臭い女は臭いオカズを好む

日曜日の昼下がり、自室で動画サイトを見ていたら廊下から変な臭いが漂ってきた。ちょっと筆者の稚拙な語彙ではうまく説明できないが、何かの発酵食品を質の悪い脂で炒めたようなイヤ~な臭いである。

おい!なんか変臭いぞ!とキッチンへと向かうと、そこにいたのオルティガスでOLをしている女房の姪イナで、食卓に座って何やら変な色をしたチャーハン状のモノを食い始めたところだったのである。

臭気はここから漂ってくる・・。そう確信した筆者は「オマエは何を食べてるのか?」と聞いたところ、えっ?日本料理だけど?と変なことを言い出した。バカも休み休み言え!こんな臭いがするメシが日本にあるか!と言い返したら、イナは冷蔵庫の扉を開いて中から目的の品を取り出したのだ。

それはカニみそだった。カニみその手巻き寿司が好きな女房が最後に滞在した横浜のデパートで何本か買い求めたのだが、イナはこのカニみそをオイスターソースか何かと一緒に混ぜてチャーハンを作ってやがったのだ。





以前の日記にも書いたが、イナは外見上はそこそこ美人なものの靴を脱ぐとあたり一帯にムワ~ンとした汚臭をまき散らす足臭女で、これはどうも足の裏が月のクレーター状に凸凹になる皮膚病が原因なようなのだが、こいつは足だけじゃなく食い物まで第三者を不快にさせる悪臭生物なのか!と唖然としてしまったのである。

こいつの食生活を思い返したら、アラマンとかバグオンという臭い発酵食品をご飯にかけたものが好きだとか、臭みの強い魚の干物、それに賞味期限の切れたウニのスパゲティソースを食って「前よりも美味しい!」と言うなど癖の強い、臭い食い物が好きだった事を思い出した。

そうか・・臭い女は臭いものが好きなんだな・・と今更ながら納得してしまう筆者。そう言えばアソコがあまりに臭くて思わず反吐を吐きそうになったジョセフィンも、初めて食べた日本料理の中では特にイカの塩辛を絶賛していたっけ・・。

そこで突然「イナのあそこも相当・・」という疑念が脳裏に浮かんだ。なるほど今まで何度か男を家に連れてきたけど、3か月も続かなかったのはそういう理由か・・と、臭気の漂うキッチンで変な色をしたチャーハンを美味そうに頬張るイナの姿を見るにつけ、筆者はその思いがますます強くなっていった。






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肩書が多い男の死

高校時代の同級生で熊本に移住していたモリヤが死んだ・・という連絡が入った。今年春に手術を受けて1か月以上入院していたことは知っていたが、つい2か月ほど前に「仕事再開!」とフェイスブックに健在ぶりをアップしていたから、来年の日本旅行の際には九州までモリヤを訪ねにいくか・・と思っていた矢先の出来事である。

筆者とモリヤは東京都内の私大付属高校の同級生で、勉強せずともエスカレーター式に大学進学できるのを良いことに新宿のディスコやパブに風俗店で遊び歩いた仲だが、筆者を含む帰宅部の仲間たちと違いモリヤだけはなぜだかバトミントン部の活動を地道に続け、筆者の記憶ではインターハイどころか東京都大会でも勝った記憶が無いにも関わらず何故か主将に祭り上げられていたのだ。

モリヤはどう見ても青春スポ根ドラマに出てくる主人公よりも、コメディ「モンティパイソン」に登場するトラブルに見舞われ続ける冴えない中年男に様な風貌であり、、性格的にもリーダーというより付いてくる派だったから「バトミントン部はよほど人材が枯渇しているに違いない!」などと仲間たちと茶化していたのである。

ただ大学では学部が違ったことと、高校時代さんざん夜遊びしたことの反動から筆者は根暗系の映画サークルに入ったためモリヤら高校時代の仲間とは段々と疎遠になっていき、さらに地方の企業に就職してから香港に十数年もいだためモリヤとの縁は完全に切れていたのだが、それがつい5年前にフェイスブックで実に25年ぶりの再会を果たしたのだ。





モリヤが大手ゼネコンに入ったことは知っていたが、なんでも入社早々に配属された現場でいきなり目の前で死亡事故に出くわした上にその後処理を全部押し付けられたこと、小泉構造改革のまっさ中に予算削減に人切りのおかげで阿鼻叫喚状態だったあちこちのダム建設現場の所長を任されていたことなど聞いたときに思わず笑ってしまったのだ。

