高級ブランドの産地偽装

毎年9月に香港で大きな交易展示会があって、このミンフン社も3コマのブースを確保して出展しているのだが、ふつうどの会社もアイキャッチのためブースの外にショーケースを並べて、デジタルカメラ付きとか液晶パネルが七色に発光する時計をこれでもか!というくらい並べているのに、ミンフン社だけは何もないのだ。

ショーケースに商品が置いてないのではなくブースの四方八方にショーケース自体が無いのである。それはまるで巨大な段ボール箱が一個ボン!と置かれている様な見てくれで、外壁に「ミンフン」と書かれたロゴが辛うじて見つけられるのと出入り口が1つあるだけで、紺のスーツを着た白人がそそくさ出入りする時以外は入口は固く閉じられているのである。

言っておくがアジアの展示会とは言え3コマの出展なら600万円くらい費用が掛かるのである。それで最初から新規の顧客を掴む気が無いのなら会場の上にあるグランドハイアットホテルのスイートルームでも借りて、そこで既存のお客と商談をすれば良いのに、一体この会社は何を目的にこんな不気味なブースを立てているのか?と訝っていたのだ。

それでミンフン社のオフィスに出向いた際には相手の口から何処の会社と取引をしているのか?を聞き出そうとしたものの、これが信じられないくらい口が堅く(ふつう香港人はこっちが何も聞いても無いのに自分がどの国相手に商売しているのかベラベラ話し出すものである)、何を聞いてもはぐらかすのである。外部機関の調査報告書を入手しても財務状況が大変よろしい以外は何一つ尻尾がつかめない。





ミンフン社のオフィスには数十人の開発スタッフ、しかも工業製品の場合だと価格帯が上がるにつれて人数が増えていくデザイナーがかなりいるから相当有名な客先を掴んでいるはずなのだ。それで変だなあ・・と思っていたのだが、ある時液晶パネルの外観不良という品質問題が発生していまい、運良く担当者が海外出張中だったためピンチヒッターとして筆者がミンフン社の中国工場へと出向いたのである。

液晶の外観不良と言うのは主観的な面が大きいため「ここまでは不良でこれ以上は良品」の判定調整が難航したのと、さらに彼らの工員たちを借りての検品作業を指揮しなければならなくなったため三日三晩泊まり込みとなってしまったのだが、ある時筆者とタッグを組んでいたミンフン社の女主任が「この状態でも不良認定になるのか?」と言ってこれまで見せなかった完成体の時計を持ってきたのだ。

そこに書かれてあったロゴはS◆ATCH・・・。当時世界で最もファッショナブルなスイス製時計と言われ、一日を千分割したインターネットタイムを売り出していたあの超有名ブランドだったのである。なおこの会社はスイス最大の時計会社として上はブ◆ゲ、◆MEGAからLONG◆NE、RAD◆,ブラ◆パンなど十幾つものブランドを抱えたスイス最大の時計企業でもあるのだ。

S◆ATCHが中国・深センの工場で作られている・・。もちろん最初は「これはニセモノだ」と思ったが、しかし彼らが買う水晶振動子(時計1個に1つ必要)の数は毎月百万個単位とあまりにも膨大な量だから、これがニセモノならとっくの昔に大きな訴訟になっているはずだ。それにその時女主任に見せてもらった時計とは数週間後のプレスリリースで再会したのだ。その時点では未発表の新モデル・・、つまりこの工場は本物を作っていたのである。





その後親しくなった日本の時計メーカーの技術者に聞いたのだが、パ◆ック・フィリップやロレッ◆スなど100万円を超えるようなブランドは今でも全ての部品をスイス製に厳選しているが、オ◆ガ、タグ・ホ◆ヤー辺りから中国部品が少しずつ入りはじめ(フランスやイタリア産部品はもっと多いらしい)、ロン◆ンだと半分近くは中国部品となり、それ以下はそもそもスイス国内で最終組み立てさえしていないというのである。

ちなみにスイス時計業界が外国から安い部品を仕入れるのは何も今に始まった事ではなく、この老技術者が東北の原発が吹っ飛んだ県のメーカーに就職した時には既にロン◆ンやゼ◆ス、レイ◆ンド・ヴェイルといった会社の担当者が買い付けに来ていたし、日本から直接スイスに売ると商流で足が付くから、間にイタリアやドイツ、フランスのダミー会社を通していたのだそうだ。

