世界が平和で豊かだとニュースはスキャンダルで染まるのである。
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ところがクリントンの次にジョージ・ブッシュが登場してから、同時多発テロ、アフガニスタン攻撃、イラク戦争と全世界のニュースはバイオレンス一色になってしまった。このブッシュには艶っぽい話は一つもなく、聞くのは元アルコール中毒とかキリスト教の熱狂的な信者といった耳を覆いたくなるような話ばかり。それにドルを刷りすぎたせいで異常なバブルが発生、筆者は同期より早く出世したのにインフレで生活は毎年厳しくなってしまうし、最後にはリーマン・ショックが起こって筆者の顧客がいくつか飛んでしまい債権回収に四苦八苦させられた記憶がある。あの時には「あー!クリントンの時代は良かった」としみじみ思ったものだ。誰だって毎日戦争のニュースを観させられる時代よりも、「モニカのドレスに着いたシミの正体」について朝からあれこれ淫靡な想像をめぐらす時代の方が世界は平和で豊かだと思うはずである。
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ご婦人たちが世界は平和だと感じる時代のニュースというのはこういうものだろう。テレビをつけるとアメリカの大統領とカナダ首相夫人が不倫の上に妊娠していることが発覚、イギリスの王子とロシア人のモデルの駆け落ちと隠し子騒動、韓国女性大統領がホストに入れあげた挙句に略奪婚、中国国家主席と熟女政治局員のマル秘ビデオが流出というような、「あの二人できちゃったみたいなの・・・」「あの二人はもう体が離れられないんだって・・」というような愛憎劇ドロドロのニュースばかり流れた後、ご婦人たちの心を鷲掴みにするルイ・ヴィトンやカルチェの新作ニュース、でまた肉欲ヌメヌメなニュースが始まって、その後はハンサムなフランス人モデルの特集(ほとんど裸に近い恰好で現れる)。だけど選挙や株価のニュースはちっとも出てこない。モスクワテレビやアルジャジーラ、北京放送までもがこういう報道スタイルに変わったら、世界は本当に平和になったと言えるのだろう。ただし筆者はもっと毒々しい世界の方が住みやすいんだけれどね・・。
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ミンダナオのニュースを見て思う事

ザンボアンガの武装占拠でフィリピン政府とモロ民族解放戦線(MNLF)との停戦交渉が失敗、両勢力は再びにらみ合いの状態に戻ってしまった。いったいMNFLは今後どういう筋書きを描いているのだろうか?兵隊の一部は人質のふりをして逃げてしまったそうだし、退避ルートもフィリピン政府軍に抑えられてしまった状況では、最後は降伏するか制圧されるくらいしか無さそうである。近所に住む女房の叔父は「MNFL議長のミスアリは状況を完全に読み違えたんだよ」と言っていた。
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叔父によればこのミスアリ氏というのは中東で言うとPLOのアラファト議長のような人らしい。確かに筆者が学生のころにこの名前を聞いたことがあるくらいだから昔から抵抗運動の親玉をやっているのだろう。しかしアラファトと違うのは途中で権力失墜してしまい、議長とは名ばかりのMLLF内の一少数派閥の長に転落してしまったことだ。イスラム勢力の主導権はMNLFから枝分かれしたモロ・イスラム解放戦線(MILF)が掌握しており、ミンダナオ・イスラム自治区(ARMM)の自治政府への格上げと地下資源や税収の利権配分をフィリピン政府と交渉を進めているらしい。これが面白くないのが仲間外れにされたミスアリ議長、それでイスラム勢力内での主導権を取り戻すため今回の武装占拠を実行したという。
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「今回の武装占領は最初からなんか変なんだ」叔父が言うには、アメリカの大統領が軍事条約を締結しに10月にフィリピンに来るのだからアキノ大統領は絶対に反政府勢力に妥協は出来ない事は分かっているはずだ。「もし仮に武装占拠でフィリピン政府から大幅な譲歩を引出し、ミスアリがMNFLの主導権を取り戻したとしても、ミスアリはARMMの知事時代に金からみでダーティーな噂があるから自治政府の首相になることは絶対に無い。じゃあ自治政府の実現をぶち壊してもう一回最初からやり直しましょう・・となったらイスラム教徒全員から命を狙われてしまう。今回の武装占拠はミスアリが深く考えもせず起こした軽率な行動だよ。」
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そこへ義妹が「だからポーク・バレル(政府開発助成金の横領問題)が原因なのよ!」と会話に割り込んできた。またこの話かよ・・お前が言ってる「これは大規模不正を衆目から逸らす為に議員たちが仕組んだ芝居です」というのはユニークだけど飛躍がありすぎるんだよな。叔父は一体何を言ってるんだ?という顔で義妹を見ている。我々のいぶかしげな表情を見て取った義妹は「違うのよ。ミスアリはARMMの知事時代にポークバレルでたんまり裏金を稼いでたの。これが表沙汰になるとイスラム教徒に見捨てられるから、同じ境遇にいる上下議員たちと共謀して武装占拠に踏み出したのよ。敵の敵は味方でしょ」としたり顔で説明した。はぁ・・しかし・・なんで女ってのは色と欲と金からみでしかニュースを見ないんだろう?でもアラファトも莫大な遺産額で世界中が驚愕させたよな。案外これが真実だったりして・・。

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ニュースの裏側

