ラ・ウニオンまでパスポート更新の旅

一昨日のこと、筆者ら夫妻は従弟ジャネルの運転する車で一路ラ・ウニオン州のサンフェルナンド市へと向かった。出発したのは朝7時前で、グーグルマップによると片道5時間弱の旅のはずなのだが、実際に到着したのは予約時間の10分前である午後3時50分、実に9時間の旅となってしまった。

一体どうしてこんな北方の僻地まで来たのか?というと、それはこの地にあるフィリピン外務省パスポート発行オフィス(DFA)でパスポート更新手続きをするからで、たとえばアナタのフィリピン人奥方が「あら!パスポートが切れちゃうわ!」と本日7月20日に気が付いた場合、最短の予約(書類等を用意して窓口に更新申請する日)がいつになるか・・と言うと、

マニラ首都圏 10月11日午前8時
アンヘレス  10月12日午前9時半
バギオ    9月25日正午
セブ     10月30日まで空き無し、それ以降も一切見通し立たず
ダバオ    9月4日10時

になってしまうのだ・・。いかがだろう?これロスに住んでいる実母が緊急入院してしまった!なんてケースでは死に目に会う事は100%諦めたほうが良さそうな混雑ぶりである。そして女房もまさかこんな状況だとは知らずに悠長にしていたからすっかり慌ててしまったわけで、結局6月末の段階で陸路で行ける地域内で一番空いていたラ・ウニオンのDFA事務所に予約を入れたのだ。





さて女房は午後4時の組に予約を入れていたのだが、DFA事務所外の廊下に設けられたボックスには午後3時の組の連中があふれていて、思った通り作業遅れのためしばらく待てと言われてしまった。それでヒマなのでラ・ウニオンまでついてきた従妹フィリンと一緒に廊下で時間をつぶしていたのだが、同じ4時組の人達と話すと実に9割の人間は筆者ら同様マニラ首都圏の在住者である。

しかしそれにしても遅い・・。1つの組は50人くらいのユニットになっていて、ガラス越しに見える空港のチェックインカウンター風の窓口は6つあるから、仮に1人5分かかるとしても1時間に72人捌けるはず・・。ところが大人数がどんどん後へ後へとずれ込んでいるという事は、なんか中では非常に難しい作業をしているのでは?と思えてきたのだ。

「過去のデータと照合してるのかしら?」「いや、奥の部屋で面接でもしてるんじゃないか?」と話し合う筆者と従妹フィリン。やがて女房ら午後4時予約組が1時間遅れでついにDFA事務所内へと入ったのだが、ここからがまた長いらしくて、待合ボックスを警備している職員が「1時間以上かかるからアンタら下のカフェテリアに行ったほうが良いぞ」と忠告してきた。

それで従妹フィリン、従弟ジャネル、それとエド叔父さんと一緒にカフェテリアへと行き、今回女房が用意した①古いパスポート、②出生証明書(Birth Certificate)、③結婚証明書(Marriage Contract)、④無犯罪証明書(NBI国家警察発行)、⑤TINカード(BIR国家歳入庁発行)、⑥パスポート更新申請書、それと⑦予約回答のゼロックスコピー、など話をしたのだが、そこでジャネルが気になる事を言い出したのだ。





各証明書&書類に記載された住所に違いがあるのはマズいんじゃないか‥と言うのである。これは筆者ら夫妻は移住当初はリサール州タイタイ市に住んでいて、その後マニラ首都圏のパッシグ市に引っ越したという証明書発行時の住処の違い、というよりも住所変更手続きをしていない事が原因なのだが、「それは多分申請拒否されるんじゃないかな・・」と言うのである。

なんでも3年前サウジアラビアに出稼ぎに行った際に書類上の住所の違いでさんざんトラブった経験があるらしい。「フィリピン外務省(DFA)というのは役所の中で最も書類の適合性に拘るんだよ・・」と力説するジャネルの顔の表情にはかなり説得力があったが、だけどそれほど住所にこだわるのだったらマニラ首都圏民のパスポート更新をこんな北部の地方都市で受け入れてること自体なんか変じゃないか・・。

しかし筆者だってこれまでフィリピン行政システムのダメさをさんざん見てきたから、こりゃ今回はすごすご退散することになるかな・・と覚悟をしたが(次回最短の予約が取れるのはパラワン島のプエルト・プリンセサであることを確認した)、そこへ女房から「今終わったわよ!」という電話が入った。時刻は午後6時。予定からちょうど1時間遅れである。