日本円の価値が上がってアジア各地から調達し始めたのと同じように、スイスだって人件費の高騰でにっちもさッちも行かなくなったから安い国から調達するのは理解できるが、日本の場合はそのコストダウンを小売単価に反映しているのに対し、スイスは「伝統工芸のマイスターの技」などとウソを言って寧ろ価格を釣り上げて来たのだ。それを有難がって大枚を払うおバカさんが世界中にいるのだから、スイス人はさぞかし笑いが止まらないだろう。

デパートの時計売り場や専門店に行くと「一生もののスイス時計は如何ですか!」などと売り込みをかけられるが、当然ながらこの事を知って以降は心の中で悪態をつくようになり、ただいま筆者の腕を飾っているのは国産の機械式で、これはオーバーホールしなくてもすこぶる調子がよろしいのでずっと重宝しているのだ。なおこの国産時計の社員は「実は部品の大半はウチの中国直営工場で作っておりまして・・」と申し訳なさそうな表情で白状していたことも併せてご報告しておく。






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〇〇〇産の裏側

ワイン好きなイギリス人の知人が目の前のボトルを指さして「このワインは何処の国で採れたブドウを原料にしていると思う?」と変な事を聞いてきた事がある。その時いたのは香港のパパラッチというイタリア料理店で、飲んでいたのはそれなりの値段がする赤ワインであり、ラベルにはフランス産と書かれていた。

筆者は酒の中ではワインが一番苦手であり(理由はブドウが嫌いだから)、どの銘柄がどういった由来で・・などと言われても全銘柄押しなべて不味いだけだからハナから興味が無いのだ。だから何も考えずに「フランス」と答えたのだが、このイギリス人は人差し指をボトルの半分の所にあてて「ここまでがフランスで残りは他の国だよ」と嬉しそうに答えたのである。

フランス産として国内消費と海外輸出されるワインの合計が年間〇〇リットルだとすると、その量を賄うためのブドウ畑は△△ヘクタールとなるが、これだと実際の農地面積をはるかに超えてしまうというのである。と言う事はニセモノなのか?と聞いたら、いやいや法律上はフランス製で間違いないんだけどブドウとしてはね・・・と言ってイギリス人は楽しそうにウンチクを語り始めたのである。

世界のワイン貿易には、誰にもお馴染みの瓶詰めされたワインの他に未熟成のブドウ原液と言う業界関係者しか知らない別のカテゴリーがあって、フランスの結構名の知られた大手ワイナリーでもこの原液を外国から輸入して自農場産のブドウ原液と混ぜ合わせ(或いはフランス産の樽に丸ごと詰めて)、何年か経ったら樽を開けて「フランス産ワイン」として売り出しているというのである。

ワイン原液の輸出国は南米のチリとアルゼンチン、それとスペインとブルガリアの4か国だそうで(これはイギリス人の知人から聞いた話なので正しいかどうかは?である)、近年のチリワインの隆盛が示す様にこの4か国で採れるブドウはかなりの逸品だから、これからワイン農場に投資をするなら一番知名度が低いブルガリアが買いなのだ!と力説していたのだ。





なるほどワインも工業製品と同じなんだな・・などとその時は妙に納得したのだが、しかし最終的には品質で決定的な差が出る工業製品と違ってワインの場合はフランスという国のプレミア感で相当マークアップしているのが実情だし、そのために国として色んな規格を作っていたはずなのだが、こんなんでいいのかね?と考えれば考えるほど首をかしげてしまう。

しかしこういう誤魔化しというのは何もワインだけでなく、食品業界ではスコッチウィスキーやプロシュートなどのハム、それにキャビアなども同じらしいのだが、しかし筆者が垣間見て来た業界には同じくらいなのがあるのだ。ちょっと小じゃれたスーツに値の張る革靴とカバンなど身に着けた方なら興味があるだろう商品である。

以前にも書いたけれども筆者はもともと液晶関連の設計屋で、後に液晶パネルやフラッシュメモリー等の電子部品の営業職になったのだが、まだパソコンや携帯、タブレットが主流になる前の時代に顧客の中で大きなウェイトを占めていたのは時計業界であった。もちろん◎ショックで有名な日本の会社も顧客であったけれども、数量ベースでは香港や中国・台湾人資本の独立系中小メーカー群が世界の80%を占めているのである。

例えばユニクロやギャップが多角化のため時計も商品ラインに加えたい!と思ったら、彼らのために独自のデザインを開発し、部品調達から生産まで何もかも賄ってくれるOEM時計メーカーが香港・台湾・中国には数千社いるのである。その中でも年間売上高20億円、工場も含めた従業員が千人を超えれば大手と見なされ(日本よりケタ一つ少ないが、その一方利益率は1ケタ多いのだ)、ミンフンメタル社(仮名)はその一社だった。

