30年ぶりに聞いたヒッピーのその後

先日クーロン黒沢の シックスサマナをポッドキャストで聞いていると、ゲストスピーカーが「パンガン島名物のフルムーンパーティーを立ち上げた当初は島民の猛反対がすごくて・・」などと興味深い話が始まったのだが、その後「ゴア風のトランスをパンガン島に持ち込んだ前山さんが・・」という言葉を聞いた時に思わずハッとしてしまった。

ゴアの前山・・。聞いた事があるぞ。そしてしばらく考え込んだ後でついに思い出した。そうだ!アンジュナビーチのフリーマーケットでオニギリ売ってた人だ!それに半年後にバンコクの空港で再会したじゃないか!。あの時荷物預かってくれって言われた人だよ。

今もそうだろうが当時インドのゴアには世界中のヒッピーが集まっていて、みんなインド人の建てた小屋を間借りし、水は井戸から組んで自給自炊生活をしていたのだが、毎週水曜日にビーチの脇にフリーマーケットが設営され、ここでは民芸品に中古品のカメラや寝袋、ハッシシ入りのクッキーなどが売られていたのだが、そこでオニギリ売ってたのが前山さんである。





年齢は三十代前半だったと思うが、インドの行者サドゥーそのものの風体は社会の落伍者ヒッピーだらけのゴアでもかなり異質であり、筆者らゴア初心者は「ちょっとあの人に近寄らない方がいいぞ」と避けていたのだが、それから半年後にバンコク空港のチェックインカウンターでばったり再会したのだ。

あのぉ、前山さんですよね?ゴアにいた?と話しかけた事で彼との会話が始まり、前山氏は自分は原宿の露店でアジア風アクセサリーを売っている事、仕入れはインドとタイでするので旅は役得なのだ!などベラベラ話し始めたのだが、その後で「キミのキロを分けてくれないか?」と言い出したのである。

要するに自分の荷物を預かってくれという申し出なのだが、場所はアヘン産地のバンコクで、相手はインドのヒッピーの聖地の主みたいな男な上に誰がどう見てもヤバイ風体をしている・・。それで「アナタは何か持ってそうだからお断りします」と断ったのだが、その時のなんとも言えない表情と来たら、ちょっと悪い事したかな・・。





しかも運が悪い事に飛行機では席が隣り合わせになってしまい、非常に気まずい雰囲気のまま離陸したのだけれども、1時間もすると彼はウォークマンを取り出して「ヘビメタは好きか?」と言うやメタリカやホワイトスネイクなど彼が好きなグループの事をずーっと話し続けたので少しは気楽になれたのだ。

そして成田空港で別れる時に「ヒマになったら遊びにおいで」と言われたのだが、生憎と筆者は大学の研究室の残務をこなしたり、二ヶ月後の卒業旅行の資金を貯めるためのバイトに忙しく、そして就職後は新潟県に移動したために前山氏に戴いた住所と電話番号にはついぞ連絡はせず、そのまま30年近く彼の事を忘れていたのだ。

その前山氏がポッドキャストを通じて蘇って来た。それで耳をダンボの様にして聞き入っていたところ「ワタシがその家を出た直後に警察に踏み込まれてしまいまして、それで彼は麻薬の罪で檻の中に入れられてしまったんですが、いやぁ刑務所から出すのにずいぶん苦労しましたよ、ハハハハハ」という話が・・・。

やっぱりバンコクの空港で荷物を預かるのを断って正解だった・・。






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幻のフローシャイム

バンコクのセントラルデパートでデッキシューズを探している時にふと紳士靴の陳列を見たらそこに信じられないものを見つけた。フローシャイム社のペニーローファーの定番バークレーである。筆者はこの靴を今から数年ほど前には必死で探し求めていたのだ。

高校入学時に学校の売店で学生服やらカバンを物色している時にローファーを見つけた筆者はそのデザインにすっかり魅せられてしまい、15歳の春からサラリーマンに見切りをつけた数年前まで実に30年に渡ってローファーを履き続けた人間なのだ。

もちろん高校から大学にかけては安物ハルタのローファーを履いていたが、給料をもらえる立場になるとリーガルにカーストアップし、香港駐在になるやバスやコール・ハーンなんか履くようになったのだが、困ったのは筆者は角質やタコが出来やすい足の持ち主で、月に一回はハサミでチョキンと分厚くなった皮を切る必要があったのだ。

「キミィ、だったらフローシャイムを買いたまえ!」と言ったのは海外営業の青木部長である。この御仁は部長になる前は長らくロンドン支店長を務めていて、上から下までブリティッシュなブランドを纏っているキザな紳士だったが、なんと靴だけはアメリカのフローシャイム社の製品で、これは若い頃ニューヨーク支店に勤務した頃から変わらないのだと言う。

