無頓着な男

先日フィリピンの臓器売買の日記を書いたので、ついでに今から30年ほど前同じゼミにいた星野君の怖いアルバイトについて書きたい。彼は期待に胸を膨らませて故郷富山県から東京に出てきたものの、如何せん実家が貧乏ゆえ当時の平均的仕送り額の半分も貰えず、それならバイトに精を出せば良いものを根がグータラなため、いつもピーピーしている貧乏学生であった。

さらにバクチ好きが昂じて入学後半年でフリー雀荘に入り浸る様になり、当時の貧乏学生が良くやった丸井カードのキャッシングを繰り返し続けた結果として性質の悪い学生ローンに手を出し、多重債務者への道をまっしぐらに進んでいたのだが、ある時久しぶりにゼミに姿を現した星野君の姿を見て一同騒然となったのだ。

赤い斑点が顔中に出来ているのだ。遠目に見るとニキビのようにも見えるが、20歳を超えているからそんなはずも無いし、それに初夏だったのになぜだか長袖のシャツを着ているのである・・。それで教授の講義を聞いている間中「星野はシャブに手を出したな」と筆者は思っていたのだ。

その半年前にヒッピーの聖地インド・ゴアのアンジュナビーチで1か月間ラリパッパな生活をしていたおかげで筆者は薬物中毒者の特徴がある程度判ったのである。それでゼミが終わった後に他のゼミ生と一緒になって星野君を問い詰めたところ、いやいや違うよ、オレは投薬実験のバイトをしているんだ・・と白状したのだ。





ひょっとして鳳仙診療所か?と顔を見合わせる筆者ら問い詰めグループ。このクリニックは日刊アルバイトニュースに「日給3万円」「お気楽に稼げます」「即日対応OK」という謳い文句で募集をかけているが、一度フォーカスかフライデーで恐怖の片鱗が暴露され「あそこに行ったら人生お終い!」と誰からも恐れられていたのだ。

驚愕した半面興味津々の筆者らは一体どういうことをされたのか?と星野君に聞いたところ、診療所の受付で「なにが起ころうとも訴えません」という書類に捺印させられた後で奇妙な錠剤を飲まされ、後は頻繁に血を抜かれたり血圧や脈拍を調べられたけれども後はベッドの上に寝てるだけなんだ・・と何でもないような口調で言う。

お前それヤバいんじゃないか・・と言ったが、星野君は「大丈夫だよ、オレの前に犬や猫で実験して大丈夫だったんだから」とちょっと常人の理解の及ばぬ返事をする。それに星野君はすでに投薬実験で生計を立てるようになって久しいらしく今さら止めても遅かったし、他に借金を返せる術があるわけではない・・。

こいつに何を言っても無駄かも・・と思った筆者らは星野君にもっとマトモなバイトに切り替えるよう説得するのを止めてしまい、その後もゼミで会うたびに彼がフラフラしているのを見かけることになったのだが(売血に手を出していたのかもしれない)、ある時彼が「いてて!」といってシャツをめくると脇腹の位置に真っ赤な脱脂綿が見えた時にギョッ!となったのだ。





「自分で抜糸をしたのがまずかった」と言う星野君。抜糸って?おまえ手術でもしたの?それを自分で抜いた?と一体どこから質問して良いのか判らなかったが、ゼミ生全員は口では「あいつ新しい縫合糸の実験でも受けたのだろう」という処で留まったが、当然ながら頭の中では「奴は禁忌の領域に足を踏み入れたのでは・・」という疑念で一杯だったのである。

その後筆者はタイに2か月ほど旅行に行ってしまったのだが、後でゼミの友人に聞いたところ星野君の「人口骨折って指より腕、さらに足だといい金になるらしいんだけど、しばらぅ拘束されるらしいんだ」という話を聞いて全員凍り付くとともに、コイツはもう遠くへ行ってしまったんだな・・と思ったそうである。

さて当時の日本はバブルの真最中で大変景気が良く、大学より雀荘にいる方が遥かに長かった星野君と言えども一部上場企業くらいは簡単に内定を戴けたのだが、なぜだか彼は故郷の富山石油とかいうしょぼい会社に就職を決めてしまい、そして卒業コンパ以降まったく音沙汰が判らなくなってしまったのだ。

さて星野徹(ほしの・とおる)君、こういう表現は失礼だがキミは昔から自身の身体だけでなく人生設計もかなりぞんざいな所があったが、今は奥さんと子供に囲まれて故郷高岡市で幸せに暮らしているのだろうか?もしもキミがこの日記を読んでいるようなら近況を知らせて欲しい。それとももう角膜を売ってしまったかね?