ら校内で喫煙してないのに他の生徒の代わりに体育教官にぶっ叩かれる、頭のおかしい通行人に絡まれる、中央線で泥酔客にゲロをひっかけられる、吉祥寺の本屋で万引き客に間違えられる・・。実際こういう訳の分からない事態に見舞われてマンジリともせずにいる運の悪い男というのがモリヤの持ち味だったからである。

40半ば過ぎてもモンティパイソンぶり相変わらずだな・・とPC画面上の彼を見ながらそう笑ったのだ。それで熊本でも様々なトラブルに見舞われてさぞかし大変な毎日をおくっているのだろう・・と想像したのだが(実際昨年の熊本地震でもモリヤ宅は甚大な被害にあったそうである)、しかし奴の肩書を見た筆者はちょっとビックリしてしまったのだ。

モリヤは数年前に独立し、資格を生かして自分の事務所を開いていたのだが、その責任者の他に業界団体の専務理事に内容不明な社団法人の事務局長、国会議員陳情団の事務局長、ロータリークラブのなんとかガバナー、そして大学同窓会の熊本県支部事務局長にマンション管理組合の理事長、それと託児所だか幼稚園の理事長といった肩書がずら~りと並んでいるのだ。





お前・・こんな役職ばかり押し付けられて寝る時間あるの?と聞いたところ、本人はそれに対して「大変なんだよ」とか「困ったもんだ」なんて気弱な発言をするわけでもなく、しかしその一方「頑張らなければいけないんだ」みたいな気負いも全然なくて、最近庭の雑草が伸び始めてね・・くらいの微感覚でいる様子だったのである。

モリヤにそんなマルチな才能、さらにリーダーシップがあるようには全然思えなかったのだが、しかし確かに高校時代の奴から「やってられないよ」みたいな弱音は一度も聞いたことがないし、コンパで飲みすぎてゲロ吐いてる奴の世話や集金係みたいな皆が面倒くさがる仕事を文句ひとつ言わずに淡々とこなしていたモリヤの姿を思い出したのだ。

そう、確かに大人数の旅行団の幹事や冠婚葬祭の仕切り、立ち上げ直後のベンチャー企業の総務部長や選挙運動の本部長みたいな面倒な仕事こそモリヤには打ってつけなのである。他人の世話を焼くことが宿命と自分自身に折り合いをつけていたのか、あるいは(おそらく筆者はこっちだと思うが)面倒という感覚が他の人間に比べると相当薄かいことが奴の多重肩書人生のキッカケになったのだと思う。

おそらくモリヤの周囲にいた人間は外見とは裏腹の奴の脅威の忍耐力および仕切り能力特に気が付き、前述のような事務局長的な仕事を本人の意思とは関係なくどしどしモリヤに回していったが、モリヤ自身は別段それが大変だとは感じておらず(微量もしくはゼロ)、したがって熊本市内のホテルで開催される団体懇親会の懐石ディナーを毎週3回食わされる事態になっても別段何とも思わなかったのではないかと思う。





モリヤもこの超感覚と体力をずっと持ってれば10年後には熊本県選出の衆議院議員、あるいは熊本市長、もしくは少なくとも自民党県会議員団幹事長か県連事務局長くらいにはなっていたのだろうが、しかし数か月前に病魔に侵されていた事が発覚したのだ。尚なんの病気なのかは筆者は知らないしもちろん聞く気もなかった。

「ありがとう。これからはあまり急がずにゆっくり行くよ」。モリヤがチャットにそう書いてきたときに「奴にもこういう気弱な感覚があったのか?」とちょっと驚いてしまったが、おそらく手術後の体力低下はあまりにも激しく、タフと言うか忙しさ感覚が欠如したモリヤも目の前に残った仕事をこなす事が出来なくなっていたのではないかと思う。

さてモリヤの葬儀は昨日熊本市内の寺院で執り行われる様なのだが、異国にいる筆者は当然そこへは出向くこともかなわぬから近くの教会で彼のために祈り、そして一杯のウィスキーを飲みながら彼への追悼の思いを込めてこの日記を書くことにしたのだ。文章が変なのはただいま酔っているからである。

さてさてモリヤよ、どうせあの世でもいろんな仕事を回されることになるだろうけど、着いた直後はゆっくり休めよな。それとオレもしばらくしたらオマエの所へ行くから、その時は悪いけど見守り役として面倒見てくれよ。あとあの世じゃ熊本日航ホテルじゃなく1984年の夏みたいに新宿のパブでまた一緒に飲み明かそうぜ。






