右のドアの向こう側で笑う寄生虫

大阪市内の国有地が十分の一の価格で奇妙な幼稚園に払い下げられたというニュースが出ていた。配信元の朝日新聞によればこの幼稚園は安倍晋三夫人が名誉園長を務めていて、園長は稲田朋美防衛大臣から何かの功労で表彰された曰くつきの人物であり、運営母体は日本会議と深い関係にあるらしい。

隅っこに追いやられつつある左翼が虫眼鏡で見つけた政治スキャンダルか・・と右の方はお笑いになるかもしれないが、しかしこれが事実なら大問題である。いくら左派が働きかけて在日朝鮮人のための建物を血税でボンボン作ってきたにしても、じゃあ右派もそれをやって良い!という事にはならないし、それにこういう胡散臭い右翼も大抵の場合は朝鮮人なのだ。

大変残念な事だが右も左も奥にいるのは在日というのが日本の実情なのである。ちょっと調べればわかる事だが戦後の右翼の頭目だった児玉誉士夫は戸籍ロンダリングして日本人に化けてはいるが実際は朝鮮生まれの純潔朝鮮人だし、もう一人の笹川良一の場合も朝鮮人あるいは日本最下層の出自という噂がずっとあるのだ。





なんで愛国と叫んでいる右派が実は日本人でないのか?と言うと、一つは日韓併合によって一部の朝鮮人が便宜上愛国を叫んで日本人に化けてしまったからであり、二つ目は本物の日本人右翼の多くがGHQによって投獄・追放されたために権力の空白ゾーンが生まれたからだ。そこにずる賢い朝鮮人がスッと入り込んだのである。

サダム・フセイン掃討後のイラクのリーダーになったマリキや、韓国初代大統領にはキリスト教徒の李承晩を推したように、アメリカが他国を統治する場合は旧権力とは別の少数派を権力の座につける、あるいは優遇する傾向が強いのである。そしてその基本スタンスは政治のトップだけに限らず実業界や官界、教育界に思想界、芸能と言った幅広い分野に及ぶのだ。

で、日本の時計の針を70年前に戻して、あなたがウィロビー少将なりマーカット少将の立場に立ったとして、GHQの将兵の安全を確保しながら日本が二度とアメリカに立ち向かわない様に無力化しろ!という命題を与えられたら、旧軍のライバルである官僚たち、財閥や地主と敵対関係にある水飲み百姓や労働組合などとともに「日本に居る朝鮮人」に着目するはずである。





児玉や笹川がフィクサーになれたのは勿論彼らの才覚によるものが大きいけれども、彼らの周囲にアメリカの影が付きまとうのはやはり「敗戦と占領で溜まりにた溜まり込んだ愛国者たちの不満の受け皿になるが、本当に爆発しそうになったら真っ先にGHQに通報して叩き潰す」という裏約束があったからだろう。

そしてそういう土壌があるところに南北朝鮮の対立の構図が持ち込まれ、日本を韓国の後ろ盾にすべくKCIAと統一教会が勝共連合を立ち上げ、ここに日本の右翼を上手く囲い込むうちにいつの間にか韓国人たちが街宣右翼の元締めになってしまった・・というのが日本の右翼史なのだ。

ただ冷戦崩壊で勝共連合の存在意義が無くなってしまい、その後なぜか仇敵北朝鮮にすりよった統一教会は今じゃ北朝鮮秘密工作部門、あるいは昔の秘密を盾に自民党清和会議員を恫喝して金を毟り取る犯罪者になってしまったが、朝鮮人がずる賢いのは一部の人間を切り離して生長の家や思想右翼団体に潜り込ませることで二股をかけているのだ。





例えば世間を賑わせている在特会の連中をよく見て欲しい。実は筆者は彼らの主張に頷けるところが沢山あるのだが、彼らの行動を動画サイトで見ている内にだんだん奇妙な違和感を持つようになったのだ。大学時代に毎日駅前で見かけた統一教会の勧誘員が四半世紀たったいま在特会にいることは聞いていたけれど、代表者の見事な朝鮮耳を見つけた時にある疑念が浮かんだのだ。