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重慶森林

筆者が香港に初めて赴任した頃に向こうで封切られて評判になっていた映画がウォン・カーウァイ監督の「重慶森林(日本名:恋する惑星)」である。独特のカメラワークにアンニュイでポップな感覚、4人の登場人物の刹那的な生き方は当時の筆者が感じた香港そのものであり、今でもこの映画を見る度にあの何もかも新鮮に感じた時期を思い出すのだ。

映画の舞台になった重慶マンションは繁華街尖沙咀のネイザン通り沿いにある17階建てのビル5棟連なる巨大な建築物で、地下から地上3階までは有象無象の店舗が軒を並べる商店街、そこから上は客室数20程度の小規模なゲストハウス(安ホテル)が各フロアにびっしり犇めいていて、おおよそ4000人の旅行者が住み込んでいるアジア屈指の人間交差点だ。

当時筆者が住んでいたアパートは重慶マンションから歩いて5分ほどの距離にあったから、週末にペニンシュラやハイアットホテルのバーで飲む前に時々ここに寄っては行き交うインド、パキスタン、アフリカ人など眺めてエキゾチックな雰囲気に浸ったものだが、その2年後に筆者は仕事でここに出入りするようになってしまったのだ。

意外に思われるだろうがこの猥雑なビルは実はアジア貿易で案外と大きなウェイトを占めているのである。例えばあなたがニコンやオリンパスの営業部員で、カイロやイスタンブールの正規代理店から「お前んとこのデジカメがやけに安く大量にこっちに流れてきているぞ!お前はウチの会社を潰す気か!」との抗議を受けたとしよう。

それでその製造番号からルートを辿っていくと、どうもコイツは在庫過多でにっちもさっちもいかなくなった時にショッタレ品専門のブローカーに売りさばいたモノであり、インボイスを良く見ると荷揚げ地は香港になっていて、そこを探っていくと結構な割合で重慶マンション、あるいはここから半径100メートル範囲内にあるエラくしょぼいカメラ屋に辿り着くのだ。





狭苦しい店内にはデジタルカメラが所狭しと並んでいるが、値札を見ると大して安くもないし店主らしき頭にターバン巻いたオヤジは愛想が悪い。しかし試しに「ニコンの○○型を10ダース買いたいんだが幾らだ?」と聞けば忽ちターバン頭は電卓に数字を打ち込みはじめ、長い論争の末にめでたく商談成立となれば助手らしき若いインド人が何処からか大箱を担いでやってくるという商売なのである。

この重慶マンションはバンコクのカオサン通りのようなバックパッカー向け安ホテル街のように思われているが、実は3階までのしょぼい店はその貧相な外観とは裏腹に結構な規模の問屋も兼ねていて、その昔田舎から買い付けに来た商人向けの木賃宿がズラーッと立ち並んでいた上野・御徒町をよりグローバルかつ思いっきり金にセコくしたと思っていただくと良いだろう。

香港はフリーポートで輸入税・消費税がかからない上にニセモノや違法ソフトなんかも実質取締りゼロだから安く仕入れたいのならば香港を置いて他にないのだ。そしてインドやパキスタン、トルコにモロッコ、南アフリカなどから来た一発勝負の買付人は重慶マンションに陣取って1回あたり2~300万円くらいのブツをハンドキャリーで故国へと持ち運ぶのである。

そういうのを毎月繰り返していけば結構な販路を築けるし、抜け目のない奴は故国での販売は奥さんや弟に任せて本人は香港に居ついてしまい、今まで13階の南京虫宿にいた運び屋もいつの間にか2階の商店街に店を構えはじめ、電話一本で世界中に似た者相手にウン千万円の商売を転がすご身分へとカーストアップしていくのである。