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背骨が通ってない博物館

(前日からの続き)インドの不可触民や米ブラックパンサーが人間平等を謳うイスラム教に帰依したように、差別される人間が共産主義に走るのが常なのだが、こと水○社に関しては共産党ではなく近衛首相の大政翼賛会に馳せ参じて発展的解消をしているからだ。言うまでもなく近衛文麿はファシストであり共産主義者たちを投獄した側である。

そして最後は中国・半島目線な展示がやたらと多いことなのだ。水○社の年表に「ニセ満州国」という表現があったり、やたらと朝鮮の被差別民である白丁(ペクチョン)の権利保護団体との繋がりを強調しているのだ。大日本帝国に併合された可哀想な人々に手を差し伸べたのかはどうにせよ、大政翼賛会の一翼を担った団体が旧満州国を表するのに「ニセ満州」とは無いだろう。

○○問題と聞くと人は敬虔な気持ちになるものだが、残念ながらこの博物館を見れば見るほど底の浅さが透けて見えてくるのである。これが共産党と組んで地下活動を戦い抜き、投獄され何人もが獄中死したのなら筆者も彼らの運動に骨太な歴史を感じるのだが、ここではむしろ後出しジャンケン的な小狡さが透けて見えたのだ。

もちろん謂れなき差別なんてのは言語道断だし、長い歴史の中で蔑まれてきたことへの深い怨念、苦しみには筆者も同情するけれども、水○社運動が貧困や社会革命運動とは逆のファシズム体制内改革を指向してきたと言う事実を、戦争に負けたら無かったことにするとは幾ら何でも如何なものだろう。

もしくは後継団体の○○解放同盟が「戦前の水○社運動は方法論として間違いだった」「社会主義的エッセンスが欠けていた」と批判をし、我々と水○社の両団体には歴史的継続性が無い!と明言しているのならば納得出来るのだが、筆者のつたない知識内で判断する限りなんかそこら辺は随分と曖昧にしているとしか思えないのだ。

広島や長崎の原爆資料館にせよ、この水平社博物館にせよ、昨今は在日や中国ら外国勢力の浸透によって運動自体が歪められてしまい、この連中のイデオローグに合致するよう主張をいじってしまった結果、実態とはほど遠いオール左翼まぜごはん的な空虚さが目立つ展示になってしまったらしい。

「訪問者の減少により最寄りの駅をつなぐバスが減便してしまい・・」といった説明がウェブサイトに書かれていたが、本当にリアリティのある博物館なら館内はごった返しているはずである。話し方に勢いはあっても内容自体にはほころびが目立つ上部団体をそのまま反映したような残念な博物館をなってしまったようだ。






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閑散とした博物館

新入社員のころ同僚の女性から小説「橋のない川」を薦められた筆者はこの大河小説を読破したのだが、今回関西を訪れた機会に小説の舞台となった水○社発祥の地、奈良県橿原市を訪れることにした。目的はもちろん水○社博物館を見学する事である。

今までこの日記で反日運動の根源は在日と○○の二つである!と何度も書いて来たように、筆者は彼らについて正直斜め視線で見ているのだが、東京出身の筆者には○○問題というのはあまりピンとこないし、それに今まで向こう側の言い分というのをちゃんと聞いたことがない。

それで一時間に一本しか通っていない電車に乗って掖上(わきがみ)という無人駅に降りたち、そこからコンビニひとつない田舎道を15分ほど歩いてやっとこさ目的地へとたどり着いたのだが、ネットに書かれていた様にこの博物館はあまりにも閑散としていて、一時間半滞在した最中にも筆者以外ただの一人も訪問者が来なかったのだ。

さてこの博物館は名前の通り戦前に政府主導系の中央○○会(自由○○会の前身団体)と並ぶ二大人権団体であった水○社が、第二次大戦時の挙国一致体制下で発展的解消するまでの歩み、つまり明治初期から太平洋戦争までの時期の活動史を展示しているのだが、しかし丹念に資料を見た筆者は奇妙なズレを徐々に感じてきたのだ。

第一はこの地域の○○民は実はもともとそれほど貧乏ではなかったという展示である。地元の名産物ニカワのおかげで「一般の村と所得の違いはほとんど見られない」という館内の説明を読むにつれ、思い描いていた○○の人たちの心の叫びがなんだかトーンダウンしてしまったのである。

アメリカの黒人やインドのアウトカーストの悲惨さを訴える文物は筆者も何度か見た覚えがあり、そこに感じ取れた彼らのパワーの源泉は食うものも食えないという貧困への憤りである。そしてその怒りをバネにした生活闘争に思わず共鳴してしまったのだが、それがここ奈良・橿原では「他の地域と違いは見られない」という記述にいきなり出鼻をくじかれた格好になったのだ。