テレビではミンダナオ島関連のニュースを連日報じている。イスラム系過激派のモロ民族解放戦線(MNLF)が人質を捕ってザンボアンガ市の一部を占拠、フィリピン軍と銃撃戦を繰り返しており、市の機能は完全にマヒ状態に陥っている模様だ。今日も家で夕食を食べているとテレビニュースでは人質解放○○人とかやってる。筆者が住んでるマニラはミンダナオから遠く離れているし、近所に武装独立を叫ぶ勢力も住んでないのでひとまず安心だが、こんな事件がマニラで起こったらたまったものではない。ボスニア内戦時のサラエボのように銃弾が飛び交う中を買い物に行くなんてのは真っ平ごめんである。
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筆者がテレビ画面を見ていると、女房と義妹が「この武装占拠は誰が仕組んだと思う?」と変なことを聞いてきた。仕組んだ?誰って・・?そりゃあイスラム勢力だろ・・と当たり前の答えをしたが、義妹は事件の背後には全く別の人間がいると多くのフィリピン人は考えているのだという。筆者はこういう陰謀論が大好きなので(奇しくも今日は9.11でもあるし)深読みゲームに参加することにした。
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「わかった!中国だろう」。筆者は中国人と20年も商売をしているので奴らの発想をよく知っているのだ。相手が強いときは友好を唄うが、拮抗もしくは弱いときには相手の弱みに必ずと言ってよいほどちょっかいを出し、権謀術数を駆使して相手を弱体化させイニシアチブを握ろうとするのである。フィリピンと中国には領土問題(スプラトリー諸島)があるし、フィリピンは最近アメリカ軍への基地使用を認めたばかりだから中国人が黙っているはずもない。きっとフィリピン国内を分裂に追い込み政府の政治力を弱め領土問題で優位な立場を確保しようという魂胆に違いない。さらにはミャンマーやカンボジア、沖縄のようにいずれはミンダナオも中国の保護領にする腹積もりだろう。
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「うーん・・中国かもしれないけど、これは大部分のフィリピン人が誰だと思っているのか?というクイズなのよ。答えはもっと簡単なのよねー」義妹は言う。簡単って言ってもMNFLでないとしたら・・そうかアメリカか!テロとの戦いを合言葉にミンダナオあたりに軍事駐留して中国をけん制しようってことか!でもあんまり意味がないような気がする・・。それともマレーシア?同じイスラム教徒だけど、この国ってあんまり覇権的じゃないしなあ・・武力っていう言葉から一番遠い国だし・・。それともミンダナオの地下に眠る鉱物を狙う投資家グループか?
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義妹は呆れた顔で筆者の妄想をさえぎり「残念だけど全部ハズレ。答えは上下院議員たちよ!」と言った。はぁ?そりゃあまりに無理がないか?と思ったが、義妹の話に耳を傾けると「ポークバレル不正が表沙汰になって政治家たちは戦々恐々としているのよ。だってほぼ全員がずっと不正で私腹を肥やしてきたんだから。今は何が何でも国民の目を他に逸らしたいのよ」とのことらしい。「みんな来週あたりもっと大きな事件を起こすんじゃないかって言ってるわ。そうすりゃポークバレルの事なんて馬鹿な国民はすぐ忘れるとでも思ってるのよ!」。話を聞いて「お前らここまで政治不信なのか?」と呆れてしまった・・。だけど陰謀論は嫌いじゃないから、とりあえず来週に大事件が起こるかどうかテレビに注視することにしようっと。
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豚の丸焼きストリート

ダピタンでクリスマス商品を買った後、皆でレチョン(子豚の丸焼き。正式にはレチョン・バボイ)を食いに行こうということになった。ここから車で5分くらいのところに有名な店があるという。レチョンねえ・・昼間っから食うと胃が持たれそうだけど、他のメンバーはレチョンと聞いて何だか嬉しそうにしている。たしか今年2月に女房の親戚一同が筆者のマニラ訪問をお祝いをしてくれた時にメインディッシュとして出てきたのがレチョンだったのを思い出した。あの日子供たちは「レチョンだ!レチョンだ!」と大騒ぎしはじめ、大人たちもレチョンを切り分ける際には「違うココを切れ!」とか「あばら骨の部分はもっと厚めに切った方が美味いんだよ」と鍋奉行ならぬレチョン奉行として出刃包丁を握る義弟を取り囲みながら何度もうるさく指図をしていた。で・・レチョンが皿に乗っかると参加者全員の手がワッとでてきて、あっという間に半分無くなってしまったものだ。かようにレチョンと言うのはフィリピン人にとって特別な食べ物なのである。
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筆者の最初のレチョン体験は1996年の大晦日の日である。パサイのエドサ・コンプレックスにあったエスペランザという連れ出し式のカラオケバーで飲んでいると、日本語の上手な店のママが筆者の席に来て「ねえ。今から私の家に来て新年のお祝いしない?」と言った。筆者が目をつけていたアイビーという女は一足遅く他の客に連れ出されてしまい、今夜の主目的は無くなってしまったので深く考えもせずにOKすることにした。ただし中年のママの今夜の性の餌食にされると困るので、アイビーの代わりに筆者に付いたどーでもいー女を安全弁として同行させることにした。ママと筆者とどーでもいい女の3人でおんぼろタクシーに乗り、スラム街の中をうねうね曲がりながら30分もするとママの家に到着、タクシーを降りるとママの家の横丁では上半身裸の男たちと派手な化粧をした女たちがテーブルを囲んで安酒で気炎を上げているのが見えた。近所の住人総出でお祝いしてるのである。