例えば筆者の客だったアリーがそうだ。こいつはパキスタンのラホール出身で、デジタルカメラからDVDプレーヤー、携帯電話にラップトップパソコン、違法ソフトまでかなり手広く商売をしていたのだが、こいつの秘訣は各国の税関のお偉いさんにたんまり鼻薬を嗅がせて密輸をお目こぼししていただいている他に空白地帯を巧く見つける才能にあったのだ。





例えば彼の故郷ラホール一帯である。ここはパシュトゥン人が多く住むエリアで、最大都市カラチのパンジャブ人とは人種も商圏も微妙に違うのだが、外国企業はこういう点を見抜けないからカラチの取引先にパキスタン総代理店の地位を与えてしまい、結果としてラホール一帯はいくら頑張ってもシェアがちっとも伸びない一種の空白地域になっているのだ。

アリーはそういう隙魔を目ざとく見つけてはショートカットの販路を築き、筆者のような外国企業と直談判して正式ではないがお目こぼしを戴く裏代理店的な地位を確保するのだ。当然カラチの正規代理店からは文句を言われるが、放っておけばパシュトゥン人地域は他社に盗られてしまうのだから間に筆者も一段別会社を噛ませて誤魔化したのだ。

インド・カルカッタじゃボンベイの正規代理店経由の品物よりもバングラデッシュから密輸で入った方が多いんだとか、東ヨーロッパも昔はウィーン経由だったが今はイスタンブールの保税区からブルガリア経由で横流しだね、中南米はパナマよりもマイアミ経由の方がリスクが少ない・・などと激しい価格交渉の合間に聞かされた筆者はビジネスのアウトラインを脳内に型どって言ったのだ。

しかし昇格すればもっとまともな会社を任されるもので、2年後にはさっそうとニューヨークへと飛んで、顧客とディナーを囲みながら億単位のビジネスなど話すようになったのだが、不思議な事にあの重慶マンションの猥雑で狭苦しい店で電卓片手に喧々諤々ネゴしていた時のように自分が世界とつながっている感覚はあまりなかったのだ。

ユダヤ人の諺に机の上から世界を眺めることほど危険な事は無い!というのがあるが、あのずる賢いインド人やアフリカ人が行き交うビルにはまさしく生きた経済があったと思う。最近の日本では和僑とか称して海外に飛び出す人も多いようだが、立派なオフィスを構える前にまず最初に香港・重慶マンションに出向いて地の底から這い上がって来た連中相手に腕を磨いてみることをお勧めする。






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首が伸びちゃった田舎娘

フェイスブックを見ていたらタイ人のノーイが日本料理を美味そうに食っている写真が何枚もアップされていた。場所はタイ東北部イサーンと称されるド僻地の中心都市コーンケーンのお好み焼き屋で、住んでいるロイエット県(ものすごい田舎)から買い物に来たついでに友達と一緒に昼食を摂ったらしい。

タイじゃ日本料理がブームなのに一体何が珍しいのか?と思うかもしれない。筆者も他の女なら別段気にもしないが、この写真を見た瞬間に今から30年前のバンコクでの一コマを思い出したのだ。場所はサイアムスクエアにあった大同門という焼肉屋で、一緒にいたのはノーイの母親アイと仕事仲間のニーである。

アイとニーは当時バンコク中央駅フアランポーンのロータリーにゴザを広げて酒とソムタムやツマミを売っていたイサーンからの出稼ぎ女で、筆者は同じジュライホテルに陣取った仲間たちと毎晩のようにここに訪れては安酒で気炎を上げていたのだが、彼女たちが翌日に映画を見に行くと言うので一緒に行くことにしたのだ。

何の映画を見たのかなどとっくに忘れてしまったが、今でもよく覚えいるのはその後で一緒にメシを喰おう!と言う事になり、筆者が週2回のペースで通っていた大同門のドアを開けたのだが、席に着くなりアイとニーの異変に気付いた。物凄く緊張していて首が伸びちゃってた事だ。