第二は共産主義者、無政府主義者との連携をやたらと訴えていることである。堺利彦に佐野学、幸徳秋水といった戦前左翼や無政府主義者のご歴々の方々の名が展示物に頻繁に登場し、水○社は戦前の社会主義運動の一翼を担ったのだ!と謳っているのだけれども、そういう面はあるにせよ現実にはアベコじゃないか・・という疑問が燻ってきたのだ。(続く)






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無謀無計画な一家のビル建設

火災で家を失ったエスター叔母の元へ訪れた際に、弟のエド叔父さんから「あんた息子のビルのテナントにならないか?」という意味不明なお願いをされた。テナント?なにを言ってるんですか?と問い返したら、ほら、最近フィリピンに日本人が英語を学びにきてるじゃないか。だったらお前さんが学校を設立して・・とモゴモゴ話すのだ。

このエド叔父さんは酒を飲むと変な話を始める癖があって、現にこの日も筆者が持ち込んだジョニ黒をしこたま飲んで酩酊寸前だったのだが、たどたどしい説明に耳を傾けたところエド叔父さんの息子ジェン(女房の従弟にあたる)の将来にちょっと影が差し始めたことを知ったのだ。

従弟ジェンは現在筆者が住んでいるアパートの元々の保有者で、出資&勤務していた零細コールセンターが倒産して一文無しになったため借金差し押さえがしら3年前に筆者がこいつのアパートを取り上げたのだが、実はその時ちょうどジェンの女房ジュミが生家を相続することになり、ジェンは女房と娘を連れてパッシグ旧市街の一軒家へと移り住んだのだ。

そしてそこで大衆食堂を開き、夫婦一緒に朝早くから夜中まで働くことで大して金にはならないがまあ食うには困らない程度の稼ぎを得ていたのだけれども、米アリゾナ州フェニックス市に移住していたジュミの母親が夫の浮気にあきれ果ててフィリピンに帰国(その家に同居)した辺から状況がおかしくなってきたのだ。

シャブ中で頭が壊れた長女(ジュミの姉)を引き取ったために家がゴミ屋敷化してしまい、子供たちの目の前で男とセックスをおっぱじめるジャブ中姉の痴態にあきれ果てたジェン・ジュミ夫妻が家から逃げ出してしまったまでは良いけれど、厄介なのは母親が「この家を壊してビルに建て替える」と言い出したのである。





旧市街の表通りに面しているから大そうな価値になる!と思ったようなのだ。しかし筆者の目から見れば表通りと言ったって歩いているのは上半身裸の労務者と近くの公立学校の中学生、それと穴の開いた服を着た主婦くらいで、正直こんな場所では大衆食堂と零細商店くらいしか成り立たないはずなのだが、十数年アメリカにいたジェンの義母は脳内感覚がすっかりズレちゃったようなのである。

「おい!そんなの破産への近道だぞ!」と半年ほど前に筆者は従弟ジェンに念を押したのだが、義母が強硬に言い張ってる上にアリゾナ州に残った長男(ジェンの義兄)も出資するから逆らえそうにない・・と消え入るような声で答えており、それが今回帰国してみるとなんと既に銀行のローンをすでに組んでしまい、建設会社と契約まで結んでしまった様なのだ。

自己資金がいくら有るかは知らないが銀行と結んだローン金額は1100万ペソ(2500万円)である。建築面積はこれこれで建築費は一平米あたり幾らいくら・・と計算すると「まあそんなものかな」という額なのだが、しかし・・・この連中は基礎工事が始まった段階になって「誰がテナントになるの?」という現実に行き当たったらしい。

前述の通り上半身裸の男たちがうろうろ歩いているような通りに5階建てのビルを建てても、いったい誰が上層階を借りるというのだろう?。それに家賃をちゃんと払うような会社なり店がこの地域でどれほどあるのだろう。それが今ごろになって気になり始めたので「だったらあの日本人に英語学校でも開いてもらって・・」とろくでもない案を捻くり出したらしい。

お前の息子と嫁一族は阿呆か・・という言葉が思わず出かかったが、それをグッと飲みこんでエド叔父さんの話を聞く筆者。無計画というのを通り越したあまりの出鱈目さに呆れかえってしまったが、しかしフィリピン人というのは正直どいつもこいつもこんなものなのである。だいたいビルに入ったって電気やガスが来るかどうかも怪しい限りだ。当然ながらエド叔父さんの願いなど却下である。






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Author by ほにょ / 全記事一覧 / 次のページ / ページトップ
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