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ママに促されて筆者とどーでもいい女は労務者たちのど真ん中の席に座らされ、最初は緊張したが、連中が一人ひとり俺は京都の建築現場にいたんだとか、サウジでトラックの運転手をやっててよお・・と話し始めたことで段々と打ち解けはじめ、30分もすると筆者も労務者たちと一緒に安酒を煽って一緒にバカ騒ぎをしはじめた。その最中に「おい!やっと来たぞ!」と酔っ払いの一人が叫ぶので、背後を見てみると男が二人担架のように何かを担いでやってくる。「これはレチョンっていうんだ!」と酔っ払いの親玉格のオヤジは上機嫌で包装をめくり取り、頭の部分だけのレチョン(胴体部分は無かった)を筆者に見せながら、器用に首の部分をナイフで切り取ると「ほら!ここが美味いから食ってみろよ!」と筆者の目の前に差し出した。口に含んでみると脂肪が口の中にジュワっと広がったが嫌な臭みは全くない。それに皮の部分がカリカリに炙られているので舌触りは最高で、スモーキーな味わいなのが実に美味かった。「これが無いと新年が来ないんだよ!」と酔っ払いは本当に得意そうな表情で外国から来た世間知らずの若造(筆者)に説明してくれたのを今でもよく覚えている。
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さて従弟ジェンジェンが運転する車はLA LOMAという地区に入っていく。見ると道の両側に竹で串刺しにされた子豚の丸焼きがズラーッと並んでいる。「この地区はレチョン屋が並んでいるんだよ。2月にブラザー(筆者のこと)のパーティーで出てきたレチョンも俺がここで買ったんだよ」とジェンジェンは言うと、ウィンドウをあけて屋台の売り子たちに値段を聞く。タガログ語なのでよく聞き取れなかったが小さいのは3700ペソ(8200円)、大きいのは4500(10000円)というのだけは分かった。(フィリピンでは値段だけはスリーセブンとかフォーファイブを英語で言うので筆者でも理解できるのだ)。ちょっと待てよ・・筆者ら一行は男4人、女4人、赤ん坊に毛の生えたくらいのガキ2人だけだぞ、一方レチョンの方は子豚とはいえ20人分くらい分量がありそうである・・。まさかここで買って車内でレチョンに齧り付くんじゃないだろうな・・と思っていると、車はCALAVITE  STREETという小道に入り、ある一軒のレストランの前で止まった。店の看板を見るとMILA’S LECHONと書かれていた。
     
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「レチョンにはLYDIAとMILAの2つの種類があってね、LYDIAの方が有名で値段も高いんだけど、私たちは庶民的なMILAの方が好きなのよ」とジェンジェンの奥方ジュミが言った。それってチェーン店の名前のことじゃないかと反論したが全員が「それは違う」と言う。確かにそういう名のチェーン店はあるが、元々はレチョンの料理方法を考え出した2人の婆さん(LYDIAとMILAのこと)を指しているというのだ。またそれぞれの料理方法の違いについて聞いてみたが、味付けとか調味料とかの細かい話が長くなり始めたので途中で説明を聞くのをやめてしまった。今度食い比べてみて自分の舌で違いを見つけたほうが早いだろう。
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さてMILA’Sレストランであるが、豚の内蔵の煮込み2種類にシシグ(豚肉と耳と野菜の鉄板焼き)、豚のスープに野菜炒め、そしてレチョンのバラ切りを2皿オーダーし、料理が出てくるまでビールを飲みながら、香港の子豚の丸焼き(広東語名:大紅方皮乳猪)というのはフィリピンのレチョンと違って皮だけ食べるんだよね・・というような豚の丸焼きの話をして時間をつぶした。待つこと10分でやっと料理が到着。ガキ二人に親たちが「♪♪ほらレチョンだよ~ん♪♪」と歌うように言ってガキの口元に肉片を運ぶ。一番チビのミレットの娘アンジェラから女房や従弟たちまでも何とも幸せそうにレチョンをほお張りはじめた。筆者も早速レチョンに手を伸ばしたが、焼き立てでなく皮も軟らかくなってしまっているものの、肉の旨味というか甘味がしっかりしていて美味い。またMILA婆さんの発明した調味料が豚肉の旨味を巧く引き出している。よくやったぞ婆さん。あんたのおかげでみんなハッピーになれた。
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全員満足した割りに料金は1600ペソ(3600円)たらずであった。店を出て車に乗り込むと女房が「クリスマスにはレチョンを買って皆でお祝いをしようよ」と言いだした。クリスマスねえ・・その時スラム街に住んでいたあの労務者のオヤジの顔が脳裏に浮かんできた。あのむき出しの笑顔、本当に嬉しそうに肉片を切って筆者に差し出したときのゴツゴツした傷跡だらけの手、異邦人の若造が俺たちの横丁に来たんだから一番美味い部位を食わせてやろうぜ!という年長者の純粋な気持ち・・・筆者がここ15年間ですっかり忘れてしまった心の余裕・・そうだな!クリスマスなんて先じゃなくて来月でもいいから皆を呼んでレチョンパーティーをやろう。あのオヤジと違って筆者はぎこちない笑顔しか浮かべられないけれど、ガキたちに肉片を切り分けて「こいつを食わないとお前ら大きくなれないんだぞ!」と大笑いしたいな・・と思うのである。