この会社は香港人がオーナーで、ごく少量の液晶パネルと膨大な量の水晶振動子を注文してくれるお得意さんなのだが、筆者はここの営業担当では無かったものの上司に対して商談に参加させてほしい!と申し出たのだ。どうして自分の業績にもならないことをするのか?と言うと、この香港人の会社がなんとも得体の知れない不気味な存在だったからである(続く)。






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お粗末な正義を振りかざす狡猾な民

ひょっとしてエイブラハム氏は親衛隊の中に新設された武装親衛隊(軽武装の親衛隊と違いドイツ国防軍以上の兵器を揃えていた)とドイツ国防軍を混同しているのかな?と思った筆者は「貴方の親戚を強制収容所に送り込んだのは武装親衛隊ではないか?」と聞いてみたのである。(ドイツ語ではWaffen SSだが、ドイツ語を知らなそうなので念のため英語でArmed SSと言ったのである)

ところがこのエイブラハム氏はせせら笑うや「Armed SS?なにを言ってるんだお前は?オレはArmy(ドイツ国防軍陸軍)と言ったのだ!」とトンチンカンな論法で筆者の指摘を退けた後(この人は武装親衛隊の存在を知らないのではないか?という疑念が頭をよぎった)、「君の国ではホロコーストについて十分な情報が無いようだから黙って聞きたまえ」と言ったのである。

それから先の話も実にお粗末なもので、ドイツ国防軍は西部戦線のオランダやベルギーでもユダヤ人の街を丸ごと殲滅したのだとか、ナチス親衛隊とは全く関係ないクロアチアの絶滅収容所でもドイツ人はセルビア人を殺戮したのだ!(実際はウスタシャというクロアチア人民兵組織)などと史実と全く違う事を立て板の水の如く話し続けるのである。

筆者は高校の時からホロコーストの問題に興味を持っていて、色んな小説やルポタージュを読んでいたからポーランドのユダヤ人摘発と虐殺の責任者だったのは総督でも国防軍将軍でもなくオディロ・グロボクニクという親衛隊将軍である事を知っていたのだが、なんとエイブラハム氏は筆者の問いかけに対し「彼は関係ない」と答えたのだ(この時この名前を知らない事を確信した)。

結局筆者は彼の話を最後まで聞かされる羽目になったのだが、筆者が疑問を持っているガス室の有無について意見が相違する以前に、エイブラハム氏の話は余りにも稚拙な間違いが多く、またホロコーストを実施したのはナチス親衛隊だけである!という歴史の事実を無視して、文民行政官やドイツ国防軍までもが当事者だった!と断定していたのだ。





エイブラハム氏は筆者より数歳若いから、ユダヤ系の日曜学校なり教会の勉強会でホロコーストについて教わったのは1980年代のはずである。父親は早く死んでしまったがホロコーストを生き延びた第一世代は当時はまだ存命中でありニューヨークにも数多くいたから、正しい歴史を学ぼうとすれば歩いて話を聞きに行けたはずである。

にも関わらずなぜこんなパラノイアな歴史観を持った人物となってしまい、しかもユダヤ人協会の理事として自分たちの正当性を示すための寄付を外国人にタカっているのか・・?。その場では正直何が何だかわからなかったが、後日別の機会に筆者は1980年代に突然持ち上がった南京大虐殺論争に思い至ったのである。

同時代の生存者が死に始めた頃に有りもしない罪をでっち上げて贖罪意識を植え付ける。国は違えども生存のためには如何様にも狡猾になれる民族が取る手法は同じである。そう言えばこの時代になって「ソフィーの選択」や「サンスーシの女」など見ている人間にナチスへの激しい怒りを引き起こさせる映画が作られるようになっていった。

で、結局1万5千ドルの寄付はどうなったのか?と言うと、それは争い事を好まない上司の前例主義によって支払い続けることになったのだが、今でもエイブラハム氏が筆者の(ホロコーストについては何も知らない)後任者たちに明らかに間違ったお粗末この上ないユダヤ人悲劇史を騙っているのかと思うと内心忸怩たる思いがする。

仮にガス室が無かったにせよユダヤ人が人類史上まれに見る人権蹂躙にさらされたのは事実だから、この点に関して筆者は彼らに対し憐憫の情を持つけれども、それを拡大解釈して事実を捻じ曲げ、さらに反論を封じ込めようとするのは言語道断である。エイブラハム氏との会食以降筆者がユダヤ人の話はマトモに信じないようになった事は言うまでもない。






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間違いだらけのホロコースト信者

会食の際に政治と宗教の会話はタブーというのは世界の常識で、筆者もその教えを忠実に守って来たのだけれども、中にはイスタンブールのムラット君のように自分が帰依したイスラム原理主義について延々と話し続けてウンザリさせられるようなケースもあるものである。