同行したUさんが「この娘たちにとってエアコンが効いてる店はすごく敷居が高いんだよ」と言ってもまだタイの田舎に言った事が無かった筆者には??だったのだが(売春宿への身売りが蔓延るくらい貧しい地域だった)、カルビやロースを目の前で焼いて彼女たちの皿に取り分けてやっても何も食べない・・、いや食べるどころか何も話さないのだ。

こりゃ参ったな・・と思って大同門の従業員に「ちょっと君たち!彼女たちに食べ方を教えてやってくれないか!」と頼んだが、説明する店員は標準的タイ人でアイとニーはイサーン人(東北部のラオス系住民で少数派なため一段低く見られている)なためか、店員の話を聞けば聞くほど一層心を閉ざしていく・・。

こりゃダメだ!そう言えば同じイサーン人の店員がいたな!あの店員なら話しくらいはするだろう!と無理やり呼び出して、彼女からイサーン語で説明してもらったら、さすが同胞なのかアイとニーはもの凄く口数は少ないものの話を聞いて頷くくらいはするようになったが、相変わらず料理には手を付けようとしない・・。

やっぱり彼女たちには大衆食堂のカオパット(焼き飯)くらいしか食えんのだ!と言うU氏。なんでも以前ピザハットか何処かに連れて行こうとしたら入口で体が固まったまま動かなくなってしまった前科があるらしい。だったら最初に言ってくれよと・・と思ったが、そこで奇跡が起こったのだ。





イサーン女店員が運んできたユッケがテーブルに置かれるやアイとニーの目が釘付けになったのである。えっ?こんなもん気持ち悪くて食わないんじゃないの・・と思ったが、二人とも恐る恐るフォークを使ってユッケを口に運ぶと・・。これがもう堰を切ったようにご飯とユッケだけをガツガツガツガツ・・と喰い始めたのだ。

筆者は全然知らなかったのだがイサーン人は生肉が大好物で、これを見ると涎が止まらなくなるらしい。それでまあユッケだけは見事に平らげたのだけれども、それが終わった後は再び首が伸びちゃった状態に戻ってしまい、結局他の肉類には最後まで手を突けずにお勘定となったのだ(店を出た後はリラックスしたのか急に多弁になった)。

そのアイの娘ノーイがお出かけついでに日本食を喰うようになるとは・・。あの当時は日本料理店と言ったら日本人くらいしか客が入らなくて、そこそこ所得のあるタイ人をお誘いしても一口喰うなり「なんだ!ちっとも辛くねえぞ!味がしねえじゃねえか!こんなもん食えるかー!」と怒り出したもんだけどね。

昨年秋にタイを再訪したらチェンライにも日本料理屋があって、タイ人の一家が美味そうに寿司とか天ぷら食ってるのを奇矯な目で見ていたが、ついにド田舎の娘たちまでごくごく当たり前に日本食を喰うようになったのか・・と何だかしみじみした思いでいるのである。






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高級ブランドの産地偽装

毎年9月に香港で大きな交易展示会があって、このミンフン社も3コマのブースを確保して出展しているのだが、ふつうどの会社もアイキャッチのためブースの外にショーケースを並べて、デジタルカメラ付きとか液晶パネルが七色に発光する時計をこれでもか!というくらい並べているのに、ミンフン社だけは何もないのだ。

ショーケースに商品が置いてないのではなくブースの四方八方にショーケース自体が無いのである。それはまるで巨大な段ボール箱が一個ボン!と置かれている様な見てくれで、外壁に「ミンフン」と書かれたロゴが辛うじて見つけられるのと出入り口が1つあるだけで、紺のスーツを着た白人がそそくさ出入りする時以外は入口は固く閉じられているのである。

言っておくがアジアの展示会とは言え3コマの出展なら600万円くらい費用が掛かるのである。それで最初から新規の顧客を掴む気が無いのなら会場の上にあるグランドハイアットホテルのスイートルームでも借りて、そこで既存のお客と商談をすれば良いのに、一体この会社は何を目的にこんな不気味なブースを立てているのか?と訝っていたのだ。