「バリーやグッチも良いけど男はやっぱりフローシャイム」と子供の頃よく聞いたどこかのビール会社のCMみたいな事を言うので、まあ半信半疑で香港島東部フォートレスヒルの行きつけの靴屋に行ったら、そこのヘンテコリンな親父が「お前分かってるじゃないか」という表情をして奥の倉庫からバークレーを持ってきたのだ。





値段はなんと700香港ドル(当時のレートで一万円)ぽっち・・・。なんか間違ってるんじゃないか?と思ったが、この靴を履いてみると「な・何これ?」と思うほど足に馴染んでくる上にすごく頑丈なのだ。しかも驚くべきことにいくら歩こうが角質やタコとは全くの無縁となり、半年もするうちに筆者の足は赤ん坊のようにツルリン!としてきたのである。

なお齢70を超えた御仁がこの日記を読んだら「フローシャイム社はかつては世界一の靴メーカーだったが、経営が行き詰まってインド企業に買収され、最早かつての栄光が嘘のように落ちぶれてしまった事を知らんのか!」と言うに違いないが、例え本体が売却されても長年培ってきた設計ノウハウの蓄積と言うのはそう簡単に消え去るものでは無いし、現実に当時はまだまだ秀悦な靴を作っていたのだ。

それで筆者はすっかりフローシャイム社のファンになり、なんと15年間にわたってこのバークレーのブラックとブラウンを買い求め続け、ストレートチップが基本のフォーマルな場でもダークスーツ姿に本来ご法度なローファーで現れることもしばしばあったのだ。

それとバークレーは安い割に案外と頑丈で、それにいくら歩いても足への負担が少ないことからアメリカやヨーロッパ、ロシア、中近東にインド、パキスタンから中国奥地なんかもこの靴でずっと歩き渡ってきたのだが、それが2010年頃だか行きつけの靴屋に行ってみたら「バークレーが全然手に入らなくなってしまった」と言われたのだ。

生産中止になったわけでは無く、今でもフローシャイム社の香港代理店には入庫されているのだが、雑誌かテレビか何かで香港の有名なスターが「自分はずっとフローシャイム社のバークレーを愛用している」と取り上げられた事でファンが一気に増えてしまい、店に入荷するなりすぐに売り切れてしまうようになったのだと言う。





しかし何事も熱し易く冷め易い香港人のことだから、そんなの数ヶ月で元の鞘に収まるだろうと思っていたのだが、それどころか状況は更に悪化するだけで筆者が会社を辞める一年前にはどの靴屋に行っても店員に申し訳ない顔をされるだけで、もはや全く手に入らない幻の靴となってしまったのである。

その幻のバークレーが今目の前にある。それで値札を見たら案の定大した値段ではないので、だったら一足買ってみるか!と女店員に自分のサイズを言ったところ、5分後に箱を抱えて戻って来て「これより大きいサイズの茶色しか在庫がありません」と案外流暢な英語で言った。

それでこの靴は人気があるのか?と聞いたところ、ええ、知名度が高いわけでも無いのになぜだか固定客が多くて品切れになる時が多いのだ・・と言う答えである。なるほど、バンコクでも筆者みたいな奴が結構いるのだな・・と納得してしまう。

それで持って来たバークレーを試しばきしたのだが・・。この「大きいのしかない」の大きいというのが、こんな巨大な足してんのはケルトの巨人系種族くらいじゃないか・・と思うような代物で、こんなのしか無いんだったらサンプル陳列しなきゃいいだろうが・・と呆れてしまったのだ。

なんと女房の足のサイズから筆者までの間がスッポリと在庫ゼロな事が分かり、一時の喜びが完全に崩壊して憤慨しながら店を出る筆者。結局バークレーはまた幻の靴となってしまったのである。まあ別に今はスーツ着なくなったんだから困らないんだけど、でも増産とか考えないのかね?インド人のオーナーさん。






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後ろが危ないトイレ

プロンポン駅の北側に新しく出来たEM QUATIERというショッピングモールで昼メシを食ったあと突然大きな方の便意を催した筆者はある階の男性用トイレで用を足していた。

突然ガチャッ!と開く扉・・。おいおい!中に人がいるぞ!と声を上げ、慌てて扉を引き戻したが、その瞬間に相手の腕がチラッと見えた。体毛が金髪・・。という事は白人が間違って扉を開けたらしい。

しかし筆者は大変注意深い性格の人間なので鍵をかけ忘れるという事は絶対に無いのだ。つまりこの白人は無理やり鍵を開けたか、もしくはここの警備員から何かで合鍵を持っているのどちらかである。

