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マニラ下町スター誕生観戦記

「チェルシーが歌謡コンテストに出るので応援に来てくれないか」と女房の従兄弟に頼まれたので、一家総出で金曜の夜にマラテのパブPadi's Pointに行ってきた。このチェルシーと言うのは女房の従兄弟の妻の姉の子に当たり、我が家にはときどき遊びに来る地味な17歳の女の子である(日本でこんな遠い縁者と会うのは一生に一度あるかないかだが、フィリピンでは日常的に会うのが普通なのだ)。十人並みのご面相に蚊の鳴くような声しか出そうにない華奢な体つき、それに性格も暗そうだ。歌手と言うよりもアニメ作家とか占い師の方が向いてるんじゃないかな・・。「チェルシーが歌手だって?なんかの冗談だろ?」と従兄弟に問うと「俺の女房の家系はミュージシャンを何人も輩出してるんだよ。チェルシーもその血を引いて音楽の才能に恵まれてるんだ」と自信ありげに言った。あんな草食系のねーちゃんがねぇ・・と言うよりも食べられちゃう植物みたいじゃないか・・。
無題


チェルシーが参加したのはマリア・クララ・コンテストと呼ばれるもので、応募者は自分の歌声をUSBに録音して主催者に送りそこから10人を選出、この10人が今夜パブで持ち歌を1局づつ歌い、審査員が最終的に5人を選出した後、5人組のグループとなってCDデビューをするらしい。それに会場にはレコード会社やテレビ局のスカウトが来ていて、もっと有名なコンテスト参加するために自分をアピールする絶好のチャンスだそうだ。ところがコンテスト当日、チェルシーの母親が病気で入院してしまい、手術用の血液が折からのデング熱流行で不足しているため、従兄弟夫婦とチェルシーはあちこち駆けずり回らなければならず、一行がコンテスト会場に到着したのは予定時間を30分も過ぎた後になってしまった。慌てて楽屋に入るチェルシーと従妹の女房。彼女の順番は7番目で、これから急いでメイクアップすれば何とか間に合うらしい。筆者と女房と親戚一同はテーブルを確保し食事と飲み物を大量にオーダー、チェルシーの残念会になる前に酔っぱらってしまおうとの算段だ。
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ステージでは背の高い女がビヨンセを歌っている。ビヨンセ同様に見た目はセクシーだが歌はちょっと・・。で次に出てきた女は一切踊らないがリアーナのLove the Way you lieがメチャクチャ上手い。みんなこういう末端のコンテストを経て自分に足りない部分を補いながら、フィリピン人バンドの指定席である世界中のクラブやホテルのエンターテナーになっていくんだろうな。さて次は7番目なのでチェルシーが歌う番だ。司会者がチェルシィーッ!とアナンスする。オーッ!背の低さと体の線の細さは隠せないけど派手な衣装でそれなりに見栄えのするように化けている。イントロに合わせて腰を振り、歌が始まるとパッと振り向いた。似合ってるかどうかは分からないけど化粧はかなり濃い目。さてそこから彼女の歌声が始まったが、あの華奢な体つきからは想像できないほどの声量である。曲はビヨンセのLove on Top。すごい声の太さだ・・でも・・ちょっとだけ音程がずれてないかな・・その後あんまり上手くないけど踊り始めた。同行の親族も応援がちょっとトーンダウン気味に・・で3分歌って彼女の持ち時間は終了、客席からは歓声があがるがチェルシーの前のリアーナ女にくらべると拍手はさみしい感じ。テーブルで一行全員が乾杯をする。全員が「こりゃ落ちたみたいだな」という表情だ。なおチェルシーのあとの3人は歌が滅法うまい女、歌も踊りもイマイチだがコミカルな動きで客席の笑いを上手に誘う女、そして滅茶苦茶セクシーな女など、自分のセールスポイントを自分なりに強調している。
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全員の歌が終わるとチェルシーはテーブルに来た。「アガッちゃって声が上手く出なかったわ」とぼやいていたが、一仕事終えたあとの達成感が顔に出ている。女房や義妹が上手だった、絶対合格するよ・・とお世辞を言ってるが、従兄弟をはじめ我々男性陣は沈黙気味。数分立って「結果発表が始まります」とアナウンスされたのでチェルシーはステージに上がる。10名が居並ぶ前で司会者が「これから入賞者5名の名前を読み上げます」と言った瞬間にジャジャジャジャーンとテーマ曲が流れる。「入賞者1番目は・・チェルシィーッ!」と大声でアナウンスされた瞬間、我がテーブルの一同は茫然・・いきなり?どうして・・?本当かよ? でもその後は歓声に変わった。(後で従兄弟から聞いたがチェルシーは声量が評価されたらしい。5人組なので各人は一芸に秀でていれば良いから、おそらくチェルシーはその声量が評価されたのだろう)
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パブからの帰り道、チェルシーは5人組でCDデビューした後はフィリピン国内でメジャーデビューできれば一番うれしいけど、バンドに入ってシンガポールやドバイのクラブで歌うこともやってみたい・・だってアタシ海外出てみたいんだもん・・と嬉しそうに語っていた。「ところで今日貰った賞金の15000ペソで何買うの?」と聞いてみると、「欲しいものはあったけど我慢する。この賞金はお母さんの入院費用の足しにするのよ」と少し寂しそうに答えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
がんばれよ!チェルシー。

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永住ビザ獲得への道(7)指紋採取編

面接の次は指紋である。これが済めば後は8月末のビザ発行予定日を待つだけなので、筆者と女房は気楽な気分で両収書に書かれた2階の214号室へと階段を降りて行った。しかしこの部屋、ドアに大きくFinger Print Sectionと書かれているのだが、ドアが閉じられたままで人が出入りしてる気配がない。ノックをしても誰も空けないのでドアノブを思い切り引っ張るとドアが開いたが、その時ドア越しに何十人もの職員が一斉にこっちに振り向くのが見えた。「指紋採取に来ました。遅れてすみません」と言って、4階の面接官秘書から渡された申請種類の束を一番近くのデスクにいる背の高い女に手渡そうとしたが、「ここじゃありません!1階の43番カウンターが窓口です」と言ってドアの方向を指差した。なんだこの職場・・孫口が移転したことを会計課に連絡し忘れたのか、それとも面倒な仕事をたらいまわしにしてるのか、チグハグさが目立ついびつな組織だな・・。
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1階に降りて43番カウンターに行くと茶髪アフロヘアの太目の女が座っていて、筆者の姿を見つけると「はい!書類の束出して!じゃあ!手を出して!ほら!指のっけて!違う!人差し指が最初よ!そうそう!」とセッカチに指示してくる。そうして十本全ての指紋を光学スキャナーで採取すると「はい!隣のカウンターに移動して! ACR-iカード用の写真とるからね!」と言った後、隣のカウンターにいる男に何やら口早で指示している。このアフロヘア女はどの職場にもいる課長より偉いボス女ってやつで、筆者にとっては最も気が合うタイプだ・・。写真係は何かゴツイ感じの男で「ハイ前向いて・・顎引いて・・ハイ今度は横顔、ハイOK」と世界中の写真屋が言う共通のセリフで指示しているうちに撮影はあっという間に終了。そのすぐ後にアフロヘア女が手招きするので隣のカウンターに戻ると、書類の束を筆者に渡しながら「これからアンタの後ろにいるあの二人の所に行ってきてくれる。終わったらまた戻ってきて」と少し顔をしかめながら言った。
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後ろというのは何百人もの人が座ったり立ったりしている待合室なので「変なこと言うなぁ・・」と思ったが、その一角に数人行列しているのが見えた。歩いていくと制服を着た男が二人、記載台(どの役所にある長い記入用机)の上に黒インクをローラーで擦り付け、外国人の指をインクになびった後で申請書類のあちこちにベタベタと指紋を押しつけていた。この二人なんで待合室のど真ん中で・・しかも記載台にインクを・・それに光学スキャナーで10本すべての指紋を採ったじゃないか・・何でこんな意味のない作業やってんだろう・・。二人の職員のうち無表情なデブのオヤジが筆者を見つけると「こっちへ来い」と手で合図をし、筆者の書類の束(7枚くらいあった)から申請書の1枚だけ指でつまんで「この文書のゼロックスコピーを持ってこい。それから写真は持ってるだろうな。」と叫ぶように言った。女房にコピーを撮りに行ってもらい、筆者はデブオヤジから渡された別の指紋押捺書に書き込みを終え、念のため持ってきた写真をやっと探し出すと、ちょうど女房が言われた通り1枚のコピーを持って戻ってきた。両方の書類と照明用写真を見たデブオヤジは「行列に並べ!」とぶっきらぼうに言う。3人ほど待って筆者の順番が来ると「なんだ!ゼロックスコピー1枚しか撮ってないじゃないか!俺は全部の書類をコピーしろと言ったんだ!」と言って書類を投げ返ししたうえ「全部コピー撮ってこい!それから写真が糊で貼られてないぞ!列から出ろ!並び直し!」と歪んだ笑みを浮かべながら叫んだ。何だこの野郎!・・と怒りが沸いてきたが、筆者の前に採取を終えたイスラエル人の女が首を振りながら筆者へ目配せしてくる。どうも同じことをされたらしい。
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筆者の次の韓国人女も案の定「書類全部コピーして来い」と列から外されてしまい、ハンサムなフィリピン人の旦那が慌ててコピー室へと走って行った。その次はどうも台湾人らしき男の順番なのだが、デブオヤジは何故か順番を飛ばし、次の次の順番に並んでいたインド人っぽい男に「よしお前だ!指紋を採るぞ!」と指名した。かわいそうな台湾男は黙ってインド人に道を譲ったが、デブオヤジはねじくれた笑みを浮かべながら満足そうに台湾男をじっーっと見ていた。どうもこの列にいると爆発しかねないので筆者は隣の列に移ることにした。担当は眼鏡をかけた小男で、眼鏡レンズに蜘蛛の巣が張っているんじゃないかと思えるくらい生気がなく、なぜか必要以上に長い時間をかけてローラーでインクを必死にこすり付けている姿に異様なものを感じた。こいつら壊れてる・・。だいたいなぜこんな作業が必要なのか理由が全く見つからない。不要な作業を廃止する能力が移民局には無いのか?それともこの作業しか出来ない職員がいて解雇するかわりに無理やり職を与えているのか?もしくは何か問題を起こしたので懲罰かわりに見せしめの刑に処されているのか?それとも過去の遺物と化した作業にふさわしい愚鈍なオヤジ2名が日々壊れていく様を職員に見せる見世物小屋なのか?どれにしても利用者にとっては迷惑この上ない話なんだけど・・。
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指紋を張り付けたのは全て女房が撮ってきたコピーの方で、無造作に記載台のラックに放り投げた。たぶんそのまま焼却炉に行くんだろう。作業が終わると眼鏡男が「あっちへ行け」というゼスチャーをしたので43番カウンターに戻る。さっきのアフロヘア女にオリジナルの書類の束を渡すと、そのうちの一枚に定規を当てビリビリと下の部分を切り取ってから筆者に渡した。APPLICANT’S ACR I-CARD CLAIM STUBという表題で筆者のACR-iカードの仮番号が書いてある。「移民局のウェブサイトを定期的にチェックしてよ。アンタの名前がリストに出てきたらビザの準備が完了してACR-iカードが出来上がったということだから、その時は代理人でもいいから本部まで取りに来て。それからその切り取った紙は忘れないようにね。ハイ今日はおしまい。」と女ボスは親切に説明してくれた。あ~やっとこれで本日終了か・・面接とアフロヘアの女ボスは良かったけど、あの指紋係の親父は一体なんなんだろう・・まあ何とか終わった・・次はウェブサイトでの合格発表待ちだ。
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永住ビザ獲得への道(6)面接編

永住ビザ取得の次のステップである面接と指紋採取に行くため朝7時に家を出たのだが、ケソンシティで大渋滞にはまり移民局本部へ到着したのはアポイントメントから30分も過ぎた後だった。まいったな・・追い返されるかな・・と思ったが、女房が言うには今日はみんな遅刻してるはずだから心配する必要は無いとのこと。面接室のある4階までエレベーターで昇り、ビザ申請の時に受け取った領収書(下の写真)に書いてある面接官のネームプレートを探す。有った!警察の取り調べ室みたいだ。部屋を見るとガラス越しに小太りのオヤジが座っている。あれ?面接官は女性っぽい名前なんだけど・・。それでも「すみません遅刻して」と謝ると、男はハァ?という表情をした後「面接官は奥の部屋だよ。ついさっき来たとこで今日最初の面接中。今日はスケジュールがかなり遅れるそうだから廊下でしばらく待っててよ」と陽気に言った。なるほど女房の言うとおりだ。この国でピューリタン的なビジネスマナーを守ってたら早晩心が折れてしまうに違いない。スケジュール上では筆者が今日の一番手のはずなのだが、いつの間にか先着順に切り替わっており、あと2組待たなければならないようなので、4階の廊下で開業してるサリサリでコーヒーを買い、椅子に座ってのんびり待つことにした。
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奥のドアを開けると30代の理知的な感じの女性が座っていた。この人が面接官で肩書はアトニ-、日本で言えば検事にあたるエリートだ。「そこにお座りください」と言った後、目の前に置かれた筆者関連のファイル(申請書類一式が綴じられていた)を開き、ゆっくりと無言のまま読み始めた。沈黙の時間を長引かせることで相手に緊張感を与え、交渉のイニシアチブを握ろうということか・・ずいぶん古典的なやり方だな・・。まあ筆者はこんなゲームなど慣れっこなので沈黙の時間をむしろ楽しんだのだが、困ったことに女房はかなり緊張してしまったらしい。最初の「あなたたちの結婚記念日はいつですか?」という筆者に向けられた質問に対し、女房が全然違う答えを言ってしまったのだ。それも正しいのは月だけで年と日が間違っているという体たらく。見る見るうちに面接官の表情は険しくなり「あなたたちは本当に夫婦なのか!」と言い始めた。このアホ!毎年結婚記念日には常にプレゼントを要求してくるくせに、この肝心な時に忘れやがって・・。そのあとで筆者が正確な答えを言ったが面接官の疑念は拭えそうにない・・。うーん・・まいったなー・・。
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次に「どうしてその日を結婚式に選んだのですか?」と女房へ質問した。「主人の誕生日がゾロ目なので・・主人はいつも縁起を担いでゾロ目を選ぶんです・・なので今回のフィリピン入国もゾロ目の日を選んで・・」と女房が説明すると、面接官はチラッとファイルを見て「結構です」と言った。3番目の質問は「あなたたちが出会った正確な日付はいつですか?」というエッという内容なので、「1997年の7月ですが正確な日付までは覚えていません」と筆者がよどみなく言い、女房も「私も正確な日付は覚えていませんが、6月の半ばか終わり頃だったと思います。付き合ってすぐに香港返還のパーティーに一緒に出席しましたから」とスムースに答えると、面接官の表情がいくぶん柔らかくなり「それで結構ですよ。むしろ正確な日付を覚えているカップルの方が稀ですから」と言った。4番目の質問は「二人が移っている写真はありますか?」。よしっ!待ってましたっ!こういう質問が来ると思って女房が過去の写真を山ほど持ってきたのだ。15年前に取り壊された香港のビルや、津波で沖合に流されたプーケットのホテルを背景にした写真が沢山あるし、何より二人とも若々しく今と違って随分スリムなので時間経過を説明できる証拠になるはずだ。「これがそうです」と女房がアルバムを何冊か取り出し面接官に見せようとすると「結構です。しまってください」と面接官が言った。
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その後に続く質問は「出会ったのはどこか?」「どういう状況で出会ったのか?」「なぜ出会ってから結婚するまで△年もかかったのか?」「日本へは何回連れて行ったのか?」「子供はいるのか?」「今どこに住んでいるのか?」「なぜその場所を選んだのか」「賃貸か持ち家か?」「あなたが住んでいる家の周辺はどうなっているのか?」「今仕事はしているのか?」「どうやって生計を立てているのか?」であった。全ての質問が終わると、面接官は「では面談は終了です。この宣誓書に記入した後公証人の認証(ノータライズ)を貰ってから私に提出してください。それからアナタが見せてくれた日本の銀行口座に関する資料(英文の銀行残高証明書と預金通帳)のゼロックスコピーも私に提出してください」と言った。宣誓書には、夫婦が出会った場所と時期/結婚した場所と時期/現在の居住地と居住開始時期/夫婦の過去の結婚歴、の記入欄と、下の方に署名欄がある。「1階の総合受付の裏に無料の公証人がいます。そこで認証してもらったら4階に戻ってきて私の秘書(小太りのオヤジのこと)に渡せば良いですよ。」と言って退室を促された。ちなみに1階の無料公証人(パブリック・ノータリー)はなかなかの美人でテキパキと仕事をしてくれる。なんだよ・・無料の公証人がいるんだったら隣のビルの公証人に金払う必要なかったな・・300ペソ損した。エレベーターで4階へ戻ると、小太りのオヤジは筆者のファイルを広げてパスポートコピーやビザ申請書などを抜き出しホチキスでパチンと綴じている最中であった。7枚(=7種類)くらいあったと思う。それから「あんたこれから指紋押捺に行くんだろ?そのためにはこの書類一式が必要なんだよ」と言って書類の束を筆者に手渡した。
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永住ビザ獲得への道(5)申請終了編

コピーを思い切り濃く印刷して15番カウンターに渡すと、たまたま席が4人分空いたので腰かけて待つことにした。しかし何故この連中は全ての書類を一旦最後までチェックして、不備な点をまとめて申請者に教えることができないのか・・・。工場の流れ作業のように1枚1枚の書類担当が分かれているのか?、それとも何人もの審査官で同じ作業を繰り返しているのか?この混雑具合から見るとたぶん両方同時並行でやってるのだろう。それから待つこと1時間、筆者の番号が書き出された! よおぉし!・・アッ・・また15番カウンター・・脱力・・これで5回目・・。カウンターのネーちゃんが「あなたの奥さんのパスポートを提出してください」と言った。お前なぁ・・だったら一番最初の段階から配偶者のパスポートを提出しろって言えばいいだろうが!。とその時ぼんやりと筆者の脳裏に疑念がわいてきた。この連中は能力的に仕事が遅いのではなく、能力を駆使して仕事を遅くしていのではないか。昔のソ連のコルホーズや国営工場と同じだ。仕事を遅くすれば残業代が貰えるし、職務が停滞するのは人員不足のせいだと声高に叫べば失業することはないし、職員数が増えればヒラ職員も昇格のチャンスが出てくる。それに政府部門は民間企業と違って倒産する可能性は全く無いので、あとは出来るだけ合理化・効率化の邪魔をして、職場で仕事をしてるフリをしながら定年退職まで居座り続ければ良いのだ。そういえば筆者が辞めた会社もこの手の奴らが結構いたけど・・・。
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従妹が「ヤマは越えたと思う・」と言い出した。移民局が言ってくるクレームがチマくなってきたからだと言う。本当かよ・?そのうち「私のマニキュアが剥がれちゃったから、柔らかい紙に印刷し直してください」とか言ってくんじゃねーか・・とか従妹と冗談を言い合っているうちに、目の前で筆者の番号が書き出された。カウンターは・・エッ?アッ!おーっ!信じられない!ついに16番カウンターだ!女房がガッツポーズをとった。筆者が行くと事務員に嫌味を言って全てをぶち壊しかねないので、女房と従妹が窓口に向かい何やら話し込んだ後、従妹がこっちを振り返り親指をグッと立てた。OKサインだ!。朝9時半に入場してから6時間半、書類を突っ返されること5回、公証人事務所に行くこと2回、ついに申請が受理された。16番カウンターで請求金額の書いた紙を受け取り、その足で会計窓口に向かい10,780ペソ支払うと、領収書を2種類渡された。会計窓口のオバンが領収書のゼロックスコピーを取って16番窓口に渡してこいという。(何で申請者が使い走りをしなきゃいけないのか・・と今は頭に来ているが、その時は妙な達成感に満たされていたので気が付かなかった)。
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移民局のビルを出て車に乗り込み領収書を見ると、1枚目には①料金明細、②次回の面接の日程と面接官の名前、③指紋採取の日程(また採るのかよ・・)、④13Aビザの発行予定日、が書かれている。料金明細の一番下にACR-ⅰカード費用とあるが、これは外国人が60日以上フィリピンに滞在する場合に取得が義務つけられている身分証明書のことである。筆者は3週間後に滞在60日目になるので、近所の移民局支部に申請しに行かなきゃな・・でも面倒だな・・と思ってたので、こっちが頼んでもないのにカード発行の手続きしてくれたことに少し感謝した。さて2枚目を見ると料金明細にExpress Lane Fee(Certification)、Express Lane Fee(Filing)・・などエクスプレスの名称の費用が4つ並んでいる。総額2500ペソ。なにっ!エクスプレス?6時間半も待たせてスピード料金?しかも4種類だとぉ・・!!(怒)。この移民局のあまりの面の皮の厚さにあきれ果てた筆者ら一行は、今日一日の疲れもあり寄り道もせず真っ直ぐ家路へと急ぐことにした。
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永住ビザ獲得への道(4)たらいまわし編

「あなたの観光ビザは8月10日が滞在期限日になっていますが、この日までに永住ビザ(13A)は発行できませんので、両方のビザの空白期間を埋めるために観光ビザを延長する必要があります。」。 はぁ・・じゃあいつごろ13Aビザ貰えるんですかね・・と聞くと、「それは分かりません。今から32番カウンターに行って観光ビザ延長の手続きしてください。ハイ!次の人!」と会話はこれでお終い。チェッ・・何でさっき共同声明書の認証忘れを見つけた時に一緒に言わねえんだ!とムッとしながら32番カウンターにいくと、なんか陽気な感じの男が「観光ビザ延長の手続きは1時間かかるよ。」とケロッと言った。おいこれじゃ午後までかかっちまうぞ・・とウンザリしてきたが、文句言っても時間が早まる可能性は無いので、パスポートを陽気な男に預け、2か月分の延長費用4800ペソの支払いを済ませると一行で昼食に出かけることにした。
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あのスピード感覚じゃ1時間では無理そうだな・・ということで、マラテの日本料理屋でゆっくり時間をかけて昼食をとることにした。同行人たちは刺身が美味い美味いと何皿もオーダーし、赤ん坊がテーブルに乗っかるのを皆でワイワイ囃し立てたりとお楽しみの様子で、これは筆者にとってもいい気分転換になった。1時間半たってから移民局に到着、ビザ延長は・・意外にも完了していた。16番カウンター付近に戻ると、午前中と打って変って人でごった返している。まいったなー・・。15番カウンターのねーちゃんに延長ビザの押されたパスポートを渡し、空いてる席が一つもないので立ったまま待つことにしたが、15分・・30分・・いくら待っても16番カウンターは担当が昼飯にでも出かけたか誰もいなかった。隣ではインド人があまりのスピードの遅さに痺れを切らしたらしく「こいつらアウトだ」とブツブツつぶやいてる。それから1時間たってやっと筆者の待ち番号が!・・また・・15番カウンターだよ。「警察証明は後から提出します・という声明文ですが、提出先の記述が抜けてます」と言って書類を突っ返してきた。こいつらいい加減にしろよな・・提出書類の不備見つけるよりも記入サンプルを作って机に張り出せよ・・そうすりゃ一発で終わるんだ!書類突っ返されんのこれで3回目だぞ・・と心の中で悪態をつきながら、記述を間違えた公証人に文句を言うために隣のビルへと急いだ。
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笑顔でなく怒り顔で修正した書類を15番カウンターに提出したが、事務員のネーちゃんはどこ吹く風といった感じ・・こんなの慣れっこなんだろう。立ったまま待つこと30分、おー!やっとこさ筆者の待ち番号が!・・でも・・またまた15番カウンター・・これで4回目・・。無間地獄に陥ったような気分だ。「あなたパスポートに押されたフィリピンの入国スタンプの色が薄くて、ゼロックスコピーだと見えにくくて判別できません」とパスポートとコピーを突っ返してきた。はぁ・・これは幻覚かな・・いったいコイツはいったい何を言うとるんだ・・!ハンコ押したのはお前んとこのマニラ空港支部だろがぁ!そんなのお前んとこのコピー機で濃い目にコピーすればいいじゃねえかぁ! とさすがにこれは抗議したが、「コピーを持ってくるのは申請者の義務ですので、あの奥にある小部屋にコピー機がありますから料金を払ってコピー撮ってきてください。ハイ!次の人!」と全くもって暖簾に腕押しなのである。ふと見ると15番カウンターの横には「窓口業務は4時30分で自動的に終了します」と書かれた張り紙が・・・。おい・・ちょっと待てよ・・・。その時「今日はおしまいです。また明日」とストンとカウンターが閉じられ、毎日移民局に来ては書類を突っ返され途方に暮れる筆者の姿が脳裏に浮かんできた。
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永住ビザ獲得への道(3)書類後出し請願編

二日後、朝8時30分に日本大使館に到着し、ケソンシティーの警察本部で指紋を押捺した書類を事務員に渡すとともに、大使館発行の「警察証明書の引換券」を貰い、9時30分にイントラムロスの移民局本部に着いた。ただし警察証明書のオリジナル入手は2か月先になるので、今日行ったって申請できる訳ないのだが、女房および親族と出来る/出来ないの賭けをしたので一応来ることにしたのだ。一昨日同様に移民局ビルの前には「ノータリー(公証人)」と叫ぶ客引きがウヨウヨしており、奴らをかき分けて総合受付を目指すと、カウンター内には一昨日のいい加減なあんちゃんがいたので嫌味ぐらい言ってやろうと奴の列に並ぶことにした。5分待って自分の順番が来たので開口一番「あんたは日本大使館に行けば警察証明書すぐに貰えると言ってたけれど、実際は2カ月かかるんだよ」と言ったが、相手は、ああ・・そうなの・・へー・・みたいに平然としている。女房の従妹が「この引換券が日本大使館に申請をした証拠です。2か月後にオリジナルを提出するから13Aビザの手続きを今日やりたいんだけど」と頼むように言うと、あんちゃんは「うーん・・」という感じでちょっと唸った後「じゃあさ、日本の警察証明書は後で出すことを約束します、という内容の声明文を作って公証人の認証を貰って来てよ。そしたら今日申請出来るからね。」と言った。エッ・・従妹の言った通りフィリピンの役所って案外いい加減に出来てるな。どうやら賭けは筆者の負けらしい。
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客引きの後をついて移民局の隣のビル(Bank de Oroが目印)の1階にある公証人事務所に到着。ただ事務所と言ってもビルの中にあるのではなくて、ビルと川岸の間の空きスペースにテント張って開業してるだけなんだけどね。粗末な席に着くや公証人の親父が筆者の書類を点検しはじめ、これとこれとこれがね・・と公証人の認証が必要な書類や不備な点を説明し始めたが、こんなテント暮らしの雲助公証人のいう事なんて当てになるか・・と親父の言うことは全部無視して、移民局のあんちゃんが言ってた声明文だけ作成を依頼した。親父はオーケーノープロブレムとか言いながら秘書役の眼鏡の女に何やら指示をしたところ「警察証明書の発行に時間がかかるので、移民局へは後から提出することに責任を負います」という文書があっという間に出来上がった。俺と親父が話している時はアイフォンばっかり見てたけど、このメガネ女は仕事が早い。費用は300ペソ。支払いを済ませると、親父は陽気な声で「何か書類が足りないと言われたらウチに来なよ~」と言った。
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移民局の総合受付に戻り公証人の認証入り声明文を見せると、「書類はこれで良し。では15番の窓口に行って」というので、パスポートや銀行通帳ほか全ての書類を15番カウンターのネーちゃんに提出し、筆者の待ち番号を貰った。15番カウンターは書類審査の受付窓口で、隣の16番カウンターに待ち番号がボードに書き出されると申請は受理されたことになるらしく、後日の面接スケジュールが書いた紙を渡され、はい今日はお終いです、お帰りくださいとなるらしい。朝早く来た甲斐があって移民局は結構空いてるので、まあ1時間くらいで終わるかなと思って女房と無駄話をしていたが、その実1時間たっても筆者の待ち番号が書き出されない。遅いなぁ・・とイライラすること更に30分、ついに筆者の待ち番号が16番ではなく15番カウンターに書き出された。何だろうと思って行くと「夫婦共同の声明書に公証人の認証が押されていません」と書類を突っ返された。今から公証人のところに行って認証貰って来いということだ。あら~・・あの雲助公証人の言ってることは本当だったのだ・・でも移民局のホームページには声明書には公証人の認証が必要だとは書いてないんだけど・・。従妹を公証人の元に走らせてから20分後、認証のつかえた声明書を15番のネーちゃんに手渡すと「じゃあそこでちょっとお待ちください」と言われた。書類も直したしそろそろ終わりかなと思って待つこと1時間、だんだん移民局も人が増え始めて空き椅子が無くなりつつある。やっと筆者の待ち番号がボードに・・と思ったらまた15番カウンターだった・・・・。
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永住ビザ獲得への道(2)のっけから流浪編

パサイの日本大使館に向かう車中で筆者の頭をよぎったのは、そんなに早く警察証明書を入手できるのかな・・との疑問である。まあ大使館には警察庁からの出向者が必ず常駐しているし、警察の個人情報データベースはオンラインであちこちつながってるので作業的には5分もかからないだろうが、大使館の親玉は日本の役所の中でも最もダメな外務省である。真昼間から他国の外交官とワインを飲んで酔っ払い、そのまま平然と家に帰ってしまうような連中だ。たぶん2~3日、下手すると1週間はかかるだろうなぁ・・と思いながら大使館に入館した。
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さて領事部の窓口で人の良さそうなフィリピン人の事務員に要件を告げると、申請書と升目がいっぱい書かれた紙を2枚渡してくれた。申請書に記入した後で「いつ警察証明書を発行できますか」と事務員に聞くと「最低1か月半はかかりますよ」と答えてきた。あの移民局のアホめ・・・テキトーなことぬかしやがって!。それに日本大使館も1か月半もかかるとは何たる怠慢さだ!と腹が立ったが、目の前にいるフィリピン人事務員に文句を行っても仕方がない。ムッとしながら申請書に記入し事務員に手渡すと「ではこの(升目の入った)紙を持って今からケソン・シティにある警察本部に行ってください」と言う。「エッ?何でですか?」「あなたの指紋を採取するのです。ここでは採取できませんからね」「何のために?」「日本の警察に送るからですよ」「どうして?」「犯罪記録を調べて警察証明書を発行するためです」。つまり単に個人データだけを検索するのではなく、今現在も全国で捜査中の未解決事件の指紋証拠とも照合するということらしい。はぁ・・そこまで調べるのか・・だから1か月半もかかるのか・・と少し納得した。でもこれって指紋押捺の強制と同じじゃないか・・。「ケソン・シティの警察本部は3時までなので、今ならぎりぎり間に合うかもしれませんよ。指紋を押した後この紙を持って、また大使館に戻ってきてください。そこから申請手続きの開始となります」。
no crime

今度は車で警察本部へ移動。本日2度目のたらい回しに同行の親族たちも何かご機嫌斜めである(別に来てくれと呼んだ覚えはないんだけどね・・)。ところが物凄い交通渋滞で3時どころか5時に到着できるかどうかも怪しくなってきたが運転している従弟ジェンジェンには全然焦っている様子はない。「今日は時間的にアウトだから警察品部は諦めて家に帰ろう」と言ったが、「特別なコネで警察を待たせてあるから大丈夫だ」という。結局5時ちょっと前にケソンシティ(というよりもクバオのサントラン・アナポリス駅の横)の警察本部に到着したが、この警察本部って日本の警視庁みたいな1つのビルなのかと思ったら、いくつもの建物が広大な敷地に分散している大学のような造りになってるので、指紋押捺するラボラトリー(セキュリティゲートで警備員に聞いた)が一体どこにあるのかさっぱり分からない。ラボラトリー!フィンガープリント!とか通行人の警察官に聞きまくり、あちこち走り回った末にやっとラボラトリーに到着したのは締め切りを2時間も過ぎた後だった。ところがである・・・!ジェンジェンの言う特別なコネのおかげてラボラトリーの職員は来帰宅せずに全員筆者の到着を待っていてくれたのだ。
*後日談:女房が何故か警察本部のラボラトリーの案内図を持っていたので写真アップします。でもここには締め切り時間は3時じゃなくて5時って書いてある・・どっちが本当なのか???です。
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警察本部の鑑識ということで、白衣を来た学者風の研究者と制服姿の警察官だらけの重苦しい職場を想像していたが、いるのは全員普段着のオッチャンとオバちゃんたちばかりで、警察と言うよりも近所の床屋という雰囲気である。「まあソコに座りなさい」とけっこう美人なオバちゃんに言われ、「この紙に記入してね」と渡されたのはフィリピン警察の名前が大きく書かれた指紋採取書。あれ?俺が持参してきた日本警察向けの指紋採取書じゃなくてフィリピン警察の採取書に捺印して日本に送るのかな・・と思ったが、状況が良く分からないので大人しく名前・身長・体重から目の色・体型などを書き込んだ。その後待つこと5分、昔のガリ版印刷機みないなモノを担いでオバちゃんが現れ、そこに黒インクをべとっと落としローラーでグルーンと引き伸ばし始めた。「じゃあ指を出して」と言われるやオバちゃんは筆者の手を握り(ちょっと嬉しい)、人差し指をグリグリとインクに押し付けた後、フィリピン警察の指紋採取書の方へ指をなびる様に押し付けた。そうして左右全ての指の指紋を取り、これで終了と思ったのだが、「じゃあもう一枚やるわよ」と日本の指紋採取書を取り出した。あれっ・・結局こっちも指紋採るの?じゃあ今やってたのってフィリピン警察のため・・?日本警察に続いてフィリピン警察からも指紋押捺を強制されたってことか・・?との疑念が頭をよぎったが、筆者は犯罪とは縁が無いし・・まあいいか、それにオバちゃんカワイイしな・・とフィリピン警察の方は許すことにした。
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警察本部からの帰り道、今日の出来事を女房および親族と振り返り、「どうも13Aビザの申請は2か月は延期だね。明日大使館に行って指紋採取書を提出しても、発行までに最低1か月半はかかるみたいだからな」と筆者が言うと、「そんなことはない!」と全員が言いはじめた。「だけど書類が揃わないと進まないのが役所だよ。しかもフィリピンの住民票ならともかく外国の警察証明書なんて後出し出来るわけないだろ」と反論すると、従妹の一人が「ここはフィリピンなの。役所もいい加減だけど申請する側もいい加減だから、お互いに融通が利くように出来てんのよ」と訳が分からないことを言う。出来る出来ないで問答を繰り返しても答えが出ないので、じゃあ明後日(明日は都合が悪かった)移民局に行って申請できるかどうか賭けてみようじゃないか!ということになった。申請が出来れば筆者の負けで全員に豪勢な食事をおごり、申請できなければ筆者の好きなモノを皆で金出しあってプレゼントしてもらうルールである。さあ・・どっちにでるか・・何を買ってもらうか・・明後日が楽しみである。
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永住ビザ獲得への道(1)書類集め編

マニラ市内イントラムロスにある移民局本部に永住ビザ(通称13Aビザ)の申請をしに行ってきた。この13Aビザというのはフィリピン国籍の配偶者を持つ外国人向けで、1年間は仮永住扱い(13A)なのだが、何事もなければ1年後に仮が取れて正式の永住ビザ(13B)になるという代物である。さてこのビザ取得のために必要な書類なのだが、フィリピン移民局のホームページ(www.immigration.gov.ph)では下記の8種類と書かれている。

1.配偶者からの依頼書
2.申請書(移民局にある)
3.結婚証明書(国家統計局NSO発行)
4.配偶者の出生証明書(NSO発行)
5.パスポートのコピー
6.BIクリアランス(13A申請日に移民局で取得可)
7.夫婦共同の声明書(提出書類に間違いございません)
8.滞在中の経済基盤を証明するもの
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ちょっと見た限りでは書類集めが少し面倒かな・・くらいの印象だと思うが、実はそんなことでは済まないのだ。現に多くのフィリピン在住の方々のブログでは、今日からルールが変わったからという理由で全く別の書類を要求されたり、書類の不備をつかれ何度もやり直しさせられたような事が書かれており、皆さん揃って移民局スタッフによる理不尽な扱いに憤慨しておられるのだ。彼らのブログを読んで不安を感じた筆者は、女房と義妹たちを近くの移民局支部に何度も聞き取りに行かせ、上記8種以外に「町発行の在住証明(バランガイ・クリアランス)」と「フィリピン国家捜査局発行の無犯罪証明書(NBIクリアランス)」が最近のルール変更で必要になったこと、さらに上記8の経済基盤証明とは夫婦共同名義の銀行口座(ジョイント・アカウント)でなければならず、米国ドルで最低2000ドル預金されてなければ認められないことを掴んだ。2つの書類はそれぞれの役場に貰いに行けば良いが困ったのは銀行口座である。筆者のパスポートは漢字で署名しているのだが、銀行員が漢字を判読できないとの理由から身分証明書として認められないらしく、このままでは夫婦共同名義の口座を開設できない⇒経済基盤証明を出せない⇒13Aビザ申請できない・・となる可能性が出てきたのだ。そこで女房の叔母のクラスメートに大手銀行の支店長がいると聞いたので、叔母に頼んで支店長に特別決済してもらった。こうして入国後の1か月間は、仕事以外の時間を使って諸々の準備に費やしてきたのである。
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さて筆者と女房と赤ん坊を含む親族6人(呼んだ覚えはないんだけど・・)は朝11時に移民局本部へ到着、ノータリー(公証人)ノータリーと叫ぶ客引きたち振り切り1階中央の総合受付を目指すが、10組以上が列を作っているため10分ほど待ち、やっと受付のあんちゃんと話ができた。自分は日本人であり13Aビザの申請をしたい由を告げると、このあんちゃんは開口一番に「日本の警察証明書(ポリス・クリアランス。無犯罪証明)が必要です」と言ってきた。やっぱりこう来たか!・・だけどそんな書類持ってない・・・・「そんなの移民局のホームページに書いてないぞ!」「近くの移民局支部ではフィリピンNBI発行のNBIクリアランスだけが必要と言われた」・・と無理に笑顔を浮かべながら反論したが「ルールが変更になりました」の一点張りで話が一行に進まない。さらに当方が持参した「NBIクリアランス」はフィリピンに6か月以上滞在している外国人が対象なので筆者の場合は提出不要、「バランガイ・クリアランス」は、あんた何でこんなもん持って来たの・・?という感じて突っ返してくるし、経済基盤の証明については女房単体の口座でも良くて、フィリピンペソの預金(10~20万ペソ)でも構わないんだけどね・・・と女房と義妹が近所の移民局支部から聞いたという話は全部デタラメであることが発覚(でも何で移民局本部と支部で言うことが違うの・・)。そうこうしているうちに筆者一行の背後で順番を待つアフリカ人達たちが「早くしろ!」と文句を言い始めているし、日本の警察証明書もマニラ市内のパサイにある日本大使館に行けばすぐに(?)発行してもらえますよ・・とこの移民局のあんちゃんが言ってるので、、渋々いったん引き下がり日本大使館に向かうことにしたのだが、この話もまたデタラメであることがその後すぐに判明したのである。
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映画「ホワイトハウス・ダウン」を観てきました。

日曜日にロビンソン・ギャレリアへ「ホワイトハウス・ダウン」を観に行ってきました。最初は女房と二人で行く予定だったのですが、義妹と姪も「ホワイトハウス・ダウン」を観たいと言うので誘ったところ、筆者の全く知らないところで叔母や従妹達とチビガキ、さらには姪のボーイフレンドにまで誘いが広がり、なんと成人10名+チビガキ4名=総勢14名になってしまいました。おかげで車はギュウギュウ詰めになり(どう見ても交通違反)、車内でガキがゲロを吐くなど予想外のアクシデントに見舞われましたが、1時間かけてどうにかロビンソンに到着。ところがガキたちはアニメ映画を観たいとか、叔母はタガログ語映画でないと理解できないなどと言い始めたため、女房と従妹世代グループによる調整のうえ、皆が観たい映画を勝手に見ようということになり、結局「ホワイトハウス・ダウン」を観たのは筆者と女房だけとなりました。
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さて映画の内容ですが、警官とその娘(二人の関係はしっくりいってない)がホワイトハウス内を見学している最中に謎の武装グループによる武装占拠が発生、建物内に閉じ込められた親子が大統領を守りながらテロリスト達に立ち向かっていくというストーリーです。テロの背景には戦争で息子を失った大統領側近の復讐心、大統領が推し進める平和条約を阻止したい軍産複合体の思惑、権力を狙う下院議長の野心を織り込んでいて一見社会派ドラマの風味も持たせています。とは言え銃撃戦や連邦議会の爆破、ヘリコプターによる攻撃、カーチェイスなどの派手なアクションシーンが満載ですし、コメディのエッセンス(主に黒人大統領の役回り)も加わっているので誰でもシンプルに楽しめるエンターテインメント映画になっています。ただ最近のアメリカ映画でお決まりの家族愛とか愛国心を感じさせる終わり方は食傷気味なんだけどね・・・。
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全員が別々の映画を観終ったあと待ち合わせ場所で集合。群れから外れようとする従妹やゲームセンターに入ろうとするガキ達を押さえつけながら4階の中華料理店へ移動。総勢14人でまあソコソコの料理を食べたのですが、みんな本当に楽しそうにメシ食ってるんだよね・・・。映画よりもこっちの方が素朴なんだけど温かい感じがした。それで朝から皆に文句ばかり言ってた自分をチョット恥じました。食事をこしらえるのは面倒くさい、アー嫌だ、一年中旅館暮らしをすればアンタたち(父と筆者の二人)料理作らなくて済むのにカネが無いから・・・何でアタシはつまんない人生歩んでんだろ・・・と毎日不平不満ばかり言ってる母親の下で筆者は育ったので、家族愛とか聞くと毛穴がわわわ~っと開くような嫌悪感を感じる体質だけど、婆ちゃんから孫まで大人数で食卓を囲むというのは本当は悪いもんじゃないなと今になってチョットだけ思えてきました。
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フィリピン地方政治の実情(後編)

YNARESの名のついた施設をネットで検索してみたところ、小学校と中学校がそれぞれ4校、大学が1校(写真下左)、病院が1つ、多目的屋外コートが8カ所、3000人収容の体育館(写真下右)と12000人収容のスポーツセンター(写真下下)がそれぞれ1カ所ずつ出てきた。ただしこの数字には筆者の見てきた学校や役場の一部分の建物がYNARES名になっているケースは入っておらず、こういうのを全部ひっくるめると100カ所は軽く超えるらしい。
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なるほどフィリピンで権力を維持するためには莫大な寄贈が必要なのか・・大学や体育館は相当金がかかりそうだし、バス停(写真下左)だって何百か所もあるのだから、おそらく数十億円は寄贈しているに違いない。よほどの大地主かケネディー家みたいに財閥じゃないと州知事にはなれないんだな・・と思い、「YNARESファミリーって何の商売をしているんだい?YNARESって名は経済誌ではあんまり聞いたことないけど」と尋ねたところ、姪はキョトンとしながら「何って政治家よ。ビジネスマンじゃなくてポリティシャンよ。家業は無いわ。」と答えてきた。そんなはずはない!家業が無かったら莫大な寄贈額を捻出できないじゃないか!と反論すると、お前は何を言っとるんだという顔つきで「州知事が寄贈したんじゃなくて、政治力を駆使して州予算から捻出したのよ。あとは州知事の名前を冠した基金を作って州内の市町村の予算から寄付させたりとかね」と筆者を諭すように答えた。(後日近所のイナレス運動場を見に行ったが、そこに書いてあったプレートにはDonate寄付という文字は見当たらず「〇〇町長の旗振りでイナレス州知事の行政の元に建設された」と書いてあるだけだっだ。)
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えっ? つまり・・これって税金!?・・・知事が州の予算を使って公共施設作るなんて当たり前じゃないか・・自分の名前のつけた施設をこしらえてるってこと? 日本で言えば、石原慎太郎と息子たちが都知事職を独占し、都の予算で都立石原高校とか慎太郎スタジアムとか伸晃スポーツ公園を建設してるとか、古くなった都立高校の体育館を都の予算で立て直す際に慎太郎記念体育館とかチャッカリ命名してるのと同じってことか?だいたい寄贈無しで政治家が自分の名前を生存中に学校に付けるなんて毛沢東の時代はまだしも今の中国だってありえんぞ、アラブの独裁者たちが倒れた今じゃ北朝鮮くらいじゃないか?と驚いていると、「自分のお金を犠牲にする政治家なんているわけないでしょ!ほとんどの政治家がネコババしてるんだから、学校に自分の名前を付けるくらい全然大したことないわ!それに選挙民は施設や学校が増えてみんな喜んでるのよ!」と20歳の姪にフィリピンの政治についてレクチャーしていただいたのだが、筆者はその内容と何よりも姪の口調に、この国の政治は今後100年たっても変わる事はないのだろうなぁとの思いを強くしたのである。
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フィリピン地方政治の実情(前編)

こっちに来てからバスケットボールコート(写真下左)や小学校の建物(下中)、町役場の椅子(下右)などにYNARESという文字が書かれている事が気になるようになった。筆者が出歩いているのはCAINTAとかTAYTAYという場所なのでYNARESというのは地名でもないし一体何だろうと思っていたのだが、先々週女房の実家を訪問するためリサール州を端から端に横断した際、行けども行けども全てのバス停の屋根の上に大きくYNARESの文字が書かれていたり、バス停自体がYNARESの最初の文字Yの形状をしているのを発見した(写真下下)。なんだ・・バス会社の名前か・・西武鉄道とか京王帝都電鉄が学校に体育館を寄贈したようなもんか・・なるほどね・・とその時は納得したのである。
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さて今週半ばに所要で再度女房の実家に行くことになったのだが、あいにく我が家の車は修理に出しているので仕方なくバスを使わなければならない。女房と同居人たちがどのバス会社で行くかと話しているので、筆者が「YNARESバスで行けばいいじゃないか。路線もいっぱいありそうだし」と会話に割り込んだところ、全員が「はぁ?」という顔をし始めた。発音が違うのかと思いイネアースとかワイネアーズとか言い直したのだが、YNARESの発音はイナレスで正しいがバス会社の名前ではなくてリサール州の州知事の名前だというのだ。そのあと同居人の中では一番モノ知りの大学生の姪(女房の妹の娘。かなり生意気)がYNARESファミリーについて説明してくれた。
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まず父親(下の写真左)は1992年から2001年までと、2004年から2007年までに2回(2期ではなく2回)リサール州知事を務めたのち引退したらしい。次に母親(写真中)が2001年から夫の代わりに州知事を務め、2004年に夫にバトンタッチするとリサール州最大の市アンティポロの市長になったが今年再び州知事に返り咲いている。さらに二人の間にできた息子(写真右)は2007年に父親と交代する形で州知事に選出されたが、今年任期終了となったため母親の跡を継ぎアンティポロの市長になった。もう一度言うが現在の州知事は再び母親が務めている。つまり21年もの間リサール州の州知事ポストはこの親子3人の間を行き来しているだけなのだ。またこの親子以外のファミリーメンバーもあちこちの町長や村長を務めていて、兄弟親戚同士で首長ポストの入れ替えを繰り返しているらしい。こんな一族全員がロシアのプーチン大統領みたいな政治状況を選挙民はよく黙っているなと思うが、このYNARESファミリーはフィリピンの他の州の政治家一族に比べれば相当まともな方らしいのだ。「いろんな設備や学校を作ってくれるじゃない!YNARESは立派な政治家よ!」と姪は鼻を膨らませながら言った。
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フィリピン料理が不味い

フィリピンに滞在してひと月経過したが、やはり予想した通りフィリピン料理にゲンナリしてきた。あのベチャッとした感じとピントのボヤけた味が何ともいただけないのだ。フィリピン料理の中でもティノラやシニガンなどのスープ類やレチョン(豚や鶏の丸焼き)は結構いけるのだが、アドボ(酢の味が強い肉野菜の煮込み料理)やカレカレ(ピーナッツ味の肉野菜煮込み)などの煮物系と、シシグ(コマ切れ肉と唐辛子の鉄板焼き)のような炒め物系がテーブルに出てくると意気消沈してしまう。
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フィリピンは海と平野に恵まれているから食材は豊富だし、旧宗主国はグルメ大国のスペイン、宗教は人生享楽的かつ快楽追求的なカトリック、華僑は食い物にうるさい広東省からやって来た。こう聞くとアジア有数の美食国であっても全く不思議でないのだが、筆者の評価はイギリス料理の方が若干上かなと思うほどフィリピン料理はレベルが低い。一体どうしてこんなにもフィリピンは料理文化が貧弱なのか?宮廷文化が無かったからとか中産階層の発展が遅れたからだ言う人もいるが、両方とも世界最高レベルで発展したイギリスやドイツ・オーストリア料理を食えば宮廷なんて何の関係ないことがすぐわかる。ふつうの庶民の食い意地の張り具合の方がよっぽど影響大だ。またインド文明の影響を受けていないからだという人もいるが・・・ウンこれは影響あるかもしれない。フィリピン料理ではスパイスの種類が圧倒的に少ないし、使い方も小学生の手料理みたいに全く形になってないのだ。
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筆者はフィリピンに来てから日が浅いのであんまり偉そうなことは言えないのだが、歴史・地理・文明的なアウトラインでフィリピン料理が不味い理由を論じても答えはないと思う。筆者の考えは、①フィリピン人は自国の料理を美味いと思っているのだが外国人には理解できない味覚世界である(例:全国民がブス好みとかデブ専などの特殊嗜好である)、②自国の料理を不味いと思っているが「こんなもんさ」と特には気にしていない(例:ブスでもヤルだけだからセーフという美的感覚の欠如と欲の低さ無さ)、という様なもっと単純なモノだと思う。まあ①か②のどちらかにせよ、数百年もかけて頓珍漢な料理を培ってきた事には驚きというより畏敬の念さえ感じてしまう。
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さて筆者の女房は元々料理好きであり、つい半年前までは本格インドカレーとか広東風海鮮料理などの手の込んだ料理を作ってくれるので筆者は毎日たいへん満足していたのだが、香港からこっちに移住して以降は女房の作る料理が目に見えてフィリピン化(退化)してきた。なおメイドが作る料理はとても食えたモンじゃないので食事作りは女房に命じている。退化の理由は義妹や姪っ子・メイド達の口にも合った料理を作らなければならないからなのだが、この人たちが女房の料理を美味いと感じて食ってるのかエネルギー源の採取としか思ってないのか判別不能だ。いずれにせよ筆者にとってはロクでもない料理のオンパレードの為、最近はちょくちょく外出しジョリビーとかマクドナルドとかで間食をするようになったのだが、なんだかファストフードがものすごく美味いと感じるようになってきた。今は偉そうにフィリピン料理を批判しているが、そのうちに自分自身の味覚もジョリビーのチキンが一番美味いと感じるくらいフィリピン化(退化)してしまうのではないか・・・と正直ちょっと恐れております。
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タガイタイに行ってきました。

女房の移住先候補1位はタガイタイのようです。同じタガログ語圏であり、距離的にもマニラから近いし、バギオと同じように高原都市だから筆者も過ごしやすいと思うの・・とか言ってますが、本音は親族一同のメリット(週末の別荘として使える)を考えての事でしょう。筆者は思い切りケチをつけて女房のもくろみを粉砕してやろうと思い、女房と親族数名(呼んだ覚えは全くないんだけど・・)でタガイタイに行ってきました。
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1.タガイタイの概要
マニラから高速(SLEX)で1時間半。標高700メートルに位置する避暑地で、上の写真のようにカルデラ内部が湖になっていて雄大な風景にしばし見とれてしまいました。この町を日本に例えると箱根とか富士五湖に近い雰囲気ですね。なお避暑地というので涼しいと思っていたが最高/最低気温はマニラと大して変わらないのでこれは期待外れ(下のグラフ参照)。筆者は真昼間ウォーキングに出たのですが、あまりの暑さに途中で引き返してしまいました。
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2.住宅
カルデラの頂上線(お椀のふちのように輪になってる)に沿って住宅地が広がっており、そのほとんどが庭付きの一戸建て。筆者が見たのは125平米で月25000ペソ(5.5万円)から、180平米40000ペソ(8.8万円)までの物件で、バギオに比べると割高ですがどの住宅も新しく清潔なのが気に入りました。何件か高層マンションが建設中ですが、ハリボテっぽいのと水まわりが悪そうなので見学するのは中止。土地はずいぶん余っていそうなのに、なんで山頂に蜂の巣型マンション作る必要があるのか理解不能です。
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3.買い物&食事
オリバレスカレッジ付近とお椀のふち沿い(主にピープルズパークからロビンソンまでの6キロ)にイタリア料理からシーフードまで多数のレストラン有り。日本料理店は残念ながら有りませんがレストラン環境はバギオよりも全然格上ですね。さすがにマニラの富裕層の別荘地として発展してきただけあります。ショッピングモールはRobinson’s1軒のみ。まあここで生活するとなると週に1~2回マニラかダスマリニャスに買い出しに行くのだろし、あんまり不便は感じないかもしれません。オリバレスカレッジ付近は旧市街みたいになっていて、マッサージ屋やヘアサロン、ローカル向けスーパーなどがあります。

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4.生活コストと評価
マニラ都市部と大して変わらないのでバギオより高い月20万円30万円*と算出(家賃除く)。最初は否定的な目でタガイタイを見てましたが、いろんな所を見ていくうちに緑多い郊外のお上品な住宅地であるとの印象が強くなっていき、最後の方は正直気に入りました。汚さとか臭さを全然感じないのがいいですね。交通渋滞と大気汚染の進むマニラよりもタガイタイの方がのんびりしてて長生きしそうなので、もう何回か訪問して医療関係とか生活の具合とかを深堀りしてみたいですね。追記*マニラで日本並みの文化生活をする場合30万円は必要です。
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サリサリストアの謎

サリサリストアとは2坪ほどの面積の「超」零細小売店のことで、タバコ・ソフトドリンク・シャンプーから携帯のプリペイドカードまで取り扱っており、日本にコンビニが出現する以前にはどんな街角にもあった「よろず屋」のような形態をしている。早朝から深夜まで開いているし、タバコやシャンプーのバラ売りや後払いにも応じてくれるので貧乏人にとっては大変ありがたい存在なのだが、どう見ても店主のオバちゃんの小遣い分くらしか稼げそうにない。筆者は昔から何でこんな「薄利少売」な商売がいまだに健在なのか不思議に思っていたのだが、先日サリサリには小売とは別のビジネスがあることを発見した。
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「兄ちゃん。5万ペソ(11万円)貸してくれない?1カ月で返すから」と我が家に居候している義妹が頼みに来たので快く貸したところ、その後ひんぱんに金を借りに来るようになった。まあ毎回約束通り1カ月後に返済してくるので別に文句はないが、彼女の夫は長年サウジアラビアでマネージャーを務めており、結構な給料を貰っているので金に困っているハズはない。変だなぁと思っているうちに今度は「10万ペソ(22万円)貸してくれない。10か月の分割払いで」と頼んできたので、さすがに筆者も「もしや新しい男に狂って金を貢いでるのでは?」と心配になり義妹を問い詰めたところ、意外な返事がかえってきた。
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「あたしジェニーに又貸ししてんの。いい小遣い稼ぎになるのよ!」。なんでも我が家の真向かいにあるサリサリストアの店主ジェニーは高利貸しも兼業しており、義妹はジェニーの金主になって分け前を得ているというのだ。ジェニーのやり口はこうだ。サリサリに買い物に来る主婦たちは、旦那がアブダビにいるとか、給料日がいつとか、子供の学費が高いとか、家のローンはいくら残ってる、などヒマに任せてベラベラしゃべる(フィリピンの中年女性はたいてい多弁である)。ジェニーは辛抱強く主婦たちの話に耳を傾け、何十もの家族の財政状態とキャッシュフローを把握する。やがてこの家は返済能力がありそうだと判断した主婦が短期間の資金不足に陥ると(店前での無駄話から聞き出す)、すかさず月利20%で融資を持ちかけるのだ。ただしこの時すぐに金を用意できるかどうかがミソで、ジェニーの手持ち資金が足りない時には、店の真ん前に住んでいる我が家が格好の金主と化すらしい。
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ちなみにジェニーと金主の分け前は5分5分というのがルールで、資金回収ができない場合はジェニーが全額弁済するとの証文も貰っているし、ジェニーが貸すのは家計内容を良く把握している家庭に限定しているから取りっぱぐれのリスクは低いらしい。
さて義理の妹の話を聞き終えた女房は義妹に何やら訴えはじめ、義妹は神妙な顔をしながら渋々従いはじめたのだが、「あたしの旦那を利用するのを止めて!」という道徳観に基づいた説教ではなく、どうやら「あたしにも分け前をよこせ」という至極現実的な説得であった。
こののち筆者への借金要求は義妹ではなく女房から来るようになり金額もドンと増えた。分け前の方は3者交渉によりジェニー50%、女房25%、義妹は25%で合意したようである。ただ筆者は今のところ1ペソの分け前もいただいていない身分のままなのだが・・。
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ヌエバ・エシハに行ってきました。

先週末の休みを利用し、筆者と女房、女房の親族6人(赤ん坊に毛が生えたくらいのチビガキ2人含む)、当家のメイドの総勢9人で我が家のトヨタ・イノーバに乗り込み一路ルソン島を北上しヌエバ・エシハのガパンという町に行ってきました。
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旅の目的は下の写真の真ん中にいるアダと久しぶりに会うことでして、アダは今から20年前に当時香港で大流行の飲み屋のママさんをしておられ、赴任したばかりの若造駐在員だった筆者はお客接待の場でアダにずいぶん便宜を図っていただきました。なお筆者の女房はアダの部下でありルームメートでもあったので夫婦共通の友人でもあります。アダは育児のため1999年にフィリピンに帰国した後も香港に遊びに来る度に香港の筆者の家に滞在してもらっていたのですが、2007年を最後にしばらく会っていないため、筆者のフィリピン移住を機にアダの家へ遊びに行こうということになったのでした。
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マニラから高速道路と一般道を経て4時間後にやっとガパンの町に到着、待ち合わせのガソリンスタンドで颯爽とバイクにまたがるアダを発見、彼女のナビゲートで無事目的地に到着となりました。昔から彼女は颯爽としているのが持ち味です。さて一同が荷を解くとさっそく昼食開始、地鳥や豚肉、エビを使った地元料理のほか、彼女が香港在住時代に好きでよく作っていたという広東風カニ料理を堪能しました。ルソン島中部の女は料理が美味いというのは本当ですね。
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ここでアダの娘カルナと再会(下の写真左)。数年前に香港の当家に遊びに来た時はガキンチョだったのに、いつのまにか高校生になり一人前に化粧などしているのにビックリ。いやー時間のたつのは速いなぁと今更ながら実感したのでした。カルナは高校では常にトップの成績で、将来はフィリピン大学デリマン校かアテネオ・デ・マニラ大学(東大か京大みたいなもん)に進み、卒業したら弁護士か公認会計士になるのが夢だとか。こういう人とは仲良くしといたほうが将来役に立つので、マニラの大学に入学の折には是非とも筆者の家に無料で下宿してもらおうと思ってます。
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食事の後はチビガキたちは庭で走り回り、女性陣はテーブルを囲んで世間話に花を咲かせ、筆者はアダと昔話をしたり近くに散歩に出かけたりと、各々が勝手に時間を過ごし、やがて日が暮れると夕食のバーベキューの準備を開始です。筆者は火起し兼肉焼き係に任命されましたが、ビールの飲みすぎで酔っ払い肉を焦がしたり落っことしたりしたため、女性陣の総意により解任されてしまい、その後は酔いさましに寝室で寝ころんだのですが、前日の睡眠不足もあって何と朝まで爆睡してしまいました。よって肉は食べた記憶がありません。
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翌朝二日酔いの頭で昼過ぎに起床、女性陣が隣の州のアンヘレス市に買い物に行くというので筆者も同行することにしました(片道1時間半かかる)。アンヘレスには美味い日本料理店があるらしいし、ついでに超有名な歓楽街にでもと思ったのですが、雨が激しくなってきたため結局SMシティ・クラークだけ訪問。SMではチビガキたちはミニ観覧車やトランポリンにのって大はしゃぎ、女性達はブランドショッピングを堪能した後、GERRY’Sというシーフードレストランで夕食をとり(筆者は日本食が食べたかったのに)、また1時間半かけてガパンに戻りました。
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義妹が夕方マニラで用事があるというので仕方なく翌朝10時にガパンを出発。たった2泊3日の旅でしたが旧交を温める事ができたし、ヌエバ・エシハの豊かな環境にすっかり満足した良い旅となりました。たしかにマニラに比べればモノは揃っていませんが、住宅はゆったり作られているし、食料品は安いし、都会にはない温かみというか、のんびりした感じがいいですね。
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