それでミンフン社のオフィスに出向いた際には相手の口から何処の会社と取引をしているのか?を聞き出そうとしたものの、これが信じられないくらい口が堅く(ふつう香港人はこっちが何も聞いても無いのに自分がどの国相手に商売しているのかベラベラ話し出すものである)、何を聞いてもはぐらかすのである。外部機関の調査報告書を入手しても財務状況が大変よろしい以外は何一つ尻尾がつかめない。





ミンフン社のオフィスには数十人の開発スタッフ、しかも工業製品の場合だと価格帯が上がるにつれて人数が増えていくデザイナーがかなりいるから相当有名な客先を掴んでいるはずなのだ。それで変だなあ・・と思っていたのだが、ある時液晶パネルの外観不良という品質問題が発生していまい、運良く担当者が海外出張中だったためピンチヒッターとして筆者がミンフン社の中国工場へと出向いたのである。

液晶の外観不良と言うのは主観的な面が大きいため「ここまでは不良でこれ以上は良品」の判定調整が難航したのと、さらに彼らの工員たちを借りての検品作業を指揮しなければならなくなったため三日三晩泊まり込みとなってしまったのだが、ある時筆者とタッグを組んでいたミンフン社の女主任が「この状態でも不良認定になるのか?」と言ってこれまで見せなかった完成体の時計を持ってきたのだ。

そこに書かれてあったロゴはS◆ATCH・・・。当時世界で最もファッショナブルなスイス製時計と言われ、一日を千分割したインターネットタイムを売り出していたあの超有名ブランドだったのである。なおこの会社はスイス最大の時計会社として上はブ◆ゲ、◆MEGAからLONG◆NE、RAD◆,ブラ◆パンなど十幾つものブランドを抱えたスイス最大の時計企業でもあるのだ。

S◆ATCHが中国・深センの工場で作られている・・。もちろん最初は「これはニセモノだ」と思ったが、しかし彼らが買う水晶振動子(時計1個に1つ必要)の数は毎月百万個単位とあまりにも膨大な量だから、これがニセモノならとっくの昔に大きな訴訟になっているはずだ。それにその時女主任に見せてもらった時計とは数週間後のプレスリリースで再会したのだ。その時点では未発表の新モデル・・、つまりこの工場は本物を作っていたのである。





その後親しくなった日本の時計メーカーの技術者に聞いたのだが、パ◆ック・フィリップやロレッ◆スなど100万円を超えるようなブランドは今でも全ての部品をスイス製に厳選しているが、オ◆ガ、タグ・ホ◆ヤー辺りから中国部品が少しずつ入りはじめ(フランスやイタリア産部品はもっと多いらしい)、ロン◆ンだと半分近くは中国部品となり、それ以下はそもそもスイス国内で最終組み立てさえしていないというのである。

ちなみにスイス時計業界が外国から安い部品を仕入れるのは何も今に始まった事ではなく、この老技術者が東北の原発が吹っ飛んだ県のメーカーに就職した時には既にロン◆ンやゼ◆ス、レイ◆ンド・ヴェイルといった会社の担当者が買い付けに来ていたし、日本から直接スイスに売ると商流で足が付くから、間にイタリアやドイツ、フランスのダミー会社を通していたのだそうだ。

日本円の価値が上がってアジア各地から調達し始めたのと同じように、スイスだって人件費の高騰でにっちもさッちも行かなくなったから安い国から調達するのは理解できるが、日本の場合はそのコストダウンを小売単価に反映しているのに対し、スイスは「伝統工芸のマイスターの技」などとウソを言って寧ろ価格を釣り上げて来たのだ。それを有難がって大枚を払うおバカさんが世界中にいるのだから、スイス人はさぞかし笑いが止まらないだろう。

デパートの時計売り場や専門店に行くと「一生もののスイス時計は如何ですか!」などと売り込みをかけられるが、当然ながらこの事を知って以降は心の中で悪態をつくようになり、ただいま筆者の腕を飾っているのは国産の機械式で、これはオーバーホールしなくてもすこぶる調子がよろしいのでずっと重宝しているのだ。なおこの国産時計の社員は「実は部品の大半はウチの中国直営工場で作っておりまして・・」と申し訳なさそうな表情で白状していたことも併せてご報告しておく。