でも白人が警備員やってるわけないよな・・と思っていると、今度は右隣の房に人が入ったのだが、不思議な事に便座を下げる音とか脱糞時のブリブリ〜という音が一切せず、まるで様子を伺うかの様に沈黙したままなのだ。

これはひょっとして、あのシーロムロビンソンの5階の様なホモ達の溜まり場と同じでは・・。そう、実は今から30年近く前に当時付き合っていた彼女の職場がここにあったため筆者はこのトイレをよく使っていたのだが、 毎度ホモに襲われそうになったのである。

トイレに行くといつも数人のそれらしい格好をした男達が屯っていて、小便をしてると横に立って覗く、大の方をしていると隣の房の隙間越しに珍妙な形をした鏡を使って覗く、そしてトイレを出た後につけ回す・・というのがいつものパターンだったのだ。

実はここはホモの溜まり場として有名であり、ここに来るイコール男とやりたい!という事に直結するのだと後になって聞いて背筋が寒くなった覚えがある。都会の中にこんな深い落とし穴があるとは・・さすが性大国タイだ。

そして時代は下ってプロンポンのトイレの中でチクショウ!そういう事か!と焦った筆者は一切の音を立てるの止めてそっと耳を仕切り壁に当てると、シーンと静まり返った沈黙の中から奇妙な男の息遣いが聞こえてきて・・。その瞬間にうわーっ!と叫んで房から飛び出たのである。

ところが実はトイレにはもう一人インカ帝国みたいな変なオカッパ髪のタイ人の若い男がいたのだが、叫んでいる筆者に対して「どうしました?」と声をかけるどころか、全くビックリした表情もせず単にジットリと筆者の事を見つめているだけで・・。その後はもう100メートルダッシュである。

このショッピングモールはエンポリウムの新館という位置ずけでバンコクでは最先端の・・という触れ込みなようだが、その一方某階の男性用トイレにはホモ達が深海魚のように口を開けてエサを待ち構えている事を紳士諸君は肝に銘じておいて欲しい。




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バンコクの伝説の安宿街マレーシアホテル周辺の現在

シーロム通りまで両替に来たついでにマレーシアホテル近辺まで足を伸ばして見ることにした。実は今から30年近く前にカルカッタに行く途中にこの有名なホテルに一泊だけしたことがあって、その晩に奇妙なオバさんに会ったりしたけれど、生まれて初めての外国で過ごした一夜でもあるからちょっと思い出の場所でもあるのだ。

バンコクの安宿街と言うと真っ先にカオサン通りの名が浮かぶが、筆者が旅をしていた80年代には飛行機から降りてこれからバンコク市内に向かう・・という日本人バックパッカーたちの宿泊場所はヤワラート半分、マレーシアホテル周辺とカオサンがそれぞれ1/4と言った具合で、これが西洋人の場合だと半分くらいにも及ぶ当時最も活気のあるエリアだったのだ。

ところが90年代になるとカオサンの隆盛が始まり、代わりにヤワラートは名門ジュライホテルと楽宮旅社の閉鎖によってゴーストタウン化してしまったが、片やマレーシアホテル周辺の方はどうなったのか何にも情報が入って来ない・・。それで最後にこのホテルに滞在した社会人2年目の旅から実に26年ぶりに見に行くことにしたのである。





地下鉄ルンピニー駅の1番出口から真っ直ぐ東の方向へと歩いていき、2つの銀行に挟まれた横道を南に折れるとそこから無数のゲストハウスが見えるはず・・なのに何にも無い。あれっ?昔はここら辺から旅行代理店がズラーッと軒を並べていたはずなのに有るのはマッサージ屋、それもポツンポツンといった程度である。

さらに進むと右側に懐かしいマレーシアホテルが見えてくるはずだが、そこには確かに今でもホテルはあるんだけど・・、趣きが全然違うしすごく寂れている感じだ。おかしいな・・こんなはずじゃ・・と思ってセブンイレブンのところで左折するとゲストハウスや安食堂がいくつかあるのが見つかったが・・これもポツンポツンである。

これだったら何もかもが消えたヤワラートの方がまだマシだわ・・。下川裕治だか誰かの雑誌記事だとアジア随一の魔窟と呼ばれた70年代の匂いを今でも色濃く残している・・とか書いてあったけど、そうじゃ無くてすっかり落ちぶれて何の魅力も無くなったボロ雑巾の饐えた臭いが充満しているだけじゃないか・・。





バンコク中央駅に近いヤワラートや、王宮にワット・プラケオ等の観光名所に面したカオサン通りと違って、これといった地理的優位性も無いマレーシアホテル近辺が格安宿泊施設と旅行代理店、そしてレストランとバーの一大集積地となった理由はこの近辺にアヘン吸引所が無数にあったからだが、どうもこの最後の頼みの綱もとっくの昔に廃業してしまったようだ。