筆者の経験だとインド系、アラブ系の他スラブ系もこの傾向が強いらしく、モスクワでは共産主義の暗黒時代について無数の小話を聞かされた後に飛行機に飛び乗ってポーランドに行ったら、顧客に第二次大戦中にドイツ軍が行ったワルシャワ破壊行為を証左する歴史博物館に案内されてしまったことがある。

しかし実は筆者はこの手の問題に関しては他の人よりも多少詳しいので、同行した同僚の死んだ目をものともせずに客と長話を決め込むのだが、一度ニューヨーク在住のユダヤ人ジャック・エイブラハム氏とホロコーストの話をしたときには正直筆者はかなりゲンナリしてしまった。

ユダヤ人と親しくされた方なら彼らが如何なる場でもホロコーストの話をしない事はよくご存じだろうが、なんでジャック・エイブラハム氏とこの話題になってしまったのかと言うと、当時彼はニューヨークのユダヤ人協会の理事の地位にいて、筆者の会社は毎年末にこの協会が出す出版物に多額の寄付をさせられていたからである。

雑誌の半ページに「日本の〇〇株式会社は貴方たちの活動に賛意を示すとともにホロコーストの犠牲者に対して深い哀悼の意を・・」という文字だけの広告を印刷してもらうだけで1万5千ドルも払うのだ。この会社は値段に厳しく利益が出ないため筆者は寄付など止めたかったのだが、並み居る日本企業がズラリと寄付しているから筆者の一存では反故に出来ない。





それで新しく営業担当になったが「こういうのはもうそろそろ・・」と言い出した筆者相手に、このユダヤ人協会の存在の意義と「なぜあなたの会社は1万5千ドルを払わなければならないのか?」の義務についてエイブラハム氏は説明を始めたのだが、これが聞いていて実に呆れかえるような代物だったのである。

君はツカハラを知ってるかね?日本の外交官でユダヤ人にビザを与えた・・とエイブラハム氏の話は乗っけから人名間違いで始まり、シンドラーが救ったのは五千人でツカハラ(杉浦千畝のこと)は五百人と救った人数までもが間違っているのだが、まあ遠い日本の事など間違っていても仕方はないな・・と思ってこの段階では黙っていたのである。

ところがエイブラハム氏の父親が生まれ育ったポーランドを統治するためドイツから派遣されて来た総督の名をハインリヒ・ミュラーと言ったり(正式には総督は弁護士出身の文官ハンス・フランクで、ミュラーは秘密警察ゲシュタポ長官でありずっとベルリンにいた)、彼の祖父をその場で射殺し家族を強制収容所に送ったのはナチス親衛隊(SS)のはずなのに、彼の話ではなぜかドイツ国防軍になっているのだ。

ナチスに詳しくない方のために一応説明すると、ホロコーストを実施したのは親衛隊(SS)で、この隊員たちは後年国家保安本部(RSHA)など色んな政府機関に浸食したため党機関と政府機関が混同しがちになるのだけれども、親衛隊とはあくまでナチス党所属の党機関であり、ドイツ政府の政府機関であるドイツ国防軍とは全く別の存在なのだ。

前線に立って敵軍を蹴散らかすのはドイツ国防軍の任務だが、敵国占領後の治安任務とユダヤ人狩りを行ったのはSDやアインザッツグルッペンら親衛隊という様に組織の棲み分けが出来ていたのである。ところがエイブラハム氏の頭の中ではドイツ国防軍に殺害・拘束された事になっているのだ。(続く)





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陽のあたらない銅像

筆者が海外営業マンとして最初に担当した地域は台湾で、3カ月おきの出張では一旦台北に入国した後は高雄に飛び、そこから色んな顧客を訪問しながら順次北上して再び台北に戻るというルートを採っていたのだが、その客の中に対中市の竹華(仮名)という会社があった。

竹華は昔からの付き合いがある大きな会社だから就任早々挨拶に行ったところ、出て来た初老の男性が「私が董事長の陳、これが総経理をやってる私の弟だ。まあお座りなさい」と物凄く流暢な日本語で言うのには驚いてしまったのだが、もっと驚いたのは流暢なのはこの董事長や総経理だけでは無かった事である。

品質問題が発生した時に交渉した工場のマネージャー達が揃いも揃ってツアーガイド顔負けの日本語使いなのである。日本統治時代に教育を受けた老人やアンアンやノンノンを定期購読してるネーちゃん達が訛りのある日本語を話すのなら理解できるが、工場のオヤジどもが日本語を龍柱に話せるというのはちょっと変だ。