在特会や西村修平が派手な街宣活動を動画サイトにアップしている理由は「日本はナチス台頭前のドイツと同じ状況にある!」という事を対外的にアピールして世論を喚起し、日本の力を相対的に弱めるとともに、「可哀そうな在日」「迫害されつつある在日」というイメージを利用して更にカネをせびる事ではないのか?と言う疑念である。

在日朝鮮人は既得権を取り上げて過去の分も全額弁済させ、文句があるなら船に載せて朝鮮半島へ送り返せ!というのが筆者の意見だが、上に書いたような理由で同じ意見をアピールする団体とは一切関与しないことにしているのである。右に行っても左に行っても朝鮮人が奥の部屋で笑っている、何とも嫌な世界である。






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アメリカさんの部屋

日本の製造業が息を吹き返したのは1950年の朝鮮戦争からと言われているが、筆者のいた会社はそれ以前にアメリカへ輸出を開始していて、しかもアメリカ側の代理店を務めたのが如何にもな一族の企業なのである。ちょっと驚くくらいのショートカット。これはどういうことなのか?はこれはもう皆さんのご想像の通りである。

GHQが戦争犯罪者を逮捕したり、上野駅の地下に屯する浮浪児たちの頭にDDTをぶっかけていたのと同じ頃に、GHQの経済部門の高官たちは日本解体を計画する一方で日本の財界人たちと裏取引をしていて、いくばくかの金を受け取れば「もうすぐ新円切り替えで手持ちの円が紙くずになるよ」とか「不在地主は没収になるぞ」なんて情報をリークしていたようである。

さらに大きな裏取引だとアメリカの投資銀行や弁護士なんかも一枚嚙んでいて、底力がありそうな会社の株を底値で買ったり、工場接収や幹部の公職追放をネタに脅しをかけて非上場の株を毟り取ったり代理店契約を結ばせていたらしいが、しかし一方の日本人側だってそこは巧妙に立ち回って資産を二けたも三ケタも増やしていたらしい。筆者のいた会社のオーナーもその一人だったのだ。

それと前述の通りGHQが本館を返還したのは1950年代だが、この最上階の一角だけは1970年代までアメリカ人が居座り続けていて、年輩社員の記憶によれば一応弁護士事務所かなんかの看板が掲げられていたそうだから、おそらくこのアメリカ人弁護士はここ銀座の超一等地でGHQ高官と日本の財界人達との間で交わされた裏取引のその後の見守り役兼管財人をしていたのではないかと思う。





当時興味を持った筆者は財務部にいた年輩の社員に古い外国人株主たちの事を聞いた事があるのだが、確かに株主リストにはアメリカの投資銀行とは別にアメリカ人の個人株主の名前がズラリと並んでいたそうなのだが、ずいぶんと昔の話なためいったいどういう経緯だったのかなんて判らないよ・・という答えが返って来た。

だから一体彼らがどういう立場の人間で、どれほどの規模の裏取引が行われたのか?それは筆者の会社の株式だけだったのか?案外銀座の超一等地のビルのいくつかはGHQの高官の子供や孫たちの手に委ねられているのか?といった事は最早調べることは出来そうにないのだが、しかし本館ビルの最上階の一区画をずっと空きのましているのはオーナー一族だから、ここには何か特別な理由があるのだろう。

銀座の街並みを見るのにここ以上無いのではないかと思えるほどの絶好のロケーションなのである。だからここには軍服を着たGHQの高官とスーツ姿のウォール街の代理人、それとオーナー一族と怪しげな日本人たちが集って復興していく銀座の街並みを眺めながらウィスキーグラス片手に嬌声を挙げていたのだろうな・・と思うのだ。