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ダピタン市場で買い物

女房が「明日ピータンを買いに行く」というので同行することにした。ピータン(中国語:皮蛋)は香港にいた時にはレストランの前菜として良く食べてたし、皮蛋と干し肉を使ったおかゆ「皮蛋痩肉粥(広東語でペイダーン・サウヨク・チョと呼ぶ)」は香港の朝食の定番中の定番である。でも女房が香港で皮蛋を買ってきたことなんて一回もなかったけどな・・まあ香港を離れてから8か月経ったし、ああいう癖があって臭い食いモノが急に食いたくなったんだろう・・と皮蛋好きな筆者は思った。さて翌朝起きてみると従弟のジェンジェン夫妻の他に近所に住む従妹のミレット夫妻が我が家にリュックサックを持って来ていた。ミレット一家も一緒にピータンを買いに行くという。へー・・こいつらも皮蛋が好きなんだ・・・フィリピンにはバロットという半分孵化した卵があるからな・・なるほどねえ・・と一人うなずいた。
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朝9時半に我が家を出発。カインタからケソンの大学地区、ケソンサークルを経由して一路西へと向かうと急に下町の風情が残る町並みに変わっていく。やがて右手にチャイナタウンが見えてきたので、あーここだな!と思ったが、何故かあっさり通り過ぎてしまった。あれっ!変だなぁ・・どこに行くんだろうと思っていると、やがて色とりどりの飾り物が置かれた露店が並ぶ場所で車が止まった。「ブラザー着いたぞ」とジェンジェンは言うが、ここってどうみても食料品が売られている町並みじゃないぞ。周りを見回すと道路標識にはDAPITAN STREET(ダピタン・ストリート)と書かれていた。
     
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「クリスマスの商品は10月から値上がりするからね。今のうちにピータンで買っといた方が得なんだよ」とジェンジェンは訳知り顔で言ったが、その時に筆者は事態がはっきり分かったのだ。ピータンを買いに来たのではなく、(ダ)ピタンにクリスマス用の装飾品を買いに来たのである。フィリピン人の発音は最初の音(この場合はダ)が聞き取りづらく、続くピタンもピィタンと長めに発声するようであり、さらに女房は会話に目的語がないことが多い上にINとかATとかの使い方がいい加減なため、筆者はまるっきり見当違いの買い物リストを頭に描いていたのである。最初っから「明日・・クリスマス用品・・ショッピング」と3単語だけ言えば誰にでも簡単に伝えられんだよ!このアホ女!
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一行が買い物に出かけたので筆者も仕方なく付いて行くことにした。このダピタン市場はKanlaon StreetとDapitan Street沿いに小規模な店が百軒以上並んでいて、どの店もツリーの装飾品や色とりどりの室内装飾品、サンタクロースやトナカイの人形にキャンドルなどクリスマス関連のありとあらゆる品物を売っているのだ。どうも蚤の市といった風情である。女房たちは最初の店に入ると金ぴかの暖簾状のモノやキャンドル立てなどを一つ一ついじっては店員に値段を聞き、さんざん値引きを要求した上で折り合いがついたのかと思いきや、女4人(女房・義妹・従弟ジェンジェンの妻ジュミ、従妹ミレット)で話しあいをはじめ、結局は「これ要らないわ」と言って隣の店に移動してしまった。筆者も寛容な気持ちで女性4人の背後で買い物を決めるのを待っていたが、次の店でもその次の店でも「いじる⇒議論する⇒要らないわ」を何度も繰り返すのを見続けるうちに「これはどうも長丁場になりそうだ」と気が付いた。筆者以外の男3人(ジェンジェンと、ジェンジェンの父親とミレットの旦那)も段々とご婦人方の買い物に付き合うのが耐えられなったようなので、その場で解散、追って連絡が来るまで各自自由行動とすることにした。
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外は暑いので筆者は露店ではなく2つのアーケードにある室内店を見て回ることにした。どの店も2坪くらいの大きさで、食器類だけの店やミニチュア人形中心とか色とりどりの玉だけ売ってるなど、それぞれの店独自の品揃えをしている。中には大仏とアフリカの木彫りの人形にサンタクロース、それになぜかエルヴィス・プレスリーの人形など宗教感の統一感が全く無いガラクタを置いた店があったりしてなかなか面白い。ある店では年代物の置時計とジュークボックスが置いてあって店主が客と価格交渉をしていた。後でミレットに聞いたが、ダピタン市場の店主はフィリピン人客にはベラボーな言い値を吹っかけてくる事はあまりなくて、言い値の2~3割引で交渉すれば良いという。ただし外国人の場合は話は別みたいなので、買い物しているフィリピン人の会話に耳を良く傾けて店主の妥協価格を聞き出しましょう。
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さて結局女房一行が買い物を終えたのは買い物を開始してから2時間後だった。女房は一番最初の店で最初にいじっていた暖簾上のモノを2つ買ったらしい。ほかの3人も同じ店で何やら面妖なもの(筆者の乏しい文章能力では表現不能)を買ったという。今日は十分見れなかったからまた来なくちゃね・・とか4人でキャッキャッ笑いながら話してやがる。お前らなぁ・・最初からあの店で買うんだったら5分で終わるじゃねえか・・。2時間もいじって交渉して相談してやがったのか・・。何で女って連中はこんなに買い物に時間をかけやがんだよ!
