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アナーキー・イン・ザ・PH

2014/11/04 11:03:40 | フィリピン雑学帳 | コメント:0件

フィリピンに移住してかれこれ1年半が経過したが、こちらの人たちの社会に対する考え方や向き合い方について一体どういう言葉で表現したら良いのかよく分からない時期が続いていた。ここで言っているのは共産主義者だとか典型的な資本主義者だ、もしくは自由主義者や個人主義者、ファシストと言ったようなレッテル貼りの言葉のことで、フィリピン人って一言で言うと思想上どの戸棚に入るの?という意味である。

まずフィリピン人が共産主義やファシズムのような集産主義的かどうかで言えば、これは絶対的にその反対側、つまり自由主義者で個人主義者であると言い切れる。それから一般的にフィリピンは安易なポピュリズムがはびこる国と言われるが、議会で承認された法律に堂々と従わない輩も多いし、なぜかそういう連中にも一定の理解を示してしまう国民性もあるから、フィリピン人は半面は民主主義者だがもう反面は徹底した利己主義者であるとも言えるだろう。

また富の分配については、アメリカの植民地だった影響でフリードマン型の自由競争、つまり貧富の差が大きい経済モデルに現実的にはなっているのだが、筆者の周辺の人達の意見を聞いてみると「政府は公平実現のために積極的に介入するべき」とフリードマンとは逆の左派的な意見が多数である。そりゃ貧困国なんだからそう言うに決まってるだろう!と思うだろうが、彼らの話によく耳を傾ければ、日本人と同じくらい富の均等化、均質化の傾向が強いように聞こえるのだ。

さてこの半分利己主義者だがみんなで分け合おうぜ!という社会思想について一体どういうレッテルを貼るべきか今まで迷って来たのである。筆者の感覚では反権力的で左派的な言動は京都人や大阪人のように見えるが、じゃあ国家の運営はどうあるべきか?という発想がポッカリ抜けていて◯◯主義者という単語が思い浮かばない。しかし実は昨日久しぶりに読んだジョージ・オーウエルの「カタロニア賛歌」の中に筆者の疑問への答えが書いてあるのを見つけた。彼らはアナーキスト、つまり無政府主義者なのである。

おいおい!フィリピン人はアナーキストとは全然違うよ!と皆さんお思いだろう。実は昨日までは筆者もそう思っていたのだが、オーウエルの時代、つまりスペイン内戦があった1930年代には、王党派、社会主義者、共産主義者以外は驚くべきことに全員がアナーキストと分類されているのである。そりゃ無茶苦茶な話だとお思いだろうが、ここで言うアナーキストという定義付けは国家権力を否定する過激派だけでなく、国家という概念が薄いか(こっちの方がわかりやすいと思うが)初めから無い人たち、さらには不完全な国家システムを讃える人という意味である。





当たり前だが国家運営というのは明暗が伴うもので、税金は払いたくないけど社会福祉は充実すべきだとか主張する人たちは社会構造の概念が無いのと同じである。そして大部分のスペイン人たちは、自分たちの家族と地域共同体と(この中では富の分配はかなり公平である)、あとはキリスト教の司祭がいれば自分の世界は完結しているのだ!というすごく狭い世界観にいたようだ。くどくて申し訳ないが、要はバスク地方とかサラゴサなどの地域共同体(もしくは自分の村だけZ)と精神の支柱となるシンボルの二点セットだけあれば良いという思想だ。

さしずめ日本で言えば丸山眞男の農本主義と天皇制と同じで、財界の大物や政治家を暗殺した血盟団と同じ発想でもある。おいおい血盟団は国家主義者じゃないか!と言う人もいるだろうが、血盟団には自分たち貧しき民と天皇という両極端な存在があるだけで、その中間にある明確な国家設計が頭の中にないのだからアナーキストと定義付けされる方が納得が行くだろう。そう考えると戦前の二二六事件の将校たちが大杉栄らがアナーキストと同じ一筋の系譜で見えるようになった。なんだかジョージ・オーウエルの渡してくれた鍵を使って見た方が日本の近現代史がよく見えるような気がしてくる。

さてフィリピンに話を戻すが、たしかに彼らの発想をよく聞いてみると、自分→家族→職場や地域→バランガイ辺りで止まってしまい、その先の州や国家なると「オレには関係ない」「それを認めると自分にどういったメリットが有るのか?」という打算的な態度が急に見え隠れしてくる。そんなこと無いぞ!フィリピン人は愛国心が強い人達だ!という人もいるだろうが、それはあくまで外国人向けに発露される対抗意識、もしくは民族意識であって国家の概念とは必ずしも一致していないのである。

ちなみに筆者はフィリピン人をバカにしているわけでは無く、彼らの家族や地域への帰属意識というのはそれは大したもので、戦前の日本人はこういう風だったんだろうな!と感じいってしまうほどだ。ただし国家や州といったより大きな共同体への概念が乏しい分、この部分がおざなりとなって弱点になっているのも事実だ。まあそうは言ってもアジアのどの国もそんなに国家思想が強いわけではないのだけれど、フィリピンの場合お神輿に担いでいるのがキリスト教というグローバリズムであるためにローカリズム(民族主義)を唱える他のアジア諸国に比べるとシステム的に脆弱だとも言える。

さてオーウエルを読んだ後で親戚の連中を見てみると、なるほど本当にこいつらはアナーキストだなと思えてきた。社会の規範とかルールというのはあんまり守ってないし、性生活や金銭感覚の無軌道さときたら大阪の通天閣付近の住民のように無軌道そのものと言って良い。政府や役所との関係も阪神タイガースのフロントと選手、それに喧嘩を煽る阪神ファンたる地域住民とそっくりである。そうか…この人達はアナーキスト、いや阪神タイガースのファンたちと呼べば良いのだ。なるほどね…とそのとき独り言ちた。






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