映画「シャイニング」の中に過去の亡霊たちが高原に建てられた古いホテルのボウルルームに集まってパーティーを開いているシーンがあるが、ひょっとしてあの銀座の豪奢なビルの最上階にも毎晩70年前の亡霊たちが集まって矯正を挙げているのかもしれない。そこにいるのはマーカット少将?それともケーディス大佐?それとも・・・。だとしたら深夜ちょっと中を覗いて見たい気もする。






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眺めの良い開かずの間

筆者は若いころ3年間だけ銀座に勤務していた事があるのだが、筆者がいた別館とは隣り合わせの本館に立ち入り禁止になっている区画があった。その頃はバブルの最中で大変景気が良く、最上階のオフィススペースなぞ賃貸に出せば忽ち借り手が付くはずなのに、時々管財担当の事務員が訪れる以外は立ち入り禁止の札が掛けられて固く閉じられているのである。

怪談の世界でいえば開かずの間みたいなもので、一体あそこには何があるのだろう?銀座の街並みを見渡す絶好の展望だからオーナー専用の接待用クラブハウスにでもすればいいのに・・などと同じ世代の同僚たちを噂し合っていたのだが、年輩の社員たちはその正体を朧気ながら知っていて、あそこは20年くらい前までアメリカ人たちが居座っていたのだ・・と謎かけのような事を言っていたのだ。

筆者がいた会社は一社一社が半分独立した企業グループの一員で、グループ組織がかなり複雑なため説明するのが面倒なのだが、フジサンケイグループにとってのニッポン放送とか富士通グループの富士電機みたいな創業時点の中核会社がグループ内にあって、その中核会社所属のごく少数の社員たちはオーナー一族の財産管理が仕事で、開かずの部屋はその中核会社の管理下にあったのである。

会社の社史には「初代オーナーが画期的な製品を発明し、それを〇〇銀行と財界の長老格の協力のもと軌道に乗せ、戦争時には各地の工場が爆撃を受けて大損害を被ったもののオーナーと社員が一丸になって頑張ったことにより奇跡的に復興し、その後の分社化など多難な時期を経て今日の・・」などどの会社でもありそうな事が書かかれているのだが、しかしここには一番肝心な事は綺麗さっぱり抜けているのだ。





アメリカ占領軍司令部GHQとの関りである。奇跡的に空襲の被害を受けなかった本館ビルは占領時代にはGHQに丸ごと接収され、1950年代に返還されるまで色んな米軍機関が入り込んでいたのだ。GHQと聞くとマッカーサーがいた第一生命ビルが有名だが、司令部や行政機関以外にも米兵専用のホテルやデパート、クラブハウスなど色んな建築物が必要なわけで、例えば有楽町の宝塚劇場など米軍専用のアーニー・パイル劇場となっていたのだ。

さて終戦時点では銀座のビル1つと幾つかの田舎工場を所有しているだけだった会社が、GHQが日本から出ていった頃には「オーナーは有楽町駅から自分の土地だけを歩いて銀座の本館に出勤できる」ほどの銀座の大地主になれたのは、この時期にGHQに多大な便宜を図ってもらえたからであり、当然ながらそれ相応のお返しをしたんだってよ・・と年輩の社員たちは話していたのだ。

占領開始直後の経済政策については色んなメディアに書かれているからここでは割愛するが、大規模土地所有者から土地を取り上げ、公家や財閥などの極端な金持ちたちの資産を没収し、そして一旦は円を紙くずにしたということである。近年だとソ連崩壊後の経済混乱を想像すれば良さそうだが、旧権力側にいた勢力は徹底的に解体され一寸先は闇の状態に陥っていたのだ。

ところが初代オーナーはこの時期明らかに資産を巨額なものに増やしていて、さらに極めて早い段階で事業再建に必要な外貨資金をアメリカの投資銀行から獲得していたのだ。その時期は日本の産業は構造改革に向かう真っ最中であり、旧国鉄や東芝など日本の名だたる企業は膨大な余剰人員を解雇せねばならず、そのため組合運動が先鋭化してデモや破壊活動が横行する革命前夜とも呼ばれた時期なのに・・である。(続く)





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藤に絡みつかれた高貴な一族

蘇我入鹿を殺害した乙巳の変(645年)あたりの朝鮮半島の情勢を見ると、アジア随一の大国である唐と朝鮮半島の東端にある新羅が軍事的に結びつき、間に挟まれた高句麗と百済がじわじわと追い詰められていた時期であり、現実にそれから15年後の660年に百済は唐の派遣軍によって滅ぼされている。乙巳の変の目的とは蘇我氏の専横どうのこうのでは無くて親新羅のスタンスを採る日本の外交政策を百済に向けさせるためだったと理解する方が自然であろう。

そして百済滅亡後の百済勃興運動を支援するため天智天皇とフィクサー藤原鎌足が軍を送ったことや、天智死後に権力を奪取した親新羅の天武天皇の血筋を絶やして親百済の天智天皇の血統へと皇統を無理やり移し続けた持統天皇(天智の娘で天武の妻)と藤原仲麻呂の奇妙な動きを見ると、やはり藤原氏は百済人だったのだろう・・と思えるのである。

この藤原鎌足の正体については既に何人かの学者が当時人質として大和の地にとどめ置かれた百済王子豊璋である!と明言しているのだが、そこまで大物だったら逆に朝鮮の古文書に「百済人が倭国を背乗りした」と書かれるだろうから、筆者は百済人ではあるものの藤原鎌足はもっと下っ端の人間だったのではないか?と思っている。

それと藤原氏が天皇を追い落として自ら政権を打ち立てなかった事は古代史の謎として語られているが、これも日本各地の豪族たちは藤原氏が日本人では無いことを知っていて、とても神輿に担ぎ上げられるような立場ではなく、それに藤原氏も矢面に立つよりは天皇家の外戚という立場を利用して裏で実権を操る方を好んだ・・と考えた方が合理的である。

そういう前提で見れば、藤原氏の出した諸政策が唯我独尊で無茶苦茶なのも、彼らが外国人で日本人など飢えようが死のうがどうでも良い!ただただ我々藤原氏と便利な盾になってくれる天皇家だけが繁栄すれば良いのだ!と思っていたからだ・・と考えれば妙に納得がいくのである。(ちょっと話はずれるけどこれって在日に浸食される現在の日本と似ているように思えるのは筆者だけだろうか)





さて以上今まで何日かに分けて藤原氏の出自について日記にしてきたが、筆者がこの事を考える度に思うのはやはり天皇家のことである。右の思想をお持ちの方たちは天皇は万世一系の高貴な血筋であり、古来よりずっと日本の安泰をお祈りしてきたのだ!などと誇らしげに言うけれども、筆者は「なに言ってんの?」としか思わないのだ。

藤原家の嫁を貰い続けて濃縮された血を高貴などと呼称すべきではない。それまで何事も合議で決めていた平和的な古代日本人から何もかも奪い去っていった殺戮者、収奪者の血を誰よりも濃く継いできたのが天皇家なのだ。いうなればアステカ文明を滅ぼしたスペイン人コルテスのような存在なのに、その子孫たちが人々の幸福を祈ってきたのだからお前らみんな敬え!と言われても白々しいだけだ。

もちろん明治維新の際には西欧諸国にとってのキリスト教のような柱となる思想が無い日本に「天皇の下では皆平等に赤子」という精神的中核の役割を果たし、近代国家の建設に多大な貢献をしたことは筆者だって高く評価するけれども、しかし平安時代以前の天皇家を調べるにつれこの一家には褒めるところが何処にも見つからなくて、正直日本に張り付いた害虫としか思えないのだ。

ちなみに筆者は英仏独三国を合わせた程度の通常兵器力を保持した上で日本は核武装すべきだし、在日は寝たきり老人だろうが全員漏れなく強制送還して、朝鮮半島と中国、ロシアに足しては恫喝外交を時には使うべきだという考えの持ち主なのだが、こと天皇家に関しては功罪吟味したうえで「有っても無くても良い」という結論である。

以前の日記にも書いたが筆者の祖先はスサノオを奉る氷川神社の宮司だから血統的にはどう考えても天皇と藤原氏に滅ぼされた東国の民、毛人とか蝦夷と蔑称された縄文系の末裔なのである。したがって日本の精神的リーダーとは百済人の泥棒一家とその付属物などではなく、天皇家と覇権を争った東国武士である!との認識を日々強くしている。






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異形の一族

外国人から「日本人社会の特徴を端的に表す言葉は何か?」と聞かれた場合、筆者は「身分の上下に関係なく同じメシを食う事である」と答えている。江戸商家を描いた小説など読めば大番頭と丁稚奉公たちが大勢集まってワイワイ食事をしているシーンが多いことを話すと、階級社会が根付いた欧米人は「信じられない」という顔をするのだ。

社会の中での位置や給料も違うし、お互い色々と文句もあるだろうけど食べ物に差は付けない。徳川時代の百姓は粟や稗みたいな雑穀しか食べられなかったと明治政府は喧伝したが、当時の米の生産量(約3千万石)と日本の総人口3千万人は釣り合いが取れていたからこれは全くのウソであり、庶民だって武士や寺の坊主と同じように白米を食べていたのだ。

それから武士と言うのは戦が商売だから、彼らが支配した時代とは人間の生命の価値が軽んじられていたのだ!などと言う御仁もいるが、戦争は数と言う諺通りどれだけ多くの人間を駆り出されるか?とともに、どれだけ安定した工業農業生産を確保できるかが鍵になるから、武士は自分たちの生産の担い手をむしろ出来るだけ大事にしていたのである。

もちろん江戸時代には身分制と言う現代人の目から見れば極めて非人道的な制度があったのは事実だけれども、しかし未熟な文明社会で安定を確立するにはヒエラルキーが重要であり、それに階層が上の人間たちも下層の人間がちゃんと生産活動に従事できるよう知恵を巡らせた施策を出していたのだから、今日われわれが考えるような過酷な社会とは実像は随分と違っていたようである。





ところが日本の歴史を俯瞰の目で見てみるとそういう上下一体の意識が全然ない時期があって、それは皆さんもうお察しの通り平安時代である。白黒映画にはすっかり荒れ果てた都の様子が良く出て来るが、この一見平和そうな名前の付いた400年間とは国家財政は完全に破たんし、都には盗賊が跋扈して人心はすっかり荒れ果てた暗黒時代そのものである。

そうなった原因は時の権力者藤原氏が国の財産をあらかたネコババした上に行政上必要な事を何一つしなかったからで、この一家は儒教という鼻持ちならない自己中心的な脳内麻薬的思想に囚われてしまい、我々の様な高貴な人間は下々の些細な事にかまわずに詩でも詠んでいればよい!と本気で思っていたのだ・・と言われてきた。

しかし本当に儒教だけでこの説明がつくのだろうか?。例えば後年の日本でも儒教は随分と盛んに学ばれたが、上杉鷹山のような高貴な人間が自ら肥桶を担ぐことが儒教の美徳と全くアベコベの解釈がされたように、日本の儒教は本来のグウタラ君子を目指せ!からすっかり姿かたちを変えてしまい、むしろ上下関係なく同じメシを食うとか労働は正しい!というプロテスタント的性格を帯びてしまうのである。

日本人に外来の思想を与えても全く別のモノに換骨奪胎されてしまう・・。これは日本人には何もかも古代共同体的な思考に変えてしまうプリズム的特性を持っているからなのだが、なぜだか平安時代の藤原氏だけはプリズム化せずに純粋な儒教の体現者でいれたのだ。この不思議な現象がなぜ起こったのかと言えば、藤原氏は日本人では無かったからだ・・と考えるのが妥当ではないだろうか。






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