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金貸しシスターズ

ここ週刊ほど女房と義妹が何かソワソワしている。先週末の誕生パーティーの際にも、義妹の携帯が鳴るや二人で会場からコッソリ出てしまい、人目のつかない曲がり角で誰かと電話で長いこと話し込んでいた。自宅にいる時も、義妹がノックもせずに寝室のドアを開けて女房を呼び出すと、女房は慌てて起き上がり下の階で義妹と話し込みはじめ、やがて女房は箪笥から何か持ち出すと二人して30分ほど外出してしまう。こう書くと主婦売春でもしてるんじゃないかと思うだろうが、実は筆者は二人が何をしているのか知っているのだ。ある日女房が迂闊にも引出しの鍵を付けたまま出かけたので何となく中を覗いたところ、そこには何十もの1000ペソ札のザクがポストイットとともに輪ゴムで縛られていて、そのポストイットには「Jenny - Grace Paz : 1st Aug29 P2,000 Balance 20,000」と書き込まれているのを見てしまったのだ。そう、この二人は金貸し業に精を出していたのである。
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以前ブログにも書いたが、二人は向かいのサリサリストアの主ジェニーの金貸し業のスポンサーになっていて、月利20%(ジェニー10%+姉妹10%)という日本のサラ金も真っ青の暴利を貪っているのである。こんな高金利で借りる奴はバカじゃないかと思うが、フィリピンではごく当たり前に月利10%+米10kgとか月利20%で貸し借りされているのである(さすがに住宅や車のローンの場合は銀行で年利18%とかで借りている)。借りる方も母親が急病に罹ったけど医療費が払えないとか、旦那が給料遅配の目に遭ってしまい今月は生活費が全く無いのよ・・みたいな高金利でもしぶしぶ飲まざるを得ない切羽詰まったケースが多い。特に7~8月は中近東がラマダン(断食月)入りして仕事が減ったことにより金が送金できず、ジェニーのところには出稼ぎ組の家族からの借金申し込みが殺到したらしい。
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さてジェニーに金を融通して「これで毎月の収入が随分と増えたわ」と喜んでいた二人だが、中近東出稼ぎ組が8月末になると金利のみならず元本ごと返済し始めたため、二人の思惑はすっかり外れてしまった。二人にとって最も良い客は元本はそのままで金利だけ払い続ける顧客で、これだと10か月後には融資残高+受け取り利息は用立てた額の2倍になるのだ。ところがたった1カ月で返済されたら10%しか儲からない。それでここ2週間は返済された現金を使って、どうやら今までは手を出さなかった小口客にまで融資し始めたらしい。こうして最近はジェニーから頻繁に融資の引き合いが来るようになり、二人で「融資するorしない&条件」を話し合ってジェニーに即答、当日もしくは翌日には現金を用立てていたのである。
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むかし香港にいる時に義妹に聞いた話では、フィリピンで一番金が入り用になるのはクリスマス時期らしい。本当かどうか知らないが12月は通常月の3倍は出費がかさむため、預金のない家は借金をして費用を賄い、次の1年かけて返済するのだそうだ。どうやら女房と義妹にとっては正に商機到来である。きっと二人でチャネル戦略やら融資条件など事業戦略を練っているに違いない。それにここ数日女房から筆者が毎月渡している生活費を前倒して欲しいとか、一括1年分前払いなどを言い始めてきた。手持ち資金の拡充を狙っているのだろうが、筆者はとぼけたふりをして聞き流すつもりである。なぜなら筆者は直接ジェニーと大口客向けの取引をするからだ。これは今まで筆者の金を使って儲けてきたのに、筆者へは1%の金利収入も渡さなかったことへの報いである。女房と義妹よ、今のうちに大きな夢でも見ておくがいい。いずれお前たちは雑魚しか集まらない現実にぶち当たるのだから。

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フィリピンでの親戚付き合い(3)

親戚付き合い三連荘の最終日は従弟ジェンジェンの娘オレンジの三歳の誕生パーティーへの参加である。会場は彼らの住むマンションのクラブハウスで、スイミングプールが傍にあるので暑かったら泳いでくれと言う。こっちも早速お言葉に甘えて水着と水中メガネなど用意して行くことにした。午後3時にクラブハウスに到着、遅れて行ったのでもう参加者は揃っている。プレゼントのバービー人形をオレンジの母親ジュミに渡すと早速食事にありつくことにした。その後は前々日同様に男たちは酒を飲んで酔っ払い、女たちはおしゃべりにカラオケ、子供たちはかくれんぼをしたり女たちの歌に合わせて踊ったりと賑やかな誕生パーティーとなった。さて前回、前々回と誕生パーティーで起こった出来事をブログで書いてきたので、今回は三日間で学んだこと、つまり近しい親戚たちとの宴会をもしも主催しなければならなくなった場合どうするかについて書いてみることにした。