で、一体どんな手続きをしたんだ?とカフェテリアに降りてきた女房に聞いたら、「いや、特に変わったことは無いんだけど・・」と言って説明し始める女房。なんでも最初に前述の①から⑦の書類やカードの記載漏れがないかの「書類チェック」があり、そのあと「写真撮影」と「指紋押捺(スキャナー)」、それと「サイン登録」の4つだったのだそうだ。





「住所の違いでなんか言われなかった?」と聞いたが、別になんにも言われないし、というかそれ以前に気にも留めてない様子だったわよ・・という女房。なんだよ!ジャネルの野郎め!脅かしやがって!と思ったが、しかし女房の言った「書類チェック」から「サイン」までの作業を脳内で反芻しているうちに・・・、たったそれだけ?という違和感が強まっていったのだ。

そんな簡単な作業のためだけにフィリピン人はパスポート更新をこんなに長く待っているのか?。これがパスポート本体の素材が非常に特殊な上に製造設備がぶっ壊れてしまったとか言うならまだ理解できるけれども、大学生のアルバイトでも出来そうな簡単な作業がボトルネック化しているからである・・というのは全然解せないではないか。

もしくは機密上の理由から外部の人間は臨時には雇えない!とDFAが言い張ったとしても、なら比較的空いてる地方事務所の専門職員をマニラやセブに長期出張させて混雑解消を図れば良いではないか!と筆者は怒ってきたのだが、残念ながらフィリピンのお役所には駅前のコンビニでもできる人事シフトの発想がハナから無いのが実情である。

なのでフィリピン人の奥方をお持ちの方は、年のために奥さんのパスポートの有効期限をチェックし、切り替え申請タイミングの3か月前になったら取り合えずDFAのウェブサイトで申請予約をしておくことをお勧めしたい。なおパスポート本体はDFAでの手続き後2週間と申請とは違って案外と早いタイミングで出来上がること(郵送可)も付け加えておく。






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曰くつきのラーメン屋

以前の日記で「5年も未更新なのに何故かランキング上位にいる不思議なブログ」の事を書いたことがある。これは北海道在住の通称サムタなる人物がご自身の訪比記録を綴った「マニラPhotoバージン」というブログなのだが、この日記をアップしたところ翌日「これは曰くつきのブログだから近寄るな!」とのコメントを頂いてびっくりしたのだ。

曰くつき・・なんか事故物件みたいなすごいブログである。しかし意味がいまいち判じかねた筆者はこのサムタ氏について検索してみたところ・・・これがまあ凄いのだ。2チャンの海外掲示板や「寒汰物語」というウェブサイトに書き込まれた罵詈雑言の羅列に唖然としたのである。

筆者はフィリピンでは日本人との付き合いは一切避けているし、それにサムタ氏が出没するマラテ・パサイ地区には一切立ち寄らないので彼を取り巻く事情は全く把握してないのだが、一体全体この人はどうしてここまで迫害されるものなのか?と思うほどの彼の悪行が難渋何百ページにもわたって書き込まれているのだ(詳しくは寒汰物語を参照してほしい)。

で・・オカルトマニアで生来怖いもの好きの筆者はこのサムタ氏に会ってみるかな?と思ったのである。日本旅行の際に釧路平原を見たい!と女房が言っていたので、暇な時間を見つけてサムタ氏の営む釧路市内の海皇なるラーメン屋へと出向き、単なる客を装ってさりげなく会話を試みてみよう・・と思ったのである。

それで釧路到着のその日、昼寝している女房を残して駅前のホテルから歩いてサムタ氏のラーメン屋へと向かったのだが、地図上ではほんの近くにあるように見えたものの北海道の1ブロックというのは途轍もなく広いもので、結局小一時間もかかってやっと店のある愛国地区へとたどり着いたのだが、しかしそこで思わぬ不運に見舞われたのだ。

店の前に停めてあったレガシーがちょうどブオン!と音を立てて走り去ったところだったのだ。寒汰物語をくまなく読んだ筆者はサムタ氏がこの車に乗っていることを知っており、どうやら間が悪いことにちょうど行き違いになってしまったようである。時刻は午後5時。あたりには小雨が降り始めていた。

しょうがねえな・・。サムタ氏には会えないけどラーメンだけは食ってくか・・と思った筆者はとりあえず店の写真を撮ろうと通りの反対側からケータイのシャッターを切ったのだが、さて店のドアを開けると(客は誰もいなかった)四十代と思しき店のオバちゃんから「あなた今シャシン撮りましたよね!」と第一声をかけられたのだ。