香港の重慶マンションにカルカッタのサダル・ストリートなどアジアには世界中から若くて貧乏なバックパッカーを引き寄せた安宿街があって、これらの場所特有の一種独特のアナーキーさと物憂さが筆者は大好きだったけれども、どうもマレーシアホテル界隈はその残滓さえも枯れ果ててしまったようである。

60年代後半はベトナムの前線から休暇で息抜きにきた米兵で溢れ、その後は世界中のバックパッカーで溢れたこの場所も今は単なるツンと取り澄ました物静かな住宅地の一角になりつつある・・。こういうのって「ツワモノどもが夢のあと」とでも言うのだろうか。なんかこういうの見ちゃうと切ない気分になってくるね・・。






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のろまなハウスキーピング

今回合計5箇所のホテルに滞在しているのだが、そのうち3カ所で奇妙な事を聞かれるようになった。最初の体験はチェンマイのメリディアンで、部屋のチャイムが鳴ったのでドアを開けるとハウスキーピングの主任とか言う女性が立っており「何か私たちのサービスに不便な事はありませんでしょうか?」と聞かれたのだ。

不都合?いや別に何も無いですけど・・・と答えると「そうですか、では失礼します」と帰っていったのだが、実はこの後バンコクのホテルでも全く同じ事を滞在二日目に聞かれてしまい何だか変な感じがして来たのである。

それで外出先から部屋に戻って来たときに目を皿の様にして見回してみたら、なるほど二人でチェックインしたのにも関わらず歯ブラシやシャンプーなどアメニティーと無料の飲料水が一人分しかない事に気が付いた。

それでドアを開けるとちょうど向かいの部屋が掃除中だったので、女性に足りない分をくれ!と言うとともに俺たちは二人だよ!と言ったら「カオチャイ カー(分かりました)」と言った。まあこれは世界どの国でも良くある話である。

ところが翌日再び戻ってくると、やはりアメニティーは一人分しか置かれてないだけでなく、トイレットペーパーもあと1回使ったらお終い・・という状態のままで補充されていないのだ。それでまた向かいの部屋を掃除している女に昨日と同じ事を言ったら「カオチャイ カー」である。

しかしそのとき筆者はこの女に違和感を持った。というのは筆者ら夫婦が外出した午前10時頃にこいつは筆者のフロアの掃除を始めたのだが、チェックインタイムを過ぎた夕方5時になってもまだ掃除をしているのだ。この人なんか仕事が遅過ぎないか・・。





その次に移ったホテルでも状況は同じで、タオルが無い、トイレットペーパー無い、コーヒーカップが洗われてない、いつまで経っても掃除をしていて部屋には入れない、ゴミ箱の中身を捨てていない、といった事態が起こっていて、ちゃんと普通にできた日というのが結局ここ2週間で1日も無いのであること。

まあモノが盗まれた訳じゃないからいいんだけど、再びトイレットペーパーが無いのを見つけた女房が今すぐ貰って来てくれ!と言うので(女房は用便中であった)、仕方なく同じフロアの奥で駄弁っていたメイド三人のもとへ歩いいったところ、彼女たちの話していた言葉は・・タイ語じゃなかった。

それはカンボジア人じゃないですか・・という旧友M君。筆者は知らなかったのだがインドシナ半島諸国のTPPみたいなのが締結され昨年からミャンマーやカンボジア人が低賃金労働力としてタイに入り込み、掃除人みたいなタイ人が嫌がる仕事は彼らにとって変わられつつあるのだという。

だけどいくらカンボジア人言ったってトイレットペーパーを補充するくらいの頭は回るだろう・・と思ったが、M君の話だとカンボジア人の下の方の人間というのはちょっと想像を超えるほどレベルが低いらしく、M君の会社でもほとほと呆れ果てて即効でクビにしたカンボジア人が何人かいるのだそうだ。

筆者のいた会社もその昔より安い人件費を求めて中国の奥地へ入って行き、結果的に酷い目にあったから数字だけ見て判断するのは危険!と言うのを身を以て経験したけど、だけどこの2軒のホテルの経営者って名目賃金額だけで無く一時間当たりの労賃とか計算しないのかね?

この世の中で机の上から世界を眺めることほど危険な事は無い!という有名な言葉があるが、世の中どころか自分のホテルの中を一日一回ぐるりと回れば、カンボジアやミャンマーの悠久とした時間感覚が自分の城に徐々に蔓延している事に気付くはずだよ。まあそれもタイらしいって言うのかも知れんけど・・。






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Author by ほにょ / 全記事一覧 / 次のページ / ページトップ
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