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1.場所
よほど家が狭いかマンション住まいでも無い限り、親戚を呼ぶ宴会は自宅でやるべきである。フィリピンでは昼12時に集まって深夜まで飲み食いを続けるのが当たり前で、酔っぱらって寝っころがる輩もたくさん出てくるし、カラオケを大声で歌ったり子供が叫んだり走ったりモノを壊したりしてるので、レストランとかホテルのパーティールームでやるのは全く不向きだ。それでもどうしても気取った宴会をやりたいなら、リゾートホテルで1泊2日の旅の手配をしたほうが良い。ただし招待客が友人を誘ったりして当日人数が大幅に増える可能性が高いのでマネージが大変だし、それによほどお金に余裕のある方以外は現実的でないと思う。
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2.料理
一点豪華主義でレチョン(豚の丸焼き)と家庭料理7~8品あれば十分である。今回オレンジのパーティーで出てきた料理はクリスピー・パタ(豚足をカリカリに揚げたもの)、カルデレータ(ビーフシチューに似た豚の煮物)、シシグ(ブタの耳と肉と野菜の鉄板焼き)、揚げ春巻き(こっちではシャンハイと呼ぶ)、エビのソテー、ビコール・エクスプレス(鶏肉と唐辛子のココナツミルク煮)、リエンポ(豚のあばら肉の炭火焼)、豚肉のアドボ(酢の味の強い煮込み)、それからマカロニ入りラザーニャと大量のご飯であった。なお料理は必ず最初に大量に作って出す必要がある。こっちのパーティーはまず最初にご飯とおかずを食べて腹いっぱいになり(この時おかずが全部テーブルに載っていないとダメ)、残り物を夜までちびちび食べ続けるのが普通なのだ。出来立てのホヤホヤを食べてもらおうと思って日本の焼肉にようにゆっくり肉の種類ごとに焼いていると、「こいつはなんてケチなんだ」と思われかねないので要注意である。
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3.酒・飲み物
男たちは自分たちで勝手に酒を買いに行くので気を使う必要は全くないが、まあそれでも用意しようという場合は、ビールとスコッチウィスキーとプンタドールの3種類で十分である。フィリピン人の男は何故か最後はプンタドールで〆るので、最初から3~4本テーブルの上に置いとけば「よし今日は酒が充分揃ってるな」と満足する。一方女たちは、アップル味のビール、赤ワイン、白ワイン、コニャック、ジンライムなどのカクテル、テキーラ、ラム酒など気分によって好みが分かれてしまうためややこしいし、また銘柄にもうるさいので要注意だ。グランクリュの赤ワインでも出せば女たちは大喜びで胃袋に流し込み続けてしまうので、ウォッカやジンにソーダ、ライムジュースと、シェーカーや小奇麗なグラスなど小道具を用意してハードリカー系のカクテル(簡単に言うとチューハイのこと)をガンガン飲ませ(カクテルは自作だと安い)、「アタシ酒ならなんでもいいのよ~」と女性人が化けの皮をはがした後は安めのプンタドールに切り替えてもらいましょう。なおガキと婆さんたちはコーラとセブンアップ、ファンタオレンジ、アイスティーあたりが好みです。それから大ぶりのアイスボックスに大量の氷、水は参加者一人当たり1リットル用意するのも忘れずに。
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4.アトラクション
自分たちで勝手に遊んでくれるので全員参加のゲームとかを企画する必要は無いが、カラオケセットと屋外用テーブルと簡易椅子に扇風機数台は必須アイテムである。午後3時くらいから女たちがワイングラス片手にいい気分になってカラオケを歌い始めるので(これは深夜まで続く)機材をレンタル業者から借りるか、あなた自身がカラオケ好きなら買っちゃったほうが早い(ちなみに筆者の女房と義妹は引っ越し早々カラオケ機材を買い家でしょっちゅう歌ってる)。テーブルとイスは男たち用で、酒に酔うにつれ何故か外で飲みたがり始めるからだ。それに外にいれば爺さんたちと一緒に猥談してるのを家の中にいる女房に聞かれなくて済むという利点がある(爺さんたちは大抵「バイアグラの効きが・・」とか「愛人への手当てがかさんで・・」などと真剣な顔で話している)。なおガキたちは自分たちで勝手に遊びを見つけるので放っておいてよい。婆さんたちも孫と遊んでいるかキッチンで婆さん仲間かメイド相手によもやま話に花を咲かせているのでこれも放っておいて可である。
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他にもいろいろコマかい点があるが、上の4点を抑えておけば親戚一同がやってきても赤っ恥をかかなくて済む。筆者は近々パーティーの主催者になるので、この3日間に学んだことを早速実践してみるつもりだ。
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フィリピンでの親戚付き合い(2)