しかし同行した日本技術者が工場を見た際に「ここは日本人の手が相当入ってるね」と断言した時に「ああ、そうか」と思ってしまった。訓練を積んだ工場技術者なら作業台の配置や工作機械に張り付けられた工程指示マニュアルの書き方ひとつでその工場に流れる一貫した思想が読み取れるものだ。この竹華は日本に行って学んだのでなく、大勢の日本人がこの場所に入り込んで手取り足取り教え込んだはず!だというのだ。

それで次回会った時に董事長に日本との関係を聞いたのだが、ところが意外にも即答せずにはぐらかすのだ。1990年代の日本は世界最先端の工業国と見なされていたし、安かろう悪かろうの競合他社が溢れる中で日本の手が入っているというのは売り文句なのに、それを匂わせる様な事を一切言わないのだ。





さらに変なのはあれだけ日本語使いが揃っているのに、工場を流れてる相手先ブランドを見てもこの竹華社は日本とは全く取引していないのである。それで何か変だなあ、この会社はなんなんだろう・・と思っていると助け舟を出してくれたのは筆者のパートナーで台北支店勤務の物知りヤンさんである。

「ちょっと〇〇さん、こっち来て!」と呼ぶのでついて行ったところ、工場の建物の裏に存在さえ知らなかった中庭があって、そこに「創業者 竹田幸次郎」と書かれた銅像が立っていたのだ。創業者?それはあの陳兄弟のオヤジさんじゃないのか?と聞いたら、〇〇さん、竹華って社名良く考えてみなよ・・と悪戯っぽく笑いながら言う。

種明かしをすると、この会社は埼玉県の竹田電機工業(仮名)との合弁企業として1970年代に設立されていたのである。だから竹田の竹と中華の華で竹華電機股份有限公司という名なのだが、当時は外資100%は法律で禁制されていたから、フィフティーフィフティーにちょっと味付けした配分で日本と台湾のカウンターパート陳一家で株を分け合ったらしい。

場所と人は台湾側が出して金と技術は日本側の役割というそもそも公平とはいいがたい契約だが、それを承服した竹田幸次郎氏が資金と機材、それに工場パイロットランのための技術者を送り、何年かのよちよち歩きの状態を経て遂に工場としてやっていけるようになったらすぐに事件が起こったのだ。

「全然赤字なのよ。日本から生産委託した分以外は全く売上が無いの。それとは別に人件費だけは計画の倍三倍と何故か多いから儲かるわけないね。でも日本人もバカじゃないからスパイを送って調べたら工場はずっとフル回転してる。それと同じ敷地内に訳の分からない会社がいくつもいくつも設立されるのがわかったのよ」





要するに台湾の陳兄弟が取って来た注文は同じ敷地内に設立されたダミー会社に利益が落ちるようになっていて、合弁工場の設備と従業員をタダで使っていたのである。しかも日本から送った技術指導員ときたら陳兄弟の指示で酒と女ですっかり骨抜きにされてしまい、陳一家の背任行為にせっせと加担するという体たらくだったのである。

それで裁判で散々争ったものの全ては陳一家に有利な形になってしまい、日本の竹田氏は泣く泣くすべてを諦めたというのだ。なるほど、だから工場の主任クラスは全員とも日本語があんなに出来たのか。それに日本の顧客は全部竹田幸次郎氏にブロックされたから全然いないわけだな。こりゃ典型的な投資詐欺行為である。

だけどそれなら何でこの銅像は今まで立ってるんだろう?と思ったが、物知りヤンさんによればこれは実に台湾式の深い意味があるというのだ。実は立ち上げ直後はこの工場の正門はこの銅像の目の前にあって、全従業員や取引先はこの銅像を仰ぎ見る形で工場の建物へと入っていくようになっていたらしい。

ところが日本人を追い出した後は正門の位置を全く正反対の方向に移して、この銅像のある一帯は誰の目にもつかない様にしたというのだが、この手の込んだやり口は台湾のまじないの一種で、敵を滅ぼしてもこちらが悪い事をしたという自覚がある場合は墓まで壊すと祟られるから、こうして封印しておくのが台湾の習わしなのだという。

へえ・・、台湾にも日本の怨霊思想と同じようなものがあったってことか・・。でもこの銅像は日本側を追い出した後は手つかずのままでいたんだろうな・・と思ってネームプレートを見てみたらところ、下の方に「竹田幸次郎 1916-1987」とこの銅像本人が死んだ年までご丁寧に刻印されていやがった。以来筆者は台湾人に心を許すことは止めることにしている。






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