へ?ええ撮りましたけど・・。それが何か?と答えたのだが、そのオバちゃん二人の表情を見たときに筆者は彼女らが尋常じゃない警戒モードにいることを悟ったのだ。ちょっと筆者のつたない文章力ではうまく伝えられないが、交番のポスターに張られた重要指名手配犯が店に入ってきたとの同じ恐怖の反応・・と思っていただくと良いと思う。

あなたは誰なんですか!何が目的なんですか!と目をカッと見開いて詰問するオバちゃん。しまったな・・、こりゃ相当疑心暗鬼になってるぞ・・、と心底この店に入ったことを後悔したが、しかしここで引き返すと後ろから追いかけられそうなので「訪れた店をフェイスブックにアップするのが趣味な東京人」と自己紹介したのである。

もちろんいったん高まった警戒モードは容易に落ちることはなく、オバちゃん二人が発するもの凄い重圧を受けながらまんじりともせずに出てきた豚骨ラーメンを食ったのだが、あの~気に障ったのなら謝りますが、ひょっとしてヤクザにでも脅されてるんですか?とのピントのズレた一言を言ったらオバちゃんの態度が微妙に変わった。

実はね・・と相変わらず表情は強張っているものの話を始めるオバちゃん。その話の節々から彼らはプライバシー侵害にさらされて重大な精神被害を受けている節が伺えたのだが、実はウェブサイトを隅から隅まで眺めたことで事情に通じている筆者はもちろん「そうですねえ」なんてことは言えるはずも無い・・。

競合他社の嫌がらせですか・・。うちの業界でも似たようなことが・・と相槌を言ったら、オバちゃんはカッと目を見開きながら「そうじゃないのよ!あたし達が直面しているのは・・」とだけ言って途中で言葉を詰まらす・・。その只ならぬ雰囲気に筆者はすっかりいたたまれなくなってしまったのだ。

まあ火のないところに煙は立たずという言葉がある通り、サムタ氏自身が叩かれるのは仕方ないのだろうが、しかし痰案る従業員のオバちゃんたちまでもがここまで被害妄想に悩まされてしまうとは・・。一体どんなことが起きているんだろう・・。

さて肝心のラーメンの味の方だが、食べログ等で徹底的にこき下ろされているのとは裏腹に出汁のしっかり感は幾分薄いものの案外と旨かったことを付け加えておく。よって釧路を訪れた際はこの店でラーメンを食うのは悪くはないと思うが、ただしくれぐれも店の写真を撮ってオバちゃんたちを深い疑念に陥れないようご注意を。






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30年ぶりに聞いたヒッピーのその後

先日クーロン黒沢の シックスサマナをポッドキャストで聞いていると、ゲストスピーカーが「パンガン島名物のフルムーンパーティーを立ち上げた当初は島民の猛反対がすごくて・・」などと興味深い話が始まったのだが、その後「ゴア風のトランスをパンガン島に持ち込んだ前山さんが・・」という言葉を聞いた時に思わずハッとしてしまった。

ゴアの前山・・。聞いた事があるぞ。そしてしばらく考え込んだ後でついに思い出した。そうだ!アンジュナビーチのフリーマーケットでオニギリ売ってた人だ!それに半年後にバンコクの空港で再会したじゃないか!。あの時荷物預かってくれって言われた人だよ。

今もそうだろうが当時インドのゴアには世界中のヒッピーが集まっていて、みんなインド人の建てた小屋を間借りし、水は井戸から組んで自給自炊生活をしていたのだが、毎週水曜日にビーチの脇にフリーマーケットが設営され、ここでは民芸品に中古品のカメラや寝袋、ハッシシ入りのクッキーなどが売られていたのだが、そこでオニギリ売ってたのが前山さんである。





年齢は三十代前半だったと思うが、インドの行者サドゥーそのものの風体は社会の落伍者ヒッピーだらけのゴアでもかなり異質であり、筆者らゴア初心者は「ちょっとあの人に近寄らない方がいいぞ」と避けていたのだが、それから半年後にバンコク空港のチェックインカウンターでばったり再会したのだ。

あのぉ、前山さんですよね?ゴアにいた?と話しかけた事で彼との会話が始まり、前山氏は自分は原宿の露店でアジア風アクセサリーを売っている事、仕入れはインドとタイでするので旅は役得なのだ!などベラベラ話し始めたのだが、その後で「キミのキロを分けてくれないか?」と言い出したのである。

要するに自分の荷物を預かってくれという申し出なのだが、場所はアヘン産地のバンコクで、相手はインドのヒッピーの聖地の主みたいな男な上に誰がどう見てもヤバイ風体をしている・・。それで「アナタは何か持ってそうだからお断りします」と断ったのだが、その時のなんとも言えない表情と来たら、ちょっと悪い事したかな・・。





しかも運が悪い事に飛行機では席が隣り合わせになってしまい、非常に気まずい雰囲気のまま離陸したのだけれども、1時間もすると彼はウォークマンを取り出して「ヘビメタは好きか?」と言うやメタリカやホワイトスネイクなど彼が好きなグループの事をずーっと話し続けたので少しは気楽になれたのだ。

そして成田空港で別れる時に「ヒマになったら遊びにおいで」と言われたのだが、生憎と筆者は大学の研究室の残務をこなしたり、二ヶ月後の卒業旅行の資金を貯めるためのバイトに忙しく、そして就職後は新潟県に移動したために前山氏に戴いた住所と電話番号にはついぞ連絡はせず、そのまま30年近く彼の事を忘れていたのだ。

その前山氏がポッドキャストを通じて蘇って来た。それで耳をダンボの様にして聞き入っていたところ「ワタシがその家を出た直後に警察に踏み込まれてしまいまして、それで彼は麻薬の罪で檻の中に入れられてしまったんですが、いやぁ刑務所から出すのにずいぶん苦労しましたよ、ハハハハハ」という話が・・・。

やっぱりバンコクの空港で荷物を預かるのを断って正解だった・・。






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幻のフローシャイム

バンコクのセントラルデパートでデッキシューズを探している時にふと紳士靴の陳列を見たらそこに信じられないものを見つけた。フローシャイム社のペニーローファーの定番バークレーである。筆者はこの靴を今から数年ほど前には必死で探し求めていたのだ。

高校入学時に学校の売店で学生服やらカバンを物色している時にローファーを見つけた筆者はそのデザインにすっかり魅せられてしまい、15歳の春からサラリーマンに見切りをつけた数年前まで実に30年に渡ってローファーを履き続けた人間なのだ。

もちろん高校から大学にかけては安物ハルタのローファーを履いていたが、給料をもらえる立場になるとリーガルにカーストアップし、香港駐在になるやバスやコール・ハーンなんか履くようになったのだが、困ったのは筆者は角質やタコが出来やすい足の持ち主で、月に一回はハサミでチョキンと分厚くなった皮を切る必要があったのだ。

「キミィ、だったらフローシャイムを買いたまえ!」と言ったのは海外営業の青木部長である。この御仁は部長になる前は長らくロンドン支店長を務めていて、上から下までブリティッシュなブランドを纏っているキザな紳士だったが、なんと靴だけはアメリカのフローシャイム社の製品で、これは若い頃ニューヨーク支店に勤務した頃から変わらないのだと言う。

「バリーやグッチも良いけど男はやっぱりフローシャイム」と子供の頃よく聞いたどこかのビール会社のCMみたいな事を言うので、まあ半信半疑で香港島東部フォートレスヒルの行きつけの靴屋に行ったら、そこのヘンテコリンな親父が「お前分かってるじゃないか」という表情をして奥の倉庫からバークレーを持ってきたのだ。





値段はなんと700香港ドル(当時のレートで一万円)ぽっち・・・。なんか間違ってるんじゃないか?と思ったが、この靴を履いてみると「な・何これ?」と思うほど足に馴染んでくる上にすごく頑丈なのだ。しかも驚くべきことにいくら歩こうが角質やタコとは全くの無縁となり、半年もするうちに筆者の足は赤ん坊のようにツルリン!としてきたのである。

なお齢70を超えた御仁がこの日記を読んだら「フローシャイム社はかつては世界一の靴メーカーだったが、経営が行き詰まってインド企業に買収され、最早かつての栄光が嘘のように落ちぶれてしまった事を知らんのか!」と言うに違いないが、例え本体が売却されても長年培ってきた設計ノウハウの蓄積と言うのはそう簡単に消え去るものでは無いし、現実に当時はまだまだ秀悦な靴を作っていたのだ。

それで筆者はすっかりフローシャイム社のファンになり、なんと15年間にわたってこのバークレーのブラックとブラウンを買い求め続け、ストレートチップが基本のフォーマルな場でもダークスーツ姿に本来ご法度なローファーで現れることもしばしばあったのだ。

それとバークレーは安い割に案外と頑丈で、それにいくら歩いても足への負担が少ないことからアメリカやヨーロッパ、ロシア、中近東にインド、パキスタンから中国奥地なんかもこの靴でずっと歩き渡ってきたのだが、それが2010年頃だか行きつけの靴屋に行ってみたら「バークレーが全然手に入らなくなってしまった」と言われたのだ。

生産中止になったわけでは無く、今でもフローシャイム社の香港代理店には入庫されているのだが、雑誌かテレビか何かで香港の有名なスターが「自分はずっとフローシャイム社のバークレーを愛用している」と取り上げられた事でファンが一気に増えてしまい、店に入荷するなりすぐに売り切れてしまうようになったのだと言う。





しかし何事も熱し易く冷め易い香港人のことだから、そんなの数ヶ月で元の鞘に収まるだろうと思っていたのだが、それどころか状況は更に悪化するだけで筆者が会社を辞める一年前にはどの靴屋に行っても店員に申し訳ない顔をされるだけで、もはや全く手に入らない幻の靴となってしまったのである。

その幻のバークレーが今目の前にある。それで値札を見たら案の定大した値段ではないので、だったら一足買ってみるか!と女店員に自分のサイズを言ったところ、5分後に箱を抱えて戻って来て「これより大きいサイズの茶色しか在庫がありません」と案外流暢な英語で言った。

それでこの靴は人気があるのか?と聞いたところ、ええ、知名度が高いわけでも無いのになぜだか固定客が多くて品切れになる時が多いのだ・・と言う答えである。なるほど、バンコクでも筆者みたいな奴が結構いるのだな・・と納得してしまう。

それで持って来たバークレーを試しばきしたのだが・・。この「大きいのしかない」の大きいというのが、こんな巨大な足してんのはケルトの巨人系種族くらいじゃないか・・と思うような代物で、こんなのしか無いんだったらサンプル陳列しなきゃいいだろうが・・と呆れてしまったのだ。

なんと女房の足のサイズから筆者までの間がスッポリと在庫ゼロな事が分かり、一時の喜びが完全に崩壊して憤慨しながら店を出る筆者。結局バークレーはまた幻の靴となってしまったのである。まあ別に今はスーツ着なくなったんだから困らないんだけど、でも増産とか考えないのかね?インド人のオーナーさん。






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後ろが危ないトイレ

プロンポン駅の北側に新しく出来たEM QUATIERというショッピングモールで昼メシを食ったあと突然大きな方の便意を催した筆者はある階の男性用トイレで用を足していた。

突然ガチャッ!と開く扉・・。おいおい!中に人がいるぞ!と声を上げ、慌てて扉を引き戻したが、その瞬間に相手の腕がチラッと見えた。体毛が金髪・・。という事は白人が間違って扉を開けたらしい。

しかし筆者は大変注意深い性格の人間なので鍵をかけ忘れるという事は絶対に無いのだ。つまりこの白人は無理やり鍵を開けたか、もしくはここの警備員から何かで合鍵を持っているのどちらかである。

でも白人が警備員やってるわけないよな・・と思っていると、今度は右隣の房に人が入ったのだが、不思議な事に便座を下げる音とか脱糞時のブリブリ〜という音が一切せず、まるで様子を伺うかの様に沈黙したままなのだ。

これはひょっとして、あのシーロムロビンソンの5階の様なホモ達の溜まり場と同じでは・・。そう、実は今から30年近く前に当時付き合っていた彼女の職場がここにあったため筆者はこのトイレをよく使っていたのだが、 毎度ホモに襲われそうになったのである。

トイレに行くといつも数人のそれらしい格好をした男達が屯っていて、小便をしてると横に立って覗く、大の方をしていると隣の房の隙間越しに珍妙な形をした鏡を使って覗く、そしてトイレを出た後につけ回す・・というのがいつものパターンだったのだ。

実はここはホモの溜まり場として有名であり、ここに来るイコール男とやりたい!という事に直結するのだと後になって聞いて背筋が寒くなった覚えがある。都会の中にこんな深い落とし穴があるとは・・さすが性大国タイだ。

そして時代は下ってプロンポンのトイレの中でチクショウ!そういう事か!と焦った筆者は一切の音を立てるの止めてそっと耳を仕切り壁に当てると、シーンと静まり返った沈黙の中から奇妙な男の息遣いが聞こえてきて・・。その瞬間にうわーっ!と叫んで房から飛び出たのである。

ところが実はトイレにはもう一人インカ帝国みたいな変なオカッパ髪のタイ人の若い男がいたのだが、叫んでいる筆者に対して「どうしました?」と声をかけるどころか、全くビックリした表情もせず単にジットリと筆者の事を見つめているだけで・・。その後はもう100メートルダッシュである。

このショッピングモールはエンポリウムの新館という位置ずけでバンコクでは最先端の・・という触れ込みなようだが、その一方某階の男性用トイレにはホモ達が深海魚のように口を開けてエサを待ち構えている事を紳士諸君は肝に銘じておいて欲しい。




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Author by ほにょ / 全記事一覧 / 次のページ / ページトップ
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