女房の誕生パーティの翌日の昼過ぎに女房にたたき起こされた。二日酔いでちょっと頭が重いが、今日は女房の従弟スプークの娘の誕生日会なので何が何でも行かなければならない。出発の支度をしていざ玄関に出ると女房から「何よその恰好は?短パンにTシャツはダメじゃないの!」と怒られてしまった。だけどチビの1歳の誕生パーティーだろ?会場だってマクドナルドじゃないか!と反論したが、「スプークの奥さんの親族も来てるので今日は少し公式な場になるの!レストランが高いか安いかは関係ないのよ!」と返り討ちにあってしまった。よく見ると女房は服装はカジュアルだがヴィトンのバッグにカルチェの腕時計をしている。義妹も従姉妹もスカートにブラウス姿だけどちょっと化粧が濃い目だ。筆者もここは大人しく従ってジーンズにポロシャツ、ローファーを履いて出かけることにした。
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会場のマクドナルドに到着するとジジババから乳飲み子まで100人くらいがパーティールームの前で行列していた。前のパーティーがまだ終わってないので30分ほど待つらしい。仕方ないので一般客席に腰かけているとスプークの父親が寄ってきて「これがスプークの女房の家族たちだ」と一人ひとり紹介し始めた。12~13人ほどだったが一人ひとり握手する。なんか人数少ないな・・と思ったが、スプークの父親が「彼らはルソン島の最北部のカガヤン州の中でも最北端のアパリから12時間バスに乗ってやって来たんだよ」と言った。はぁ・・両親が来るのはまだわかるけど、兄妹全員が姪っ子の1歳の誕生日のために仕事休んで稚内から東京に来るようなもんだな・・こりゃすごい結束力だ・・と驚いてしまった。
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パーティーの参加者だが、一番多いのがスプークの父方の親族で40人程度(つまり筆者の女房の親族)、次に多いのはスプーク夫妻の友人に近所の方たちで30人、スポークの女房の親族は前述の12~13人、残りはスプークの職場の非常に親しい友人や教会関連など雑多である。会場はほぼ満席になり、筆者も狭い席の奥の方に押し込められて窮屈な思いをしていたが、よく見ると1つの島だけ席がまばらに空いている。「あの人たちどこの人?」と女房に聞くと「ああ・・スプークの亡くなった母親の姉妹たちよ。誰も寄ってこないでしょ」と妙なことを言う。それはどういうこと?と問い返すと、「あの姉妹は金からみでえげつなくてね・・」と耳元でささやいた。帰宅後に聞いた話ではスプークの母親が亡くなった後で遺産を寄こせとねじ込んできて散々揉めたらしい。なるほど・・だからパーティーの間中スプークの父親(つまり亡くなった母親の旦那)だけがずっと相手をしてたのか・・みんな仲良さそうなフィリピンのパーティーにも実はいろんな愛憎劇があるんだな・・。筆者はこういう金と欲と色の入り混じったドロドロした世界が大好きなのでちょっと嬉しかった。
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マクドナルドの誕生パーティーは世界中どこでも同じだと思うのでわざわざ書かないが、要するに子供たちにいろんなアトラクションをさせて、大人たちはただ眺めているだけである。筆者は子供がいないので観ていて面白い訳もなく、かと言ってマクドナルドで酒を飲む訳にもいかないので、手持無沙汰のまま2時間をじっと退屈に耐えるしかなかった。最後の方でやっと飲み物と食事が出てきたので喜んだが、ボックスの中にあるのはフライドチキンにトマトソースのスパゲッティだけ。味はともかく量が絶対的に足りないので、女房のチキンを半分分捕ってなんとか空腹をしのいだ。しまった・・どうせ余りがあるはずだから3個くらい掠めときゃあよかった。
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ハッピーバースデーの大合唱の後にパーティーは終了。駐車場で車を待っている時にスプークが「この日本人が新しいファミリーメンバーだ!」と友人たちに紹介してくれた。俺みたいな人間でも家族として認めてもらえたんだな・・ちょっと嬉しい。なおスプークは今夜はアパリから来た女房の家族をもてなすらしい。スプークの親父と妹たちは嫌々ながら母方の叔母たちと食事だそうだ。さて筆者ら余ったメンバーも家に帰ろうかということで車に乗り込んだが、筆者が「何か食べて帰りませんか?」と提案すると、全員が「グッドアイデア」と大喜びで呼応した。やっぱりそうか・・みんなマクドナルドのバースデーパーティーセットじゃ腹が膨れないよな・・。ということで、この後みんなで海鮮料理を食べに行き、マクドナルドで我慢をした反動でビールにワインをたんまりと呑んできました。さて!明日は従妹ジェンジェンの娘の誕生パーティーだ。
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フィリピンでの親戚付き合い(1)

昨日久しぶりの猛暑日の中、女房の○×回目の誕生日会を開催した。今回は母方の親戚筋だけだが、年齢は上は65歳の爺さんから下は1歳の幼児まで40人もの人が来てくれた。筆者は東京の新興住宅地で育ったので日本の伝統的な親戚付き合いというのを知らないのだが、フィリピン人に来てこっちの親戚とか一族のつながりと言うのが非常に濃いことにビックリさせられた。まずほとんど毎週のように一族の誰かと会っていて、やれ子供が生まれた、誰それの結婚式だ、甥が彼女を連れてきた・・航海が終わって帰ってきた・・と用事を見つけては親族全員で叔母エスターの家に集まってワイワイとやるのである。筆者がこっちにきてからもう4回も参加したから、たぶん年間20回くらいは宴会をしているのではないかと思う。
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どの一族にも親玉というのがいるが、女房の母方親族の親玉が会場提供者の叔母エスターである。4人姉弟の2番目としてパンパンガ州のサンタアナに生まれたエスターは、今から45年前に学校を卒業するとマニラに出てきてパッシグの菓子工場の下っ端女工の仕事に就いたが、そのリーダーシップと性格の強さから班長、主任、事務職とトントン拍子に出世し若くして工場のマネージャーになった。やがて工場で楽そうな職の空きを見つけたので自分の姉(筆者の女房の母親)をパンパンガから呼んで無理やり入社させ、小さかった二人の弟もマニラに呼んで、姉妹二人で学費を払って大学まで行かせたのである。この4人姉妹がそれぞれ結婚して30年位前までに子供を産み始め(合計13人)、ここ4~5年の間に今度はその子供たちが子供を産み始めているので(現在18人で増殖中)、叔母エスターは現在約50人の一族の族長の地位に納まっているのである。
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さて女房の誕生パーティーの進行具合だが、午前中にエスターと娘のアニーがパンパンガ料理を夜食分までたんまりとこしらえ、先に到着していた叔父とエスターの旦那が豚・チキン・イカなどを炭火で焼いてくれていた。12時に参加者の7割が到着すると挨拶もそこそこに昼食を開始。女たちは同じテーブルに一緒に座って「最近うちの娘はねぇ・・」とよこやま話に花を咲かせ、ガキたちは道端で勝手に遊び、筆者と叔父・従兄弟などのオヤジグループは最初はビールを飲み、1時を過ぎたあたりからシーバス・リーガルにボチボチ切り替えていく。長丁場なので本当はココで飛ばしすぎると自滅するのだが、爺さんたちはいい気分になって飲み続け3時ころには全員酩酊して1回目のグロッキー状態となりソファや床に寝そべり始めた。3時にオーダーしていた誕生ケーキが到着しハッピーバースデーの大合唱をしてケーキカット、筆者ら男たちは酒が足りないので近くのスーパーで買い出しに行き、ジャック・ダニエルやプンタドールの他に女たち用の赤ワインを12本くらい買ってきた(これが一番高くついた)。
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4時くらいになると爺さんたちがぼちぼちとグロッキーから回復しはじめ飲酒再開、女たちもカラオケを歌いながら赤ワインをグビグビ飲みはじめた(特に若い女ほど飲みっぷりがいい)。そのうち「熱いから外で飲もうぜ」と外の道路にテーブルとイスを持ち運んで夕涼みしながら大声を張り上げてワイワイ始めるが、フィリピン全土でどの家も同じことを日常的にやってるので誰も文句を言いに来ない。6時に各家から連れてきたメイドが作ったパンシット・カントン(広東風焼きそば)を食べるころには20人くらいグロッキーになっていて、いくつかある寝室は男も女も入り乱れてザコ寝状態になっていた。エスターが9時に「そろそろお開きに・・」と言うまで昼からずっと歌い続け飲み続けたことになる。この9時間の間、団体的な活動と言うのはバースデーケーキの時しか無くて、それぞれが勝手に9時間過ごすのである。よく飽きが来ないと感心するが、勝手にやってるからこそ続くのかもしれない。
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  昔女房が言ってた話によれば、フィリピンは不正も多く社会正義なんてものは期待もできないから、頼りになるのは一族だけなのだ、一族の力を強くするためにはまず子供を増やすことが必要で、一族の人が多ければアチコチにコネが出来るし、そのコネを使えばどこかに解決策を見つけることができて困難にも立ち向かえるのだ・・という。だからフィリピン人は子だくさんなのよ・・と真面目な顔で言っていた。筆者はあべこべの話も見聞きしているので半分しか信じてこなかったが、たしかに冠婚葬祭で参加するのは年寄りの方が圧倒的に多い日本と、ガキが溢れてるフィリピンと、どっちの国の方がアナタは居たいですかね?と聞かれればフィリピンだと思った。さて10時を過ぎたころに女房が「明日は2時に迎えが来るから」と言うので、「あした何か用事あったっけ?」と返すと、「何を言ってんのよ!明日は従兄弟のスプークの娘の1歳の誕生日会じゃないの!それから明後日は従兄弟ジェンジェンの娘の3歳の誕生日会よ!」とふくれっ面で言った。えーっ・・三日連続で親戚付き合いすんのぉ・・・?だったら1回にまとめてやりゃあいいじゃねーかよ! 

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