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〇〇〇産の裏側

ワイン好きなイギリス人の知人が目の前のボトルを指さして「このワインは何処の国で採れたブドウを原料にしていると思う?」と変な事を聞いてきた事がある。その時いたのは香港のパパラッチというイタリア料理店で、飲んでいたのはそれなりの値段がする赤ワインであり、ラベルにはフランス産と書かれていた。

筆者は酒の中ではワインが一番苦手であり(理由はブドウが嫌いだから)、どの銘柄がどういった由来で・・などと言われても全銘柄押しなべて不味いだけだからハナから興味が無いのだ。だから何も考えずに「フランス」と答えたのだが、このイギリス人は人差し指をボトルの半分の所にあてて「ここまでがフランスで残りは他の国だよ」と嬉しそうに答えたのである。

フランス産として国内消費と海外輸出されるワインの合計が年間〇〇リットルだとすると、その量を賄うためのブドウ畑は△△ヘクタールとなるが、これだと実際の農地面積をはるかに超えてしまうというのである。と言う事はニセモノなのか?と聞いたら、いやいや法律上はフランス製で間違いないんだけどブドウとしてはね・・・と言ってイギリス人は楽しそうにウンチクを語り始めたのである。

世界のワイン貿易には、誰にもお馴染みの瓶詰めされたワインの他に未熟成のブドウ原液と言う業界関係者しか知らない別のカテゴリーがあって、フランスの結構名の知られた大手ワイナリーでもこの原液を外国から輸入して自農場産のブドウ原液と混ぜ合わせ(或いはフランス産の樽に丸ごと詰めて)、何年か経ったら樽を開けて「フランス産ワイン」として売り出しているというのである。

ワイン原液の輸出国は南米のチリとアルゼンチン、それとスペインとブルガリアの4か国だそうで(これはイギリス人の知人から聞いた話なので正しいかどうかは?である)、近年のチリワインの隆盛が示す様にこの4か国で採れるブドウはかなりの逸品だから、これからワイン農場に投資をするなら一番知名度が低いブルガリアが買いなのだ!と力説していたのだ。





なるほどワインも工業製品と同じなんだな・・などとその時は妙に納得したのだが、しかし最終的には品質で決定的な差が出る工業製品と違ってワインの場合はフランスという国のプレミア感で相当マークアップしているのが実情だし、そのために国として色んな規格を作っていたはずなのだが、こんなんでいいのかね?と考えれば考えるほど首をかしげてしまう。

しかしこういう誤魔化しというのは何もワインだけでなく、食品業界ではスコッチウィスキーやプロシュートなどのハム、それにキャビアなども同じらしいのだが、しかし筆者が垣間見て来た業界には同じくらいなのがあるのだ。ちょっと小じゃれたスーツに値の張る革靴とカバンなど身に着けた方なら興味があるだろう商品である。

以前にも書いたけれども筆者はもともと液晶関連の設計屋で、後に液晶パネルやフラッシュメモリー等の電子部品の営業職になったのだが、まだパソコンや携帯、タブレットが主流になる前の時代に顧客の中で大きなウェイトを占めていたのは時計業界であった。もちろん◎ショックで有名な日本の会社も顧客であったけれども、数量ベースでは香港や中国・台湾人資本の独立系中小メーカー群が世界の80%を占めているのである。

例えばユニクロやギャップが多角化のため時計も商品ラインに加えたい!と思ったら、彼らのために独自のデザインを開発し、部品調達から生産まで何もかも賄ってくれるOEM時計メーカーが香港・台湾・中国には数千社いるのである。その中でも年間売上高20億円、工場も含めた従業員が千人を超えれば大手と見なされ(日本よりケタ一つ少ないが、その一方利益率は1ケタ多いのだ)、ミンフンメタル社(仮名)はその一社だった。

この会社は香港人がオーナーで、ごく少量の液晶パネルと膨大な量の水晶振動子を注文してくれるお得意さんなのだが、筆者はここの営業担当では無かったものの上司に対して商談に参加させてほしい!と申し出たのだ。どうして自分の業績にもならないことをするのか?と言うと、この香港人の会社がなんとも得体の知れない不気味な存在だったからである(続く)。






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Author by ほにょ / 全記事一覧 / 次のページ